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ツシマ沖の海戦(その三百三十八) The Battle of Tsushima
2007-06-09 Sat 00:09
ロシア側が神経質になったのも当然のことであった。
文官屯といえば、東清鉄道の停車場のある場所であり、そこを日本軍に占拠されれば、いうまでもなく鉄道線路の遮断を意味することになる。
しかも、同地の守備兵力は、ロシア第二軍参謀のポルホウィチノフ大佐が指揮する三個大隊に加えて、ウスリー騎兵師団第一旅団長パウロフ少将の指揮下にある騎兵六中隊であった。
ただし、保持する砲は僅かに十四門しかなかった。
ところが、ロシア側の危機意識の高まりに反して、日本側の攻撃は鈍かった。
確かに、日本軍は、文官屯駅の第九十七号待避所付近を砲撃し、南行してくる列車にも砲火を浴びせた。
もっとも、線路は日本砲兵側から見れば、土堤のかげになっているため、観測兵たちはもっぱら機関車の煤煙を目当てにして射撃を指示した。
そのため、一髪も命中しなかった。
しかし、程無く日本軍は観音屯に移動し始めた。
第一師団第二旅団長中村正雄少将は、まず西方の観音屯を制圧してから、文官屯の攻略にかかるのが、順当な戦法であると判断したからだ。
また、それが第一旅団の三台子攻撃の側面援助になると計算したのだ。
だが、観音屯の守備は堅固であった。
同村はガウリロフ大佐が指揮する第百六十二連隊と砲兵一個中隊が占拠しており、その猛烈な抵抗により、第二旅団を同村の西北角にくぎ付けにしてしまった。
一方、第一旅団は、まだ味方砲兵の制圧射撃の効果待ちのために、三台子の北方に待機している状態であった。
これが正午頃の戦況である。
第三軍の攻勢はすでにこの時期,頓挫していたのである。
ロシア側の判断も、それを指摘している。
ちょうど,この頃、文官屯にはロシア第二軍司令官カウリバルス大将が戦線視察のため訪れていたが、大将は各地の状況を総合勘案して、満州軍総司令官クロパトキン大将に報告した。
第二軍は、余裕を以て日本軍の攻撃を撃退しつつあり」

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