We must protect the senile elderly people from unscrupulous business operators by using the adult guardianship system.

スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 |
ツシマ沖の海戦(その四百四十五) The Battle of Tsushima
2007-09-30 Sun 07:03
四月十二日、東郷大将は、「連合艦隊戦策」なるものを艦隊に示達した。
決戦に備えて、司令長官の戦略上の心算を述べたのである。
大将は、作戦は遭敵の場所、時刻、天候、情勢によって随時変化するものであるから、あらかじめ精細に策定することは困難ではあるが、と冒頭で断りながら、次のように訓示した。
昼戦においては、第一戦隊は敵主力と持続戦を行い、その間に第二、第三、第四戦隊は敵の巡洋艦以下を撃破し、最後に第一、第二戦隊でとどめを刺す。
次に夜戦においては、駆逐艦隊、水雷艇隊が担任し、まず日没とともに魚雷攻撃を実施する。次に連繋水雷攻撃をおこなう。
戦闘が一昼夜を超える場合には、以下この順を繰り返すわけである。
また、昼戦の戦術に関しては、「戦策」は、「艦隊の戦闘は丁字戦法、二隊の協同戦闘は乙字戦法に準拠するものとする」と、定めている。
この両戦法については、開戦前から定められていたもので、現に前年の「黄海海戦」においても実行されている。
前者は、単縦陣で敵艦隊の頭を抑え、後者のそれは、頭と尾の双方を抑えようとするものである。
味方と敵艦隊の位置関係が、それぞれ丁字、乙字に似ているため、名づけられたのである。
この戦法は何人が考案したのか、現在に至っても専門家の間には定説が無い。
ところで、夜戦の際の水雷攻撃についてであるが、これは難事である。
月明や探照灯火の照射により事前に発見されれば、接近そのものが困難になる。
しかし、接近しなければ、魚雷攻撃は不可能である。
魚雷は、言うまでも無く小型の艦艇にも搭載可能であり、それにかかわらず大型艦を撃沈する能力を有している。
そのため、魚雷が実用化された一千八百七十年代には、魚雷を搭載し得る小型艇として水雷艇が開発されたのである。
日本帝国海軍は、この水雷艇と新兵器である魚雷の有効性に早くから着目していた。そして、既に日清戦争の威海衛攻撃にも積極的に水雷艇を作戦に投入している。

From Abiko Business Consultants
スポンサーサイト
別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
KAGUYA smoothly traveling to the Moon
2007-09-29 Sat 00:00
September 27, 2007

The "KAGUYA" (SELENE) is smoothly heading for the moon's orbit with its solar array paddle and high gain antenna successfully deployed。

From ABC
別窓 | ABCからのお知らせ | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百四十四) The Battle of Tsushima
2007-09-28 Fri 00:00
四月十二日、軍令部は、『帝国海軍第二期作戦方針』を作成した。
この方針は敵艦隊の針路を推測したものであるが、それによると、敵艦隊は次の三策のうちの何れかを採るものとしている。
第一、 決戦を覚悟しウラジオストック港に進航し、以後同地を根拠として作戦する。
第二、 日本南部若しくは南清方面の一地に占拠し、之を根拠として作戦する。
第三、 南洋方面に留まり我が艦隊と対峙し、漸次到着すべし後続艦隊を加へ、好機を得て、第一若しくは第二の策に出でんとす。
では、日本艦隊はどうするのか、といえば、「敵艦隊の北上」を待って決戦する、という内容である。
そして、日本艦隊は制海権を確保するため、敵艦隊殲滅という従来からの方針を堅持し、「沿岸航路、沿岸市邑の保護の如きは、局地防衛に委ねる」と言い放っている。
軍令部が推測した、敵艦隊の戦略は、いうまでもなく一方的な推断でしかない。
何しろ、具体的な判断材料がなかったからだ。
軍令部次長伊集院五郎中将の説明によれば、材料らしきものは次の三点である。
第一、 敵艦隊が印度洋を横断せし実績。
第二、 司令長官その人の猪突なる性行
第三、 露京より屡命令を以って出征将官に強求せることある従来の形跡。
何れを吟味してみても、確たる推断の根拠となるべきものではない。
日本艦隊側に渡洋攻撃の能力があるとしても、戦場が南方の広水域で展開されると、敵主力を一纏めにしての包囲・殲滅は困難になり、結局遁走を許してしまうことになる。
であるならは、何れは北上してくる敵艦隊を朝鮮海峡のような狭い海域で一挙に包囲し、殲滅してしまいたい。
九州と朝鮮半島との間には対馬列島が横たわって、東シナ海と日本海とを結ぶ狭い水道を、より狭くしている。
連合艦隊が朝鮮半島南部に集結しているのは、その期待の現れである。
そのような帝国海軍の願望が、『作戦方針』の行間からは滲み出ていた。。

From Abiko Business Consultants
別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百四十三) The Battle of Tsushima
2007-09-27 Thu 00:00
申し出を受けた軍令部側は当惑した。
東郷大将の提案、中立国船十隻の雇用がさほど妙案とも思えなかったからである。
仮令、その船舶がロシア艦隊に接近できたとしても、相手は情報漏れを警戒して、拿捕、抑留、甚だしくは撃沈などの強行手段をとるであろう。
敵情に関しては、この日(十一日)、シンガポール駐在の森大佐とロンドンの鏑木誠大佐から英商船が午前一時に、シンガポール北東のアナンバス諸島の北東沖でバルチック艦隊を発見したとの、との情報を伝えてきていたのだ。
敵艦隊が今や、南シナ海を航海していることは疑いの無い事実であった。
しかし、広大な海域をどの方向に向かっているのかを探知するのは甚だ困難であった。
台湾海峡を通って朝鮮海峡に来るのか、またはパシー海峡を経由して太平洋に出て、津軽海峡へ向かうかは、敵の自在に任されている。
十隻程度の商船を雇用して敵の予想ルートへ配置してみても、その広大な海域をカバーできる筈もない。
軍令部は既に、次のような独自の対策を実施している。
すなわち、東洋を往復する内外船舶に交渉して、情報提供を受ける。
中立国船には懸賞金を出す。
澎湖島の北西、台湾の淡水付近の海峡狭部、南端のガランビ沖にジャンクを多数配置し、かつ、台湾西岸の四島には監視哨を設置する。
外務省に依頼して,清国南部、シンガポール、マニラ駐在の公館の諜報活動を強化させる。
八丈島に電信所を設置する。
これらの措置は実行に移され、中立船の情報提供等の成果も出ていた。
しかし、如何せん、情報活動の範囲が狭すぎた。
これでは、敵艦隊が台湾付近にまで接近して来ない限り、その正確な情勢を掴める筈もなかった。

From Abiko Business Consultants
別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百四十二) The Battle of Tsushima
2007-09-26 Wed 00:00
提督と旗艦のごく僅かな幕僚しか知らなかったが、病院船アリョールは、海相アウエラン大将宛の具申電を携えてサイゴンへ派遣されたのだった。
「本職は、本日(四月十一日)カムラン湾の南方三百海里の地点に達す」と報告した跡で、ロジェストウェンスキー提督は、「ウラジオストックで尚も艦隊を必要と」とし、かつ「同地に十分な食糧、弾薬があるならば」という条件つけて、「第三艦隊を待たずに出発したい」と述べたのである。
彼は念押しをした。
「一週間たりとも徒に時日遷延せば、償うべからざる不利を招かん」
そして、更に注文を付した。
「この意見が受納されるなら、至急に発令し頂きたい。ただし、その場合は慎重なご配慮を賜りたい。海軍省の高級職員にも発令は秘密にし、海外の公館、派遣員にはバルチック艦隊がカムラン湾で第三艦隊、第四艦隊も待つ予定である、と偽電を発してもらいたい。」
最後にロジェストウェンスキー提督は、本音とも思える部分を付け加えた。
「艦隊にしてウラジォストック到達したりとして事既に晩しとなさば、根拠地の無き
所に艦隊長く滞留せしむること能わざる以って、露国に引き返すを必要とす」
提督は病院船アリョールの真の使命は極秘にして、石炭搭載のためと発表した。
その出発見送ってから、提督は自室を歩き回りながら、独り言を繰り返した。
「何故日本人は攻撃してこないのか?何故なのだ。攻撃してくれば事はすべて解決するものを。何故なのだ」
参謀長クロング大佐は、提督の苦悩の独言を書き留めている。
では、日本側はどうだったのか。
この日、四月十一日、東郷大将は、連合艦隊はこれまでどおり朝鮮海峡、せめて津軽海峡での邀撃以外の態勢はとれない。と軍令部長伊東大将に通告した。
津軽海峡戦に備えるためには、根拠地を隠岐島の島前、能登半島の七尾湾、或いは下北半島の大湊へ移動することも考えなければならない。
しかし、それも敵の針路を掴んでからのことである。
東郷大将は、中立国船による敵艦隊の探知を急いでほしいと要望した。

From Abiko Business Consultants
別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
KAGUYA
2007-09-25 Tue 00:00

Result of the Period Error Correction Maneuver (ΔVc2)(9/21)

The Japan Aerospace Exploration Agency (JAXA) performed the period error correction maneuver (ΔVc2)for the “KAGUYA”.
As a result of the orbit calculation after the maneuver, JAXA has confirmed that the KAGUYA was injected into the following orbit.

Injected orbit
Apogee altitude 379,196 km
Perigee altitude 1,055 km
Period 10 days 0 hours 48 minutes

The satellite is confirmed to be in good health through telemetry data received at the USUDA station.

From the HP of JAXA.
別窓 | ABCからのお知らせ | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百四十一) The Battle of Tsushima
2007-09-24 Mon 00:03
四月十五日、バルチック艦隊にとっては、カムラン湾は第二のノシペになりつつあった。ロシア艦隊は、そこが中立国フランスの領土であることを忘れたかのように振舞った。
島と岸の間に防護柵を設け、岸から石炭や食糧を無遠慮に積み込んだ。
サイゴンからの郵便物や注文した品を受け取っていた。
フランス巡洋艦デカルトが姿を見せた。
座乗しているフランス東洋艦隊司令官デジョンキエー.ル少将が、スワロフを訪れ、艦上で二提督の会見が行われた。
その後、仏巡洋艦は湾内に入り、ロジェストウェンスキー提督が答礼のために同艦を訪問した。
病院船アリョールがサイゴンから帰ってきた。
満州戦線でのニュースがもたらされた。
それによると、ロシア軍の損害は十万、捕虜四万ということである。
ロシア軍の野砲と膨大な軍需物資が日本軍の手に渡った。
奉天は日本軍の手におち、ロシア軍は吉林に退却中であるという。
病院船によって各種の新聞が持ち込まれた。
多くの新聞が、ロシア艦隊と日本艦隊との間で戦闘が行われたといった虚報を載せている。
新聞は、ロシア艦隊がスマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡を通過し、これを迎え撃つため、日本主力艦隊が派遣されたと、報じている。
甚だしい記事によると、ロシア艦隊がジャカルタ沖を通過するのを、記者が目撃した書きたて、ボルネオ北方では、激しい砲撃音が聞こえたと伝えている。
ところで、カムラン湾到着後、提督は湾の防御態勢を急がせている。
湾内へ進入する水路には防柵が設けられた。
補助巡洋艦隊による哨戒と、駆逐艦と汽艇による巡回警備態勢が整えられた。
提督はむー、潜水艇攻撃に備えた対策も講じさせている。
巡洋艦スベトラーナ他がインドシナ半島沿岸の偵察のために外洋に派遣された。

From Abiko Business Consultants
別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
中国国家航天局長、「嫦娥一號」年底發射
2007-09-23 Sun 00:00

中国國家航天局長孫來燕21日香港中文大學舉行的“中國航太事業的回顧與展望”講座上表示,「嫦娥一號」已于8月20日部署在發射場,目前正在進行發射前的準備工作,預計在年底前發射。
孫來燕説,發射前要完成詳盡的測試,“一切都覺得心裏有數再發射,不好具體地說日子,我們也要考慮天氣等問題。”

From ABC



別窓 | ABCからのお知らせ | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百四十) The Battle of Tsushima
2007-09-22 Sat 00:00
戦艦は二列になって前方の湾の入り口を塞いでいる島影に停泊した。
スペトラーナ、アフローラ等の五隻の巡洋艦は湾の奥に泊地を求めた。
リオン、ドンスコイ、ジェムチュグ、イズムールドは湾外に哨戒のために残った。
湾内の測量に従事した駆逐艦の士官や水兵たちは既に上陸していた。
その話によると、湾岸には小さなフランスの居留地があり、ごく少人数の同国人が暮らしている、とのことだった。
既にサイゴンとの電信線は架設してあり、今は岸壁と製氷工場を建設中である、という。
フランス人から聞いたところによると、当地の物価はノシベに比べて格段に安い。
耳寄りの情報があった。それは、ロシア艦隊が到着する一カ月以前に、日本艦隊がこの湾に寄泊したそうであるが、フランス側は駆逐艦を派遣して立ち退きを要請したということだ。
これは、出羽中将が率いる「笠置」「千歳」ほか三隻からなる南遣支隊のことを指しているものとおもわれる。
同隊は、二月二十七日から四月一日にかけて、安南、マレー方面の事前索敵行動を実施している。
サイゴンに派遣された病院船アリョールはまだ帰ってこない。
ところが、本日、サイゴンから一隻の汽船が到来した。
同船には先に派遣されていた幕僚のクリジャノフスキーが便乗していた。
彼はサイゴンで給炭船四隻を傭船し、カムラン湾に連れてきたのだ。
戦艦アレクサンドルでちょっとした事件が起こった。
石炭の保有量を調査したところ、バンカーの残存石炭量は報告書より五百トンも少なかったのだ。
この齟齬の原因は明瞭であった。
石炭積込の都度、奨励金目当てに虚偽の報告を繰り返してきたせいである。
五百トンもの量になると、流石に隠しおおせるものではない。
結局、おそるおそる提督に報告する破目になったのだ。
意外なことに、提督は寛大で、ただ不足分を積み込むことを命じただけだった。
提督の許可が下りないので、上陸することはできなかった。
退屈した士官たちは双眼鏡で岸辺を眺めては、想像をたくましくするばかりであった。
湾の周辺には、切り立った山脈が鋭い稜線を誇示している。
前景の山には、すぐ後方の山並みが覆い被さり、それが幾重にも重なり遠く霞んでいる。
前方の山麓はすぐに海岸に迫っている。
砂浜に散在する玄武岩の塊が、濃い陰影を投げかけている。
山の斜面は潅木に覆われているだけであるが、湾の置くには鬱蒼とした樹林に囲まれた谷間が遠望された。
太陽が沈むと、月光が山肌を包み、熱帯の神秘的な夜景が醸し出された。

From Abiko Business Consultants
別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百三十九) The Battle of Tsushima
2007-09-21 Fri 00:00
四月十四日、艦隊は湾から二十哩ばかり離れた外洋に仮泊している。
錨を下ろさず停泊しているわけだから、艦列はすぐ乱れてしまう。
各艦はときどき、自己の判断で機関を動かし、もとの隊列に戻ろうと試みる。
あやうく衝突しそうになって、見張りが胆を冷やすことも一再ならずであった。
夜明け前に、奇怪なことが起こった。
戦艦部隊は八隻であるはずなのに、艦影が九隻に増えているのだ。
この闖入者が何者であるのか、判断するのに暫くの時間を要した。
スワロフの探照灯が遂に不審船を照らし出した。
それは、国籍旗を掲げていない汽船であった。
他の艦の光芒も一斉にこの船を照射した。
ところが、その汽船は何事もなかったかのように、戦艦の間を通り抜け、立ち去っていった。
駆逐艦が追跡し、臨検を行った。
それは、ドイツ国籍の汽船であり、積荷はなかった。
アリョールの士官集会室では、激論が交わされることになった。
誰もが激昂していた。
「当然、敵の魚雷攻撃に備えるべき緊迫した情勢の下でこのざまは何だ」
「艦隊の無秩序と規律の紊乱がこのように事態を招いたのだ」
一同の怒りは留まるところを知らなかった。
午前十時、艦隊はようやく湾内に入った。
錨を下ろし、二十八日間の無寄港航海は終わりを告げた。
湾は艦隊の泊地としては優れたものであった。
前にも触れたように、湾は二つに別れ水路で繋がれている。
湾から外海に通じる水路には大きな島が横たわっている。
この岩肌を剥き出しにした島のおかげで、航路幅は僅かに二哩程度となっている。
そのため、外海からこの入り口を見分けることは困難であった。
後方の湾に輸送船団が入り、哨戒に当たっていた巡洋艦も石炭補給のために湾に姿を現した。
艦隊が湾に入ろうとしたとき、水平線上に四個の船影が認められた。
間もなく、それはドイツの給炭船であることが判明した。
四隻とも一万トンを越す大型船で、四本マストには強力なクレーンを装備していた。
給炭船は、輸送船団の停泊している後方の湾へ進入していった。

From Abiko Business Consultants
別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
日發射衛星「輝夜姫」
2007-09-20 Thu 00:00
 
「日本宇宙航空研究開發機構」(JAXA)九月十四日發射月球衛星「輝夜姫」,執行調、月球的主要任務。「輝夜姫」是日本流伝的民間傳人物、月宮的美麗公主。
「輝夜姫」衛星是由日本國自行研發的H-2A型火箭發射升空、它從「種子島太空中心」出發。
任務是收集月球起源和演化的研究資料。
JAXA説、是自一九六零年代「阿波羅計畫」開始以來最大的月球任務。

From ABC

別窓 | ABCからのお知らせ | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百三十八) The Battle of Tsushima
2007-09-19 Wed 00:00
手持ちの海図が不正確なため、提督は先ず水雷艇や駆逐艦を湾内に入れて水深を測らせた。
巡洋艦五隻が外洋で哨戒に当たった。
カムラン湾は、内港と外港に分かれており、大艦が進入するのにも水深は十分であった。
ただし、フランス海軍が基地にしている割には、港湾設備が整っていなかった。
湾の入り口から奥へ入ると、まるで広々とした湖水の趣があった。
眼前の丘から渚までがオレンジ色の砂で覆われていた。
丘の上には椰子の木が疎らな葉を広げて立ち並んでいる。
人の気配が殆ど感じられない。
電信局のある場所に数人のフランス人が住んでいるほかには、ベトナム人の集落があるだけである。
カムラン湾は広く深いのだが数十隻の艦隊が接岸出来る岸壁は無論ない。
僅かに小舟が接岸出来るほど浮き桟橋が見えるだけである。
艦隊が湾に近づいたとき、湾内に停泊していた一隻の汽船があわてて錨を揚げて全速で逃走を始めた。
船は島や岩礁を縫って、逃げ回った。
ジェムチュグを先頭にして、イズムールド、スペトラーナ等の巡洋艦がこれを追跡した。
四十分も追い回して挙句、汽船を海岸の岩礁にまで追い詰めた。
他の巡洋艦もその場に集まってきた。
一時間ほど臨検を行った後に、汽船は釈放された。
アリョールの艦上では士官たちが集まって、「それが中立国の船であっても、何故釈放したのか」、「あの船はこの湾に艦隊が隠れていることの目撃者ではないか」と口々に憤慨した。
伝えられるところによると、提督も汽船を釈放したことで機嫌を悪くしているとのことである。
その汽船はドイツ国旗を掲げていたが、実際にはイギリス船であり、積荷は石炭であった。
午前八時から、午後二時まで、戦艦では六時間を費やして石炭の積込を行った。
アリョールは百二十九トンを補給したので、船腹には一千五十トンを詰め込んだことになる。
午後二時、輸送船団は湾内に入った。
戦艦八隻、巡洋艦十二隻と数隻の駆逐艦が外洋で遊弋することになった。
カムラン湾から十五哩沖合いに出た艦隊は、戦隊別に陣容を組んで機関を停止した。
提督の命令により、一夜を外洋で過ごすことになったのだ。
新月の光が小さなうねりのある海面を照らしていた。
風は強くはなかったが、潮流によって軍艦は四方に押し流された。
戦列が乱れた二、三の艦は時々機関をかけて自己の位置に戻ろうと努力した。
新月は西に傾いて、やがて水平線に没した。

From Abiko Business Consultants
別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
JAXA launched first large lunar probe
2007-09-18 Tue 00:00
Jaxa has successfully launched its first large lunar probe satellite on a mission to explore the moon by H-IIA F13 rocket at 10:31:01 a.m. on September 14, 2007 (JST) from the Tanegashima Space Center..
The probe satellite is called Selene, the Selenological and Engineering Explorer and has been nicknamed Kaguya, after a beautiful princess,Kaguya-Hime, in a folk story who ascended to the moon.
Kaguya will orbit the Earth twice before travelling the 380,000km to the moon.
There the main orbiting satellite and two smaller ones will be positioned 100km above the surface of the moon and will collect data on its geology, topography and environment.

From ABC
別窓 | ABCからのお知らせ | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百三十七) The Battle of Tsushima
2007-09-17 Mon 00:00
うるさい尾行者の艦影は水平線に隠れて識別はできなかったが、煙が艦の所在を明らかにしていた。
こんな厄介な監視人のおかげで、提督は予定していた石炭積込を取りやめた。
午前八時、左方前方に二本煙突の巡洋艦が現れた。
同艦は全速力でロシア艦隊の傍ら二マイルほどの距離のところを通過した。
イズムールドが、その艦の名前を確認するために急行した。
これもイギリスの軽巡洋艦であった。
それから数時間後、艦隊は機関を停止して、一時間ほど留まった。
水平線に二本マスト一本煙突の船が姿を現し、艦隊に近づいてきた。
それはイギリスの商船であった。
商船は信号を掲げた。
「我は日本の駆逐艦数隻を目撃せり。あるいは今夜、水雷夜襲あるべし」
この親切な警告も、結局は、虚報であった。
この停泊中に病院船アリョールは提督に呼ばれて、旗艦の舷側に並んだ。
旗艦からボートが下ろされ、そのボートは病院船の右舷タラッブに横付けされた。
病院船はサイゴンへ向かうよう訓令を受けたという話である。
四月十二日、月明が増してきたため、夜間の駆逐艦攻撃の心配は減った。
昨日、病院船アリョールはサイゴンへ向かった。
朝から石炭の積込作業が開始された。
素晴らしい好天であった。
うねりもなく、海面には僅かに小波があるだけである。
哨戒艦が円形を描いて取り囲む中での作業である。
カムラン湾に行き着くまで石炭は不足していなかった。
しかも、艦隊は本日夕刻までにそこへ到着する予定である。
少々、理解に苦しむ作業であった。
四月十三日、夜明けの霧の中から、山脈が見え始めた。
午前二時には、パダラン灯台を見て艦隊は自己の位置を精測した。
艦隊は海岸に沿ってカムラン湾の方向へ進んだ。
提督は、夜明けを待って陸地に接近する積もりと見えた。
そうすると、昨日の石炭搭載は時間潰しであったようだ。
兎も角、四千五百五十哩に及ぶ航海は終わりを告げようとしていた。
ノシベを出たのが三月十六日であり、以来二十八昼夜の連続航海は終了した。
艦隊は湾の外で投錨して並んでいる。

From Abiko Business Consultants
別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百三十六) The Battle of Tsushima
2007-09-16 Sun 00:00
四月十日、艦隊の乗員たちは、次第に敵艦隊に近づきつつあると信じていた。
しかし、その根拠はと問い詰められれば、誰にもそれに答えることはできなかった。
艦内の暑さは激しく、夜間も対敵警戒に狩り出されて、乗組員の肉体的、精神的な疲労は限界に近づいていた。
それに、ノシベを出てから二十数日無寄航の航海を続けた艦隊の貯蔵庫には、新鮮な野菜や肉は尽きていた。
提督の食卓にも、ウオッカ、生肉、コーヒーが出なくなっていた。
誰もが陸地に足を着けたがった。
つまり、一同航海に飽き飽きしていたのだ。
提督からは、灯火管制や針路変更については、何らの指示も下されなかった。
したがって、今のところ艦隊は予定の針路を進んでいる。
旗艦から、信号があがった。
「明日と明後日、早朝より石炭積込の予定あり。準備せよ。積込みの際は各艦とも接近して行い、離散しないこと。常時、汽艇を収容できる態勢を保て」
午前十時、旗艦の無線受信機が解読不能の信号を捕らえた。
意味不明の信号が規則正しく繰り返されていた。
四月十一日、何事もなく一夜が明けた。
夜半まで月が海上を照らしていたため、見張りは楽であった。
夜、汽船二隻と行き違い、艦隊はそれらを探照灯で照射した。
日の出頃、前方水平線に大型船の船影を発見した。
近づくと、それは軍艦であった。
四本煙突のその艦は、イギリスの巡洋艦ダイヤジェムの同型艦であった。
軍艦は快速で近づき、旗艦の横に来ると機関を停止して、提督旗に対して敬礼の旗を掲げた。
巡洋艦アレークが艦列を離れて、イギリスの巡洋艦へ向かった。
アレークはイギリス艦の艦尾を迂回した。
やがて、イギリス巡洋艦は快速で立ち去っていった。
このとき、艦隊の見張り員は、遥か後方の水平線上一筋の煙を認めていた。
それは高速で走り回る駆逐艦のように見えた。
その煙はイギリス巡洋艦に近づいて、すぐ右方に転回して立ち去っていった。
しかし、この船はそのあとずっと、ロシア艦隊に付きまとうことになった。

From Abiko Business Consultants
別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
KAGUYA Orbit Injection Error Correction Maneuver
2007-09-15 Sat 13:48

JAXA plans to carry out an orbit injection error correction maneuver for the “KAGUYA” from around 5:12 a.m.on September 15, 2007(JST.).

From ABC
別窓 | 未分類 | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百三十五) The Battle of Tsushima
2007-09-15 Sat 00:00
各艦では、どこも大騒ぎとなった。
木製のものは取り壊されて、船倉に詰め込まれた。
砲甲板に備え付けられた機械類を保護するために、石炭袋が持ち込まれた。
貴重品は全て麻縄等で固縛された。
夜八時、南支那海に入った。
巡洋艦アレーク、ジェムチュク、イズムールド及び第二駆逐艦部隊には、戦闘時の蒸気圧を保持するように、と命令が下された。
艦隊では、一晩中、誰も眠らなかった。
翌日の朝、水雷戦隊が石炭搭載を行ったので、艦隊は数時間ほど停止した。
考えて見れば、日本艦隊が要害堅固が自国沿岸を遠く離れて戦う根拠はなかった。
ここ南支那海にもし日本艦隊がいるとすれば、それは補助的な哨戒艦隊と駆逐艦部隊にすぎないであろう。
四月九日、昼も夜も何事もなく過ぎた。
灯火をつけた艦影が艦隊を附けている。
艦は、シンガポール通過時に湾内に停泊していたイギリスのアンドロメダ型の四本煙突の巡洋艦らしかった。
ロシア艦隊が通過するのを見て、抜錨したのであろう。
マラッカ海峡を抜けると、艦隊は真直ぐにサイゴンへ向かっている。
午後四時、艦隊の泊地となるカムラン湾まで、あと六百哩の距離に達した。
カムラン湾はフランス領・ベトナム中南部にある湾であり、南シナ海に面した十分な水深を持つ良港である。
艦隊は午前の石炭搭載作業のあとで、編成替えを行った。
右側には戦艦八隻が単縦列に、左側に巡洋艦が同様に縦列を組んだ。
そして、二つの縦列の間に駆逐艦と輸送船団を配置した。
先鋒としては、四隻の巡洋艦が戦闘隊形をとって航進した。
夜十時、ロジェストウエンスキー提督から、巡洋艦部隊の旗艦アルマースのエンクウィスト少将あてに電信が発信された。
「日本海軍主力艦隊との衝突の際は、巡洋艦アウローラ、アレークの両艦を戦艦援護の派遣し、貴官はアルマース、ドニエプル、リオン、ドミトリー各巡洋艦および第二駆逐艦部隊を率いて輸送船団が艦隊から離脱しないよう護衛の任務に当たられたい」
艦隊決戦の場において、巡洋艦三隻と駆逐艦一部隊を割いて輸送船の護衛に当たらせるとは、これもロジェストウエンスキー提督の戦争観の現れであろうか。

From Abiko Business Consultants
別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
Launch Result of the KAGUYA
2007-09-14 Fri 14:56
Mitsubishi Heavy Industries, Ltd. and JAXA launched the Lunar Orbit Explorer "KAGUYA" by H-IIA F13 at 10:31:01 a.m. on September 14, 2007 (JST) from the Tanegashima Space Center.
The launch vehicle flew smoothly, and, at about 45 minutes and 34 seconds after liftoff, the separation of the KAGUYA was confirmed.

From ABC
別窓 | ABCからのお知らせ | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百三十四) The Battle of Tsushima
2007-09-14 Fri 00:00
午後三時、艦隊はシンガポール沖を通過した。
すると、港からロシア領事の旗を掲げた汽艇が走り出て、急ぎ足で艦隊に近づいてきた。
その船には、「本船にロシア領事便乗。提督と個人的に面会したし」という意味の信号旗が揚げられたが、艦隊は停止しなかった。
ただ、駆逐艦ベドウィが汽艇に差し向けられた。
便乗していた領事は、七等官のルダノフスキーという人物であったが、彼は接舷した駆逐艦に何か包みを渡した。
駆逐艦は、それから第一戦隊の縦陣に沿いながら疾走し、メガフォンでニュースを伝えた。
「日本艦隊はボルネオの北方にあり。クロパトキンは免職となり、後任にリネヴィッチ任命さる」
領事の乗った汽艇は、しばらくの間、旗艦の舷側について走った。
夕刻になって、スワロフから戦艦オスラビアのフェリケルザム提督個人宛の信号があがった。
「三月五日、二十二隻からなる日本主力艦隊、東郷提督の指揮の下に、シンガポールの碇泊所に来る。この艦隊は目下ボルネオ島ラブアンに在り。巡洋艦やよび駆逐艦はナッツ諸島に潜む。昨日彼らはわが行動を探知せるものと思わる。ネボガトフはジフチを出発せり」
もはや、艦体内では日本艦隊が二百哩のところにいるということを疑う者はなかった。
何しろシンガポールに住んでいる領事は、二十二隻の日本艦隊が入港したのを、はっきりと見たのに違いない。
日本艦隊は、わが艦隊が日本近海に近づくのを待ちかねて、その前に迎え撃つ作戦に違いない。
ところが、これは領事の虚報であり、日本艦隊のただの一隻もシンガポールにはいなかったのだ。
しかし、その当時は、誰もがそれを信じたのだ。
乗組員は急いで臨戦態勢にとりかかった。
因みに、日本艦隊が潜むというラブアン島とは、ボルネオ本島より沖合い約九キロほどに浮かぶ小さな島である。

From Abiko Business Consultants
別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
Launch Postponement of the KAGUYA
2007-09-13 Thu 07:15

The new launch date will be September 14 (Fri,) 2007 (Japan Standard Time, JST.) .
The launch time is scheduled for 10:31:01 a.m. (JST.).

From ABC
別窓 | ABCからのお知らせ | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百三十三) The Battle of Tsushima
2007-09-13 Thu 00:00
四月七日、早朝から艦隊の先頭の位置で哨戒にあたっている巡洋艦は、敵の幻影に悩まされていた。
十時頃になって、アルマーズが信号を発した。
「針路左方に敵艦を発見せり」
艦隊に戦闘警報が鳴り響いたのは、言うまでもない。
確かに水平線には二本の煙が立ち上っている。
やがて、それは快速で近づいてくる汽船のものであることが判明した。
しかし、アルマーズは汽船の陰に駆逐艦が隠れているのを見たと、言い張った。
提督から後尾のアレークに蒸気圧を上げて待機せよ、との命令が出された。
まもなく、その汽船は艦隊の周りを回り始めた。
汽船はイギリス国籍のものであった。
同船はアレークの傍らを通過する際に信号を掲げて、この海域で四隻の汽船が艦隊に合流する、と伝えた。
夜になって、アリョールはまた故障した。
右舷九度に舵を取った際に急に操舵機が動作しなくなったのだ。
艦はそのまま右周りに旋回し始めた。
アリョールは艦隊から脱落した。
原因はお粗末なものであった。
艦艙当番兵が間違って操舵機の蒸気管を閉じてしまったのだ。
この粗忽者の水兵は、本当は艦艙への蒸気管を止めたかったのだ。
当直士官の機転により、故障原因の発見が早かったので、重大な事故にまでは至らなかった。
しかし、艦長は興奮して、日頃の自制心を失い、周囲の者を叱り飛ばした。
四月八日、夜空には雲はなかったが、まだ幼い新月は夜空に月明を与えるほどの力はなかった。
南十字星が海面に光を落とし、艦影は容易に識別できた。
夜間も頻繁に商船と行きかった。
その度に、執拗に艦隊の探照灯の光芒が相手船を追跡した。
右舷に帆を張ったスクーナーが通りかかり、早速探照灯の餌食となった。
この船を調べるために、駆逐艦ベドウィが派遣された。
ベドウィは探照灯で真正面から照らしながら、哀れなスクーナーに突進した。
昼食後になると、馬来半島の最南端、シンガポールの街が左舷に現れた。
双眼鏡で眺めると、湾内の様子が手に取るように見えた。
二隻の軍艦と十隻ほどの汽船が舫っていた。
陸上に目を転じると、海岸には数個のタンクが認められた。
その背後には白い四角い建物が重なり合うように建っていた。
その間には緑色の線が縦横に走っていた。
その中ではゴチック風の寺院だけが際立って明瞭に認められた。
イギリス人の支配する人口十五万のこの市は、密林の中のオアシスのように印象的であった。
右舷の前方には無人島が点在し、鏡のような海面が島の橙色の砂浜を洗っていた。

From Abiko Business Consultants
別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百三十二) The Battle of Tsushima
2007-09-12 Wed 00:00
乗組員たちは海の色が変わったことに気づいた。
印度洋の真ん中のあの紺碧の色調とは異なり海峡の海は緑灰色をしていた。
右舷はるかにスマトラ島の山脈が遠望できた。
午後四時頃、前方水平線上に六本の煙が立つのが見えた。
それは、すぐ消えてしまったが、艦隊には緊張が走った。
五時近くなって、右舷の十二、三キロをフランスの旅客船が通過した。
相手も四十五隻にわたる大艦隊の威容に驚いたのか、初め掲げ立ていた小さな国旗をあわてて大きなものに取り替えた。
よほど、誤認をおそれたものとみえる。
四月七日、夜半十二時頃、強風が熱帯性の驟雨を伴って襲ってきた。
雨は時々小降りになったが、朝まで降り止むことはなかった。
艦隊は商船航路を通過しているので、各艦は航海灯を点けていなければならない。
衝突を避けるためである。
航海灯の数は一艦で四乃至七となるため、艦隊の全容は簡単に分かってしまう。
海面には靄が立ち篭めている上に、艦隊の吐き出す大量の煙が交じり合って、視界は極端に悪くなっていた。
探照灯の光芒も僅か一キロ半ほどで靄に吸い込まれてしまう。
これは魚雷攻撃の可能な距離である。
艦隊の側防は極めて薄かった。
それは、戦艦自身の見張りだけであったのだ。
四隻の新鋭戦艦の一隻でも損傷すれば、艦隊の機能は麻痺してしまうであろう。
言うまでもなく、これらの戦艦部隊が艦隊の防御と攻撃の要であるからである。
乗員たちは日本の潜水艦の襲撃の恐怖に怯えながら、一夜を過ごすことになったが、
滑稽なことに、この当時、日本海軍は潜水艦を保有していなかった。
日本海軍が初めて潜水艦を持ったのは、明治三十八年九月のことであり、実に日露戦争集結の一ヶ月前であった。
しかし、ロシアにおいては、これより以前に潜水艦の建造を行っていた。
余談になるが、この日本最初の潜水艦はアメリカから輸入されたホランド十型と呼ばれるものである。
この艦は、全長二十・四メートル、最大幅三・六メートル、水中排水量百二十四トン、水上最大速力八ノット、水中最大速力七ノット、兵装は艦首に直径四十五センチ魚雷発射管一基を備えていた。
日本海軍は、これを五隻購入し、分解して運び、横須賀の海軍工廠で組み立てた。
この五隻のホランド型をもって第一潜水隊を編成した日本海軍は、佐世保沖で挙行された日露戦争戦勝祝賀観艦式に参加した。

From Abiko Business Consultants
別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百三十一) The Battle of Tsushima
2007-09-11 Tue 00:00
四月六日、戦艦アリョールが故障を起こした。
汽罐室で蒸気管が破裂し、物凄いうなり声をあげて蒸気が噴出した。
罐圧は四十ポンドにまで下がった。
犠牲者はでなかったが、アリョールは戦列から離れることとなった。
二隻の巡洋艦と駆逐艦一隻が護衛のために残ってくれた。
提督から信号が質問が飛んできた。
「その場で停止しているのは危険である。微速なりとも前進は不可能なりや」
破損した汽罐の圧力弁を閉め、その他の汽罐の圧力を上げる作業に一時間半もかかった。
その間、艦長は艦橋に立ち尽くし、声が嗄れるまで怒鳴り続けた。
彼は、伝声管を通じて機関部員を叱咤したのだ。
「何時になったら済むのだ」
やがて、アリョールは動き始め、みるみる速力を上げて戦列に復帰した。
艦隊はオランダ領スマトラ島の海岸沿いに、九ノットの速力で進んでいった。
敵艦隊との遭遇の危険性は、刻々と増してきた。
アリョールの艦上では、可燃物の撤去が開始された。
甲板上の小屋や仕切りが撤去され、艦尾バルコニーの椅子等が解体された。
鋼索で砲塔の補強と開口部の防御作業が一日中行われた。
夜明け前、午前三時ごろか、艦隊の左舷側をドイツの汽船が通過した。
白色に塗られた船体、一本煙突の高速船である。
汽船は全艦隊の注視の的となり、一斉に探照灯の照射を浴びせかけられた。
ドイツ汽船は、コロンボへ向かう予定である、と告げた。
朝七時、戦艦スワロフと駆逐艦の隊列の中間地点の海面が奇妙に泡立ち始めた。
それは、あたかも何者かが強くかき回しているように見えた。
スワロフは、急いでニポイントほど右舷に身をかわした。
続いている艦列もこれに従った。
一方、駆逐艦のほうは左舷に転回した。
誰もが最初に考えたのは、浮上中の潜水艦によるものではないかと、いうことであった。
しかし、空から漏斗状の雲が舞い降りてくるのを見て、それが竜巻の発生であると分かった。
水面からは曲がりくねった水の柱が立ち上った。
柱はアリョールの艦尾を通り抜けて、雲の中に上昇していった。

From Abiko Business Consultants
別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百三十) The Battle of Tsushima
2007-09-10 Mon 00:00
艦隊はぼつぼつ外国の商船と出会い始めた。
艦隊に付属する駆逐艦も曳船から離れて自力航行に移った。
マラッカ海峡は、マレー半島とスマトラ島を隔てる海峡で、全長は約900キロ、幅は約70から250キロ、平均水深は約25メートルで、岩礁や浅瀬が多い路地のような海峡である。
ここは、太平洋とインド洋を結ぶ主要航路の一つとなっており、当時も
経済的・戦略的には世界のシーレーンの中では最重要な地位を占めていた。
夜間になると,各艦は汽灯と舷灯だけを点けて進んだ。
マストの見張台にも兵員が配置された。
各砲側には指揮官と砲部員が交代でつききりになった。
砲火薬庫の扉は開放され、何時でも砲弾を運び出せるよう、係員が待機していた。
全ての舷窓の鉄蓋は閉じられたため、艦内は蒸し風呂のようになった。
なにしろ、艦は熱帯の太陽に一日中照り付けられていたのだ。
四月五日、不穏な事件が起こった。
それは、巡洋艦テレークの艦長から提督への無電によって明らかになった。
「乗組員が不法に集会して解散命令に応じない。彼らは副長の更迭を要求している。本官は乗組員の要求を正当と認めない。」
提督からの指示が直ちに送信された。
「審理の終わるまで、二等下士を水兵に降格させ、後任を選任せよ」
テレーク艦長の要請により、二隻の駆逐艦が同艦へ近づいていった。
不逞の水兵たちへの威嚇のためである。
しかし、何事も起こらず、駆逐艦は引き返してきた。

From Abiko Business Consultants

別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百二十九) The Battle of Tsushima
2007-09-09 Sun 00:00
ウラジミール・コスチェンコが提起した第三の点は、戦闘時受ける船体・施設の破損に対する応急修理の組織化とその準備であった。
彼は、現在で言う、ダメージ・コントロール・システムの必要性を強調したのである。
いうまでもなく、戦闘時には敵の砲弾・魚雷または自艦の砲弾の誘爆による被害は避けがたい。
特に、艦を沈没の危険にさらすのは、装甲腰板から上の軽装甲舷に生じる破口である。
艦の傾斜が七度を超えると、その破口は水面下に入るため、浸水とした海水の量によっては転覆の危険すら生じてくる。
それ故に、これらの破口や破損の閉塞は、急を要することになる。
破口を塞ぐ材料としては、舷側の鋼板に接着する木材の縁に樹脂で固めた布帯をつけた塞板と、それを取り付けるための支柱と楔を用意しておく必要がある。
戦闘中に艦が傾斜することは大きな危険を伴うことは論を待たない。
傾斜は水面下の舷の破損、甲板や隔壁の漏水、水面上の舷の破口からの波浪の奔入、消火用水の甲板からの溢水、艦の急速旋回等が起因する。
最後に艦内の重要施設や機器類に防御遮蔽を施すことが検討された。
それらの防御資材としては石炭袋、鋼索、索等が利用できる。
砲術、機関、電気、航海の各科長からもその持ち場に即した提言が出されて、総合的な戦闘準備計画の作成されることになった。
四月五日の夜明け、左舷前方に島影が見え始めた。
四時間過ぎると、右舷にも陸地が現れた。
二十日間の航海の後、艦隊乗員はやっと陸地を目にしたのだ。
ノシベから印度洋横断の二十昼夜で、ロジェストウエンスキーの艦隊は三千百六十マイルを航海したのだ。
艦隊はマラッカ海峡に入った。
二列の戦艦部隊は、それぞれ旗艦を先頭にして進んだ。
四隻の巡洋艦が戦艦部隊の前方で哨戒任務にあたっていた。
ジェムチュグとイズムールドが旗艦の真横について護衛の任を果たしていた。

From Abiko Business Consultants

別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百二十八) The Battle of Tsushima
2007-09-08 Sat 00:00
三月三十一日、昨日からの強い風が、今日は暴風に変わった。
朝から大波が舷側を叩き続けている。
時には、砲甲板の舷窓までも洗うほど立ち上がってくることがあった。
巡洋艦までもが波に翻弄されていた。
特に、ジェムチュク、イズムールドは酷く、三十度以上も傾くことがあった。
しかし、不思議なことと言えば、不思議だがこの風では故障艦は一隻もでなかった。
プラベまで七百五十マイル。
あと五日の航海である。
日毎に日本巡洋艦隊との遭遇の可能性が増してきた。
アリョールでは、この問題に関して艦長は、各科の長を集めて協議の場を開いた。
機関士ウラジミール・コスチェンコも出席した。
彼は,戦闘時の艦の保全についての諸点を力説した。
第一には、艦の安定性、速力、不沈性を高めるために、極力積荷を減らすことを提言した。
そうすれば、艦を設計喫水に近づけることができる。
艦は基準排水量以上の過重はせいぜい一千トンまでに抑えれば、喫水は二十七フィート十インチ、メタセンター高は三フィートと安定した状態を保てる。
因みに、重心 Gからメタセンター M までの距離をメタセンター高さといい、浮力の作用線と船体中心線との交点 M をメタセンターと呼ぶ。
この数値が復原力を示す一つの目安となっている。つまり、傾きが極端でなければメタセンターの位置は一定だと見なせるので、重心がメタセンターより下にあるほど復原力が高いとされている。
この状態であれば、砲甲板は水線上に浮き、舷側の装甲腰板も水面上に顔を出すため、戦闘時の走行性能を著しく良好に保つことができる。
第二の点は、消火対策の確立である。
戦艦においては、長期の熱帯圏の航海に備えて居住区や艦橋に木材類の家具等が配置されている。
このような可燃物は、敵の榴弾が破裂した際の火災の餌食となるのは必定である。
ひいては、それが原因となって艦上構造物に大火災を引き起こすおそれがある。
当然、消火に当たっては、多数の人員を投入することになるが、それらには多大の損失をもたらす可能性は大きい。
また、消火のために甲板に流す大量の水は、管系統や電気配線を損傷し、艦に重大な危険を招くことも想定できる。

From Abiko Business Consultants

別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百二十七) The Battle of Tsushima
2007-09-07 Fri 00:00
三月二十八日、夜明け前から艦隊は停止して、石炭積み込みの体勢に入った。
戦艦と輸送船が内円を描くと、駆逐艦と巡洋艦が外円を作った。
すなわち、同心円の二重の環が海上に引かれたのである。
海面は穏やかで、いつものように緩い大きなうねりが見られるだけである。
アリョールは九時間の作業で二百七十五トンを積み込んだ。
スワロフは三百二十五トン、オスラビアは二百八十二トンである。
本日、提督から信号の要領と戦闘中の援護順序についての命令が出された。
戦艦が重大な損傷を受けた場合には、スベトラーナまたは一等巡洋艦が、交戦中でない限り救助と援護に赴く。
これに次ぐ順序としては、軽巡洋艦ジェムチュグ、イズムールド、曳船ローランド、そして最後の順位が戦艦部隊付属駆逐艦のうちの二隻となっていた。
哨戒巡洋艦同士は相互に援助を行う。
輸送船の援助は警戒任務についている巡洋艦か予備の巡洋艦が行うが、最悪の場合には武装輸送船イルティシ、アナヂル、カムチャッカが救助に当たる、という内容であった。
シソイに事故が起こった。
石炭搭載作業に従事していた搭載汽艇が、突然強い波の力で舷側に押し付けられ、水雷防御網の支柱に引っかかり転覆沈没したのだ。
僅か十五秒間の出来事であったが、幸い乗員は全員救助された。
艦隊の進路がようやく乗組員に知らされた。
仏領印度支那サイゴンの北方百マイルに位置するパタング湾に向かうとのことである。
これで、太平洋への経路は、マラッカ海峡であると判明した。
夜半、赤道を通過して、艦隊は北半球へと戻った。
実に、四ヶ月ぶりのことである。
三月二十九日、早朝から石炭積込作業が開始された。
ところが、十二時ごろには風雨が強くなり、石炭を満載した艀の曳航が困難になった。
二時半、遂に作業は中止された。
残りの積込は明日に延ばされた。
アリョールは二百二十一トンを積載したので、貯炭量は一千九百五十トンとなった。
ロジェストウエンスキー提督は、無風地帯にいる時間を極力燃料補給のために使おうとしていたのだ。
彼は、戦艦の適正保有石炭量は一千五百トンを下ってはならないと、確く信じていたのだ。

From Abiko Business Consultants

別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百二十六) The Battle of Tsushima
2007-09-06 Thu 00:00
三月二十四日、ゆるやかな大洋のうねりが、戦艦にすらもかなりの縦揺れを感じさせた。
それでも、甲板に水を被るほどのことはない。
提督からナワリンへ信号が送られた。
「ナワリン。貴艦は舵の取り方がうまくない。いまのうちに訓練しておかないと戦争の時、惨めなとになるぞ」
またまた、提督からのお小言であった。
夜十一時になって、最後尾についていた巡洋艦オレーグが、旗艦宛に「怪しい灯火を発見」と信号を送った。
スワロフから問い合わせの信号が発せられた。
「まだ見えるや」
「現在は見えず。ただし、当該怪灯火は艦長以下全ての士官が自室から目撃せり」
後で判明したのだが、灯が見えたことは事実であった。
ただし、それはオレーグに近づいた船の煙突から出た火の粉であった。
敵艦が待ち伏せしている、という噂はしょっちゅう艦隊内を駆け巡っていた。
現に三月二十一日の午後七時、巡洋艦アルマーズへ提督から信号が入った。
「国籍不明の巡洋艦発見。輸送船を終結せよ。本日の探照灯訓練は取り止め」
国籍不明の巡洋艦発見の無電を発したのは、先頭で哨戒に当たっていたウラルであった。
提督からの警戒命令は、「補助巡洋艦ウラル、テーレク、クバニ、ドニエプルは最初に攻撃を開始し、巡洋艦スベトラーナ、ジェムチュクおよびイズムルードはこれを支援せよ」
であった。
戦艦アリョールでも、一部の砲は砲弾を装填して、砲員はそれぞれの持ち場で眠りについた。
夜十二時になって、左翼の前衛にいたドンスコイから信号が入った。
「並進進路を行く灯火三つが見ゆ」
三月二十六日、既に艦隊の航海は十日間に及んでいる。
行き交う汽船の姿も見られない。
離れた海域で強い風が吹いているのか、それまでの長い緩やかな海面のうねりが、短く鋭いものに変わった。
駆逐艦は波に翻弄され、その度に曳索が切れた。
輸送船団は右往左往に陥り、とても隊列を組める状態ではなくなる。
夜に入ると、またスワロフから盛んに信号が発せられ始めた。
例によって、提督が憤激して、どの艦かの艦長に叱責の言葉の洪水を浴びせかけているのであろう。
シソイはまた列外に外れたため、スワロフの真横に並ばせられて、提督の直接の監視下に置かれている。

From Abiko Business Consultants

別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百二十五) The Battle of Tsushima
2007-09-05 Wed 00:00
スワロフをはじめ、戦艦の甲板には牛が積まれていた。
牛たちは石炭袋の間に容赦なく排泄をした。
水兵たちは、その度に清掃作業に駆り出された。
しかし、その牛も段々減ってきて、合間々々には怪しげな塩蔵肉が食卓にのぼるようになった。
しかし、それらは暑さですっかり駄目になっていた。
糧食庫から甲板に持ち出してきた、塩蔵肉の樽の底を斧の背で叩き割ると、発酵した塩水が音を立てて噴水のように飛び出した。
それと同時に、胸の悪くなるような臭いが甲板中に広がった。
水で何回洗っても、とても口にできるような代物ではなかった。
どの艦船かで、当直将校が懲罰を食わない日はなかった。
病院船アリョールでは、旗艦の呼出信号に応じなかった咎で、空砲を三発も食らわされた。
譴責を受けた艦船は、旗艦の横に並ばされた。
三月二十三日、戦艦シソイがまたへまをやらかした。
同艦は、左縦列の二番目を進んでいたが、突然、右列に旋回して右縦列に突っ込んできかけた。
シソイは慌てて機関を停止すると、元の方向へ引き返した。
ところが、今度はあらぬ方角へ進み始めた。
アリョールの甲板では水兵たちが、首を捻っていた。
「変だな」
「あの艦は、ロシアへ帰る積もりなのかね」
途端に、提督の信号が飛んだ。
「シソイ。貴艦は何処へ行くつもりか」
「舵の故障であります」
提督は、シソイの副長に無電室へ行くように命じた。
提督は無電で叱責を始めたのである。
「当直は誰か」
「大尉Nであります。」
「当直将校は看護長の衛生監視下におけ」
提督は、皮肉を込めて、当直士官の精神状態の異常を判定したのである。
このような騒ぎは毎日のように繰り返された。

From Abiko Business Consultants

別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
ツシマ沖の海戦(その四百二十五) The Battle of Tsushima
2007-09-04 Tue 00:00
石炭搭載作業には、士官も加わって、それこそ総動員で行われた。
作業中、一時間おきに搭載量を信号を使って司令官に伝えなければならなかった。
アリョールでは、他艦に遅れることをおそれて、シドロフ副長までが荷揚機の側に立って、作業を手伝った。
彼の白い夏の軍服も、白髪交じりの口髭も、石炭の粉で黒く染まってしまった。
「皆、しっかりやれ。びりっ尻になるなよ」
時折、副長は大声を出した。
水兵たちは、ボロボロになった作業ずぼんを穿き、上半身は網シャツで覆っていた。
足には手製の藁靴を履いていたが、ひどいものはボロ布を巻きつけていた。
水兵帽を被っている者は、ほんの少しであった。
ほとんどの者は、古い帆布で作った帽子か、これも古い布を使った頭巾を頭に載せていた。
それは、まるで艀の荷揚人足の群れを想像させた。
ロシア帝国海軍水兵のかっての凛々しい面影は何処にもなかった。
どの艦も石炭の黒い埃に包まれていた。
荷揚機の騒々しい音と人々の叫び声が交じり合って、艦上に激しい喧騒を醸し出していた。
艀やボートを曳航する汽艇が、うねりに揺られつつ、忙しく艦船の間を動きまわった。
この作業は昼食のための短い休憩を挟んで、夕方の五時頃まで続けられた。
スワロフからの「作業止め」という合図があるまで、のべつ幕なしに続行したのだ。
ボートや汽艇等が艦上に引き上げられると、艦隊は再び陣形を組んで、航進を開始した。
ノビコフは書いている。
「この石炭作業という奴が、一番艦隊の力を浪費させた。帆走戦艦の奴隷漕手の方が、我々より楽だったかも知れない」
水兵たちの口の中はざらざらで、身体中の毛穴にまで、石炭の細かい塵が食い込んでいた。
なにしろ、兵員室の床の上にまで、石炭袋が積み上げられたため、水兵たちはその上に寝る始末であった。
砲甲板にまで山積みしたので、敵の駆逐艦の襲撃を受けても、七十五ミリ砲は、とても操作できないのでは思われた。

From Abiko Business Consultants

別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
| Abiko Business Consultants | NEXT
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。