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ツシマ沖の海戦(その三百五十五) The Battle of Tsushima
2007-06-26 Tue 03:28
近衛師団長浅田信興中将も、風塵に乗じた追撃を決意した。
また、第四軍第十師団長安東貞美中将も、この機に乗ずる進撃を決断した。
両師団は、ほぼ同様なコースをとって北進していたが、渾河は一足先に第十師団が渡った。
そして、下馬家湾子の西、烟台北方の高地に進出した。
一方、近衛師団は、第二旅団第四連隊が風塵で視界を狭められた上に、渡橋が独木橋であったため、渡河が大幅に遅れた。
当初の計画であれば、近衛第二旅団を渾河北岸に留めて攻撃部隊とし、その後で近衛第一旅団が護山堡から文官屯へ進出する予定であった。
ところが、近衛第三連隊の方が、下馬家湾子の南側を先に徒渉して、そのまま旧站に進出した。
この地点での渾河は結氷していたのである。
近衛師団長浅田中将は、旧站付近の渾河が結氷しており、渡河が容易であるとの斥候による報告を受けた。
浅田中将は、近衛第一旅団に攻撃隊第二旅団を超越して前進することを命じた。
同旅団は、先発させておいた騎兵斥候から右の第十二師団、左の第十師団が既に渡河を終えていることを知った。
そこで、砂塵の中を結氷した渾河を渡り、旧站で小休止すると、直ちに北進して、下荒地溝に進出した。
同地は護山堡の南に当たる地点である。
近衛第一旅団の先鋒は、なおも吹き募る砂嵐をついて、夕刻には、護山堡の手前、諱当湾に達した・
この日の近衛師団の渾河徒渉については、司馬遼太郎氏の坂の上の雲にも、同師団所属の北原信明一等軍医なる人物の口述筆記が引用されている。
それによると、「朝九時ごろ(正確には午前十一時ごろ)からであったかな、それは物凄い風が吹いて来て、本にもこのことが出ておって、烈風砂塵を捲き、咫尺を弁ぜずと書いてあるが、それこそ一間先が見えん。昔の青山練兵場で旋風が捲き起ったやうな具合でな、それが南風なのだから、こつちは追ひ風ぢや。
敵もこっちがまるで見えん。そのために、砲車でも何でもすぐその陣地(ロシア軍陣地)の傍を通過することが出来たのぢや。渾河の水は凍ってをった。
わしらなんぞも、渾河なんぞと言ったところで大した河ではないなアなどと思ひ乍らそこを通ったのだが、数日ののちになると、河水が一時に溶けてな、嘘のやうな話だが、隅田川くらゐもある河になつた。驚いたよ。しかし、そのときは、その河も凍つている。南風で烈風の中だから、わが軍がその陣地のすぐ傍の河の上を通過してをることが、敵の眼からはまるで見えんのだよ。
そのために、悠々とその陣地を突破した。わが軍にとっては神風とでも言ふところだが、しかしこれが、露西亜にとつてはその敗因になつた。」とある。

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