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ツシマ沖の海戦(その三百三十二) The Battle of Tsushima
2007-06-03 Sun 00:17
この日の第二軍は、正午に午前十一時発の総司令官命令を受領したが、奥大将は、取り敢えず自軍の各部隊には前進準備を整えることにして、全軍を発動させようとはしなかった。
他方、第三軍の方は、攻撃前進を開始した。
第三軍は、左から右へと第一、第九、第七師団と並んで攻撃を始めた。
ただ、第一師団は濃霧に阻まれて、前進が困難になったため、第七、第九両師団が攻撃の主体となった。
第七師団の右翼は、後備第十五旅団が受け持った。
旅団長は松居吉統大佐である。
同旅団は夜明け前に、三家子を出発し、前進を続けたが、目標としていた後丁香屯の手前でロシア軍に発見された。
後丁香屯を守っていたのは、ロシア第百四十連隊であり、その記録によると日本軍を五百歩の距離にまで引き寄せておいて、機銃二丁と一斉射撃により壊走させた、とある。
日本側の記録も、この間の事情を「濃霧在りて指揮に便ならず・・・同村土塀には数線の銃眼を設け、南方丘阜に重塁せる散兵壕あり・・・・死傷愈々増加し・・」
と記している。
後備第十五旅団の難局を知った第七師団長大迫尚敏中将は、松居大佐に指令した。
「少なくとも三家子、劉家窩棚の線を固守すべし」
退却は認めるが、敵の反撃は食い止めろ、との趣旨である。
ところが、その退却が円滑には進まなかった。
一部の兵士が後丁香屯の北側にある墓地に取り残されたのである。
松居大佐は、退却命令を伝えるために伝令を派出したが、途中で死傷してしまい、連絡はとれなかった。

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