We must protect the senile elderly people from unscrupulous business operators by using the adult guardianship system.

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社保庁・年金法が成立
2007-06-30 Sat 04:23
社会保険庁改革関連・年金時効停止特別措置法が、30日午前1時前、参院本会議で可決・成立されました。
社保庁改革法は同庁を10年1月をめどに廃止し、非公務員型の「日本年金機構」に変えるというものです。
ただし、国は年金の管理運営に責任を負い、職員採用にあたっては、第三者機関の意見を聞くという内容です。
また、年金特措法では記録漏れが見つかっても5年間しかさかのぼって受給できないという会計法の時効を適用しないで、全額を補償することになります。

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ツシマ沖の海戦(その三百五十九) The Battle of Tsushima
2007-06-30 Sat 00:03
第一師団長飯田中将は、周辺に所在する各部隊に対して、田義屯防衛命令を下達した。
同地を守備していた第一師団野戦砲兵第一連隊長兵頭雅誉大佐は、部落を飛び出し退却してきた兵士たちを誰彼となく捕まえては、「敵はどこだ。距離は」と尋ねたが、
「あっち、こっち」と頗る要領を得ない。
「水鳥の羽音に驚いて逃げた平家の故事とは、かかるものか」
大佐は胸中に嘆声を発したが、事態は急迫していた。
大佐は指揮下の各砲兵中隊に、「落ち着いて射て。敵は土俵にあり、味方は砂被りに在る。各個に敵を発見次第射て」
と、指示した。
師団の予備として控えていた第一連隊は、部落の東方の土塀に配置された。
連隊長生田目新中佐は、兵員を指揮して土塀に銃眼を穿ち、敵襲に備えた。
田義屯北方には、まだ後備第十四旅団が後置されていた、
同旅団は第九師団に転属する予定であったが、第一師団長飯田中将は、目前の急に対処するため戦闘に加入することを命じた。
旅団長斎藤徳明大佐は、指揮下の二個連隊のうち、まず後備第五十五連隊を展開させた。
前線では依然として苦戦が続いていた。
午後二時ごろになると、第三連隊の大部も、敗走に巻き込まれて退却を始めた。
辛うじて踏みとどまったのは、同連隊第三、第四中隊であり、第二連隊第一、第三中隊が第二線を僅かに防備していた。
第三連隊第三大隊長浅村安直少佐が第一線で指揮を執っていたが、負傷して、同第十二中隊長蜂須賀喜信大尉が代わった。
砂嵐はやむことを知らず、将兵たちは痛む目をこすり、口中に飛び込んだ砂礫を吐き出しながら、戦闘を続けた。
壊乱の糸口を作ったのは、後備第十五旅団である。
この旅団は平均四十五歳という、老兵揃いであった。
余談なるが、日露開戦までに日本陸軍が築き上げた戦時兵力は、歩兵百五十六個大隊、騎兵五十四個中隊、野戦砲兵百六個中隊、工兵三十八個中隊であるが、このうち混成二個師団は台湾に派遣されていた。
別に必要に応じて、後備である歩兵九十四個大隊、騎兵七個中隊、砲兵四個中隊、工兵十三個中隊が準備されていた。

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ツシマ沖の海戦(その三百五十八) The Battle of Tsushima
2007-06-29 Fri 03:08
田義屯にある第一師団司令部には、この混乱についての報告が断片的に入り始めた。
しかし、いずれも要領をえないものばかりである。
第一師団に派遣されている第三軍参謀津野田大尉は、自身で事態を確認すべく馬に乗って田義屯を出発した。
ところが、部落を出たとたん、大尉は眼前の光景を目にして思わず立ち止まった。
大尉は、その時の情景を次のように記している。
「歩兵第二旅団と後備第一旅団の第一線部隊が、クモの子を散らすように敗退してきた。
凝視していると、状況はますます悲愴となってきた。敗兵の殆ど全部は、銃を捨て剣もなく、或る者は背嚢や帽子を持っていない。甚だしいのになると、脚絆も靴もなく全くの裸足の者もあった。」
大尉は、一瞬唖然としたが、直ぐ気を取り直し、「退るなッ。退ると砲兵に射たせるぞゥ」と、叫びながら敗兵の間を馬を走らせた。
しかし、その怒号に耳をかす者はいなかった。
敵がますます接近してきたものとみえ、流弾が激しくなった。
大尉は馬を下り、軍刀を振りかざしながら、走り回った。
その時、頭に包帯を巻いた特務曹長が、呼び止めて、所属を尋ねた。
第三連隊だ、と言う。
「敗兵の静止と隊伍の整頓に協力せよ」
大尉が命じると、その特務曹長は頭部の負傷を理由に拒否した。
津野田大尉は憤然として、「包帯を取れ」と命じた。
見ればほんの掠り傷である。
怒りが心頭に発した大尉は、軍刀の峰で相手の肩を一撃した。
「いやしくも幹部たる者が、このザマはなんだッ」
その一撃で特務曹長はようやく我にかえった様子であった。
彼は大尉に詫び、敗兵の収容に走り回り始めた。
師団司令部から全員が走り出て、参謀長星野金吾大佐を先頭にして幕僚たちは敗兵の整理にあたった。

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「ねんきん定期便」に年金加入履歴も同封
2007-06-28 Thu 09:14

政府・与党は、年金加入者全員に、保険料納付月数などを毎年誕生月に送付する「ねんきん定期便」に関し、08年度はすべて年金加入履歴を同封する検討に入いりました。

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ツシマ沖の海戦(その三百五十七) The Battle of Tsushima
2007-06-28 Thu 01:51
殆ど同時に、後備第十六連隊の前方及び右側から、それぞれ一個連隊と思われるロシア部隊が、これも忽然と出現した。
連隊長新名中佐は、第七、第二中隊を急遽、危機に瀕した第三中隊の応援に派出した。
一方、右翼の後備第一連隊においても、連隊長を負傷で失い、その代理となった茂木剛三郎大尉は、予備の第八中隊を増派した。
しかし、相手はムイロフ部隊の五個連隊である。
兵力においてかなりの劣勢である。
しかも、敵の姿も判然としない砂嵐の中での戦闘である。
見えぬ敵に取り囲まれている恐怖感は、まず最左翼の第三中隊の敗走を惹起した。
この敗走は、たちまち後備第十六連隊の全線にわたる大潰走を招くこととなった。
その勢いは、右翼の後備第一連隊も巻き込み、必死に制止する隠岐少将らの幹部将校たちを押し流し、たちまち後備第一旅団は、雪崩を打って田義屯へ向かって潰走した。
この敗勢は、右翼の第一師団第二旅団にまで及んだ。
当初、同旅団の左翼に位置していた第二連隊は、砂塵が天を蔽い、咫尺を弁ぜざる中では、隣接していた後備第一旅団に起こった事変には気づいていなかった。ところが、敗兵が陣地に紛れ込んできたことから、敵襲を覚ったが、もうそのときは砂塵に隠れた敵兵が第二連隊に襲いかかってきた。
第二連隊の左翼にいた第八中隊が、驚愕と恐怖に襲われて、敗走の列に加わった。
第二連隊第三大隊長高木満穂少佐は、驚いて第九、第十二中隊を急派したが、その両中隊までもが、敗走の勢いに飲み込まれてしまった。
知らせを受けた第二旅団長中村正雄少将は、事態は険悪であると判断して、旅団の虎の子である砲兵と機銃六門の後退を命じた。
しかし、それが切っ掛けとなり、砲兵の退却とともに護衛の第二連隊第三大隊第十中隊が潰走を始めた。
後は、それに連れられて、第二連隊第二大隊に所属する第五、第六、第七中隊が雪崩をうって田義屯へ走った。
第三連隊長中島本蕃大佐は、第二連隊の一大危機を救うべく予備の第九中隊を急派した。ところが、同中隊も大勢には抗しがたく、敗兵に誘われるように敗走する始末であった。
このような経緯は、実に十分間足らずで起こったことであり、天変地異に助けられたムイロフ隊の奇襲の完全さを如実に物語っている。

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ツシマ沖の海戦(その三百五十六) The Battle of Tsushima
2007-06-27 Wed 00:00
前回で述べたように、第十二、近衛、第十師団は風の助けを借りて渾河を渡った。
この時点では日本軍は気づいていなかったが、この三師団の確保した地域は大人屯、旧站、烟台を結ぶ渾河北岸の線を底辺とし、護山堡を頂点とした楔形をなしている。
これは、ロシア側にとっては深刻な状況を招いたことになっていた。
というのは、ロシア第二軍の真ん中に文字通り楔を打ち込んだ形となり、同軍は真っ二つに分断され、これが後にクロパトキン大将をした総退却を促す主な要因となったのである。
では、この風は西部戦線においては、どのような効果をもたらしたのであろうか。
日本側にとってはむしろ魔風の要素が強かった。
南から北にかけて第四、第五、第三、第八師団と並進した第二軍は、烈風に見舞われて敵の銃火も衰えたが、各師団とも動きがとれなくなり、やむを得ず現状維持の形をとることとなった。
第三軍第一師団も、砂嵐に閉じ込められ、砲兵部隊は砲撃を中止した。
右翼隊も、左翼隊も前進を阻まれ、立ち往生を余儀なくされた。
後備第一旅団は、折しも、文官屯を攻撃中であったが、右翼の後備第一連隊長余語征清中佐は負傷して、田義屯へ退いた。
左翼の後備第十六連隊を率いるのは新名幸太中佐であったが、文官屯東北方の鉄道線路際には三・四十名のロシア兵がいるばかりで、しかも動揺の色が見えるため、絶好の機会と判断し、文官屯北方の窪地に待機していた第二大隊第六、第七中隊に出動を命じた。
正午ごろ、両中隊が窪地から這いだそうとしたとき、砂嵐の中から忽然として敵の約一個連隊が、正面および左右から出現し攻撃してきた。
なにぶんにも、敵の姿は砂嵐の幕の中を見え隠れするばかりで、どのくらいの兵力がどこから攻めてくるのか見当のつけようもなかった。
午後一時を過ぎると、敵の砲火は一段と激しくなり、第二旅団の後方に陣取っていた砲兵隊の挽馬がほとんど死傷するという惨状を呈した。
すると、その時刻に、最左翼を受け持っていた後備第十六連隊第三中隊の前面から、突然、敵の約一個連隊が姿を現した。
風の音が足音を消し、砂塵の幕が姿を隠していたため、眼前に出現するまで誰も全く気付かなかったのである。

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ツシマ沖の海戦(その三百五十五) The Battle of Tsushima
2007-06-26 Tue 03:28
近衛師団長浅田信興中将も、風塵に乗じた追撃を決意した。
また、第四軍第十師団長安東貞美中将も、この機に乗ずる進撃を決断した。
両師団は、ほぼ同様なコースをとって北進していたが、渾河は一足先に第十師団が渡った。
そして、下馬家湾子の西、烟台北方の高地に進出した。
一方、近衛師団は、第二旅団第四連隊が風塵で視界を狭められた上に、渡橋が独木橋であったため、渡河が大幅に遅れた。
当初の計画であれば、近衛第二旅団を渾河北岸に留めて攻撃部隊とし、その後で近衛第一旅団が護山堡から文官屯へ進出する予定であった。
ところが、近衛第三連隊の方が、下馬家湾子の南側を先に徒渉して、そのまま旧站に進出した。
この地点での渾河は結氷していたのである。
近衛師団長浅田中将は、旧站付近の渾河が結氷しており、渡河が容易であるとの斥候による報告を受けた。
浅田中将は、近衛第一旅団に攻撃隊第二旅団を超越して前進することを命じた。
同旅団は、先発させておいた騎兵斥候から右の第十二師団、左の第十師団が既に渡河を終えていることを知った。
そこで、砂塵の中を結氷した渾河を渡り、旧站で小休止すると、直ちに北進して、下荒地溝に進出した。
同地は護山堡の南に当たる地点である。
近衛第一旅団の先鋒は、なおも吹き募る砂嵐をついて、夕刻には、護山堡の手前、諱当湾に達した・
この日の近衛師団の渾河徒渉については、司馬遼太郎氏の坂の上の雲にも、同師団所属の北原信明一等軍医なる人物の口述筆記が引用されている。
それによると、「朝九時ごろ(正確には午前十一時ごろ)からであったかな、それは物凄い風が吹いて来て、本にもこのことが出ておって、烈風砂塵を捲き、咫尺を弁ぜずと書いてあるが、それこそ一間先が見えん。昔の青山練兵場で旋風が捲き起ったやうな具合でな、それが南風なのだから、こつちは追ひ風ぢや。
敵もこっちがまるで見えん。そのために、砲車でも何でもすぐその陣地(ロシア軍陣地)の傍を通過することが出来たのぢや。渾河の水は凍ってをった。
わしらなんぞも、渾河なんぞと言ったところで大した河ではないなアなどと思ひ乍らそこを通ったのだが、数日ののちになると、河水が一時に溶けてな、嘘のやうな話だが、隅田川くらゐもある河になつた。驚いたよ。しかし、そのときは、その河も凍つている。南風で烈風の中だから、わが軍がその陣地のすぐ傍の河の上を通過してをることが、敵の眼からはまるで見えんのだよ。
そのために、悠々とその陣地を突破した。わが軍にとっては神風とでも言ふところだが、しかしこれが、露西亜にとつてはその敗因になつた。」とある。

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年金記録漏れの確認のため
2007-06-25 Mon 16:01

雇用保険の加入情報を活用。

 政府・与党は、年金記録漏れのうち、厚生年金加入者に関する記録の持ち主などを特定する方法として、雇用保険の加入記録を利用する方針を固めた模様です。
一般的には、雇用保険の方が対象者の範囲が広く、厚生年金の加入者記録と重なる情報が多いためです。

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ツシマ沖の海戦(その三百五十四) The Battle of Tsushima
2007-06-25 Mon 00:06
風、この日の強風については「奉天会戦に参加したすべての者が、生涯忘れることの出来ぬものであった」と、第二師団第三旅団副官多門大尉は、その手記に残している。
「連日の晴天に乾ききっている畑や、野や、道の塵芥が一陣の風とともに吹きまくられ、濛々と渦を巻いて天に登り、みるみる間に砂塵が充満して空は黄色に変じ、天地は晦冥となって、咫尺を弁ぜず、声声は隣人に達せず、文字通りに黄塵万丈の世界となった」
多門大尉は、驚異の念をもって,その様を描写している。
この風は戦場の各地で深刻な効果をもたらした。
第一軍第二師団は、ちょうどこの時刻、前進命令を受けた歩兵の支援射撃を開始しようとしていた砲兵はまともに風に見舞われた。
目標を見失った砲兵隊は数発で射撃を中止した。
歩兵も前進するどころではなく、ただ狂風の中で身をすくめるばかりであった。
またも、多門大尉の描写を借用すると、
「すでに汚くなりきっていた将兵は,塵埃をかぶった後は一層汚くなり、頬には涙のつたわった跡を示し、口には砂を含み、耳には埃をため、眉毛も睫毛も黄白色と化し、手先はまっ黒けになり、もうこれ以上は穢くなりようがないというところまで、不潔になった」
と、砂嵐の凄まじさを伝えている。
「この風は日本軍にとっては魔風、ロシア軍にとっては神風と云うのであろう」
多門大尉は嘆いたが、第十二師団にとっては、それは神風となったのである。
第十二師団の右翼隊は、烈風砂塵を捲き四顧暗澹という状況に、早々に渾河渡河をあきらめたが、左翼隊の前衛は違っていた。
前衛をつとめる第十四連隊長竹下平作中佐は、風塵が大いに起こり、自ら砲戦が止み、偵察が不可能な、この事態を利用して前進を続けるべきだと判断した。そこで、独断で進撃を下令した。
零時三十分のことである。
連隊は、午後一時三十分、渾河を渡り、旧站東方に進出した。
同連隊は、さらに北方の護山堡を目指して猛進した。
しかし、左翼隊・第十二旅団長島村少将は、左右の味方部隊の状況の不明を理由に、第十四連隊の進撃を、護山堡手前の柳家溝までで止めた。

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ツシマ沖の海戦(その三百五十三) The Battle of Tsushima
2007-06-24 Sun 03:24
文官屯の指揮官ボルホウィチ大佐の返答は明快なものであった。
「当方は兵員の提供の用意あり」
ムイロフ中将が勢いづいたのは、言うまでもないことであった。
彼は北方兵団抜きの攻撃を決意したのである。
中将は素早く計算した。
現有兵力は、十九個大隊、砲四十門であり、これに第十軍団第九師団長ゲリシェルマン中将が指揮する予備兵力を加えれば、合計二十九個大隊、砲九十四門になり、攻撃兵力としては十分である。
ムイロフ中将は、自信満々で、そう報告を終えたが、クロパトキン大将は不満の意を表明した。
大将によれば、予定した兵力の半数にすぎず、ラウニツ大将の消極姿勢は不愉快である。
しかし、ムイロフ中将は反論した。
すでに三方からの攻撃命令は発令済みであり、攻撃開始は午前十一時に予定している。
クロバトキン大将も、それを承認せざるを得なかった。
そして、その時刻がやってきた。
ムイロフ部隊の日本軍左翼に対する反撃が開始されたのである。
東側に位置する范家坆からは第十、第九連隊が進発し、北の冬常上からは第八、第二百十三連隊が、そして南西側からは文官屯を第二百十七連隊がそれぞれ出発した。
目的地は田義屯である。
朱爾屯南方の小高い丘の上で、ムイロフ中将と馬首を並べて、クロパトキン大将は西進していく第十、第九連隊を見送っていた。
出動していくのは、大将が予定していた兵力の約半数にすぎない。
神経質なクロパトキン大将とすれば、悲観的な予測を抱かざるをえなかった。
突然、天空に異様な音が響き渡り、天地は暗くなり、砂塵を巻き上げながら狂風が襲来した。
二人の将官は、風圧に押されてよろめき、慌てて下馬した。
周囲は狂ったような砂嵐に包まれ、見る間にも進撃するロシア軍の後姿をかき消してしまった。

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ツシマ沖の海戦(その三百五十二) The Battle of Tsushima
2007-06-23 Sat 00:00
後備第一連隊は、文官屯からの射撃には、応戦せず、小刻みに躍進を続け、敵前八百メートルの窪地にたどり着くと,そこで身を低くして、初めて射撃の姿勢に入った。
左翼を受け持つ後備第十六連隊の進撃は停滞した。
田義屯を出でから間もなく、北方の郭三屯から射撃を受けて、前進を停止してしまったのである。
後備第一旅団長隠岐少将は、その体たらくを歯痒がって、「左翼の敵に顧慮せず、鋭意前進せよ」と督励した。
しかし、同連隊は動けなかった。
第三軍司令官乃木大将は、午前九時五十分、造化屯へ進出した。
乃木司令官は、その後の敵の行動を観察した結果、既定の敵退路遮断策の一層の強化を決断した。
敵が北方に退却するとなると、それを阻止するためには現在の第一師団の進路より、さらに北側の地点を遮断する必要性を感じたのである。
そこで、乃木司令官は、第九師団をして一気に虎石台停車場に向けて進撃させることにした。
この命令は、本来、第一師団へ増派する予定であった後備第十四旅団を第九師団へ配属させる命令とともに、午前十時になって示達された。
同時刻、ロシア満州軍総司令官クロパトキン大将は、予定通り朱爾屯へ到着していた。
ところが、待ち受けていた第八軍団長ムイロフ中将の報告を聞くやいなや、たちまちクロパトキン大将は、不快気に眉根に深い皺を寄せた。
彼は、ムイロフ中将の報告の内容に強い不満と不安の念を抱いたのである。
ムイロフ報告の内容は次のとおりである。
中将は、午前七時、クロパトキン総司令官から、「予は、午前十時朱爾屯へ赴く。然れども、攻撃動作は之を待つことなく開始すべし。・・・郭三屯、冬営上、三台子に進め」という命令を受領していた。ちょうどその一時間後、中将は北部兵団司令官ラウニツ大将からの電報を受信した。
ラウニツ大将は、三台子の戦闘が継続中であるので、前進はできない。また、予備兵力も七個中隊半にすぎないため、兵団としては砲撃以上の支援は難しい、と伝えてきたのである。
もともと、ムイロフ中将の攻撃作戦は、北方兵団との共同作戦であった筈である。それが実質的には、共同作戦拒否宣言とも受け取れる内容の通報である。
ムイロフ中将は予想外の事態に驚き、急遽、北方兵団に属する文官屯守備隊に実情を問い合わせた。

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ツシマ沖の海戦(その三百五十一) The Battle of Tsushima
2007-06-22 Fri 05:13
この部隊が、行動を起こした、ちょうどその時刻、満州の広野を狂風が猛り始めた。
雪も消え、乾ききった大地から砂塵を巻きあげ、その黄塵は天地を晦冥させた。
大風塵は退却軍を包み、追撃軍の姿をかき消した。
さて、第四軍に話を移そう。
同軍所属の第十師団は、午後十時二十分、王大人屯へ進出した。
ところが、北方の渾河北岸の七間房および下馬家湾子方面からの砲撃に会い、それに応射することになった。
第六師団の方は、陣地を離れるとすぐ、前面の敵渾河堡基地から猛烈な銃砲火を浴びせかけられ、渾河畔にたどり着くのに難渋した。
攻撃軍に目を転じると、第二軍は、この日も頑強な抵抗に直面し苦戦を続けていた。
第三軍の場合は、疲労と損害の甚だしい第七、第九師団を援護に回し、比較的被害の少ない第一師団が主力となって南東方向へ進撃した。
第一師団長飯田俊助中将は、午前三時、左翼を担当する第二旅団には観音屯から魚鱗堡へ、右翼の第一旅団には三台子を経て西二台子に向かうことを下令した。
魚鱗堡も西二台子も奉天-鉄嶺街道上の村落であり、その攻略は敵の退却路を断つための任務であった。
だが、午前五時になって、飯田中将は、右翼隊が昨夜来の攻撃にもかかわらず、三台子の攻略に手こずっていることを知り、左翼隊の躍進を図るため、予備の後備第一旅団の主力を送り、左翼の強化を試みた。
左翼隊・第二旅団長中村正雄少将は、指揮下の第二連隊に観音屯の攻略を命じた。
後備第一旅団長は隠岐重節少将であるが、後備第一連隊を右翼に、同第十六連隊を左翼に配備すると、その態勢で文官屯の攻略を指示した。
午前八時三十分、第二連隊は観音屯へ攻撃前進を開始した。
ところが、たちまち猛烈な射撃を受け、第一線に立った第三、第二大隊ともに半数近くの損害を蒙り、前進を停止せざるを得なくなった。
後備第一旅団の右翼を担当する後備第一連隊は、同時刻、文官屯の前面一千メートルの地点にまで躍進していた。

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国民年金の追納、10年可能に
2007-06-21 Thu 05:11
 自民、公明両党は、国民年金保険料を過去にさかのぼって納付することができる期間を、暫定的に現行の2年から10年に延長する方向で検討を始めました。無年金者となる懸念のある国民を救済するのが狙いです。
秋の臨時国会に提案する方向で政府とともに検討する模様です。

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ツシマ沖の海戦(その三百五十) The Battle of Tsushima
2007-06-21 Thu 00:26
ロシアの大部隊は、ある隊は西に進み、また他の部隊は東を目指すという具合に、あたかも渦を巻く様な運動を見せていた。
大尉が、頭も尻尾も分らぬと溜息をついたのはその所為であった。
それはロシア第一軍シベリヤ第三軍団の後ろ姿であった。
大尉は、味方砲兵の到着を願うとともに、もし、このような大部隊が反転して攻撃したら「どうなるのであろうか」と一種の動物的恐怖心を覚えた。
午前十時になって、ようやく砲兵隊が追及してきた。
しかし、師団命令が下り、第三旅団は敵の逆襲に備えて、守備態勢に入った。
第二師団の左に位置していたのは、第十二師団であったが、同師団はその右翼に第二十三旅団を、左翼には第十二旅団を配置して、渾河を目指して前進していた。
左翼隊の前衛を務める第十四連隊第二大隊は、午前九時前、前方の道路が彼我いずれとも判別しがたい大縦隊で充満しているのを望見した。
その道路は、渾河北岸の旧站と下馬家湾子を結ぶものであるが、「或いは友軍ならんか」と推測した第十二旅団長島村千雄少将は、前衛からの報告を鶴首して待った。
少将は、第二師団が既に渡河を完了しているのではないかと、判断していたのであった。
ところが、前衛が渾河畔に到着してみると、対岸の部隊は紛れもなくロシア軍部隊であった。
午前十時五十分頃、前衛部隊は砲兵の援護射撃のもとに渡河を終わり、大人屯北方の高地に向けて前進を開始した。
大人屯は旧站の東に位置する村落であるが、敵部隊は、大人屯と旧站方向へと左右に分かれて潰走する様子であった。
近衛師団は、第十二師団の西方を、ほぼ同じ進路を辿って進軍していた。
同師団も、大栢官屯付近に至ったとき、旧站方面へ退却中の敵軍の部隊を発見した。
しかし、近衛師団は渡河地点を偵察するのに手間取った。
旧站南方の破壊された二本の橋が僅かな修理を施せば使用可能であると気づいたのは午前十一時近くになってのことであった。

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ツシマ沖の海戦(その三百四十九) The Battle of Tsushima
2007-06-20 Wed 00:08
日本軍とっては、この日も追撃と攻撃を繰り返す日であった。
追撃軍、すなわち第一軍及び第四軍の進出目標は次のとおりであった。
第一軍・第二師団は上台子(撫順北方)。同第十二師団は丁家溝(上台子西方)。同近衛師団は百官屯(丁家溝南方)。
第四軍・第十師団は百官屯。同第六師団は金家屯(奉天北西)。
この目標を見て,誰しも不審を感じるのは、追撃軍の前進方向が奉天を外にして北東へ向いていることである。
では、攻撃軍はといえば、
第二軍・第四師団は大堡。同第五師団は大路官堡、干洪屯。同第三師団は熊家崗子。同第八師団は前紅旗台、転湾橋。
第三軍・第七師団は奉天-石仏寺道と鉄道の交差点。同第一師団は鉄道および奉天-鉄嶺道の遮断。
をそれぞれ攻略目標としていた。
これを全般的に観察すれば、第一、第四軍間の連携の不十分さが目立ち、奉天付近での敵主力の包囲網の形成という戦略的目標とは遊離した点が見られることである。
満州軍総司令部作戦主任松川大佐は「各軍とも、配下師団長の意見に左右されて軍命令を下達するが如く見ゆ」と述べているが、けだし当を得たる評言といえよう。
具体的には、第一軍の場合、所属第二師団は午前六時六家子に到着し、朝食を兼ねた大休止をとった。
疲労困憊していた兵員は、食事当番を除いて、畑や路傍に倒れ伏し、眠り込んでしまった。
六家子は渾河まで六キロの地点に位置する村落である。
第二師団第三旅団副官多門二郎大尉は、村はずれの丘に登り、双眼鏡を眼に当てた。
彼の眼鏡内には、前方を流れる渾河に急ぐロシア軍の大縦隊の姿が映った。
「その大なること,何れが先頭か、何れが後尾か全く分らぬ。雲霞の如き大軍と形容する外はない」
大尉は、双眼鏡を構えたまま、慨嘆した。

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ツシマ沖の海戦(その三百四十八) The Battle of Tsushima
2007-06-19 Tue 00:05
サハロフ中将は、事の意外な展開に戸惑って暫く沈黙を守った。
その様子を見て、クロパトキン大将は宥めるような口調で、彼の参謀長へ告げた。
「要は万全に備えんがためである。剣は両刃を持ってこそ剣たるべしと言うではないか」
「諒解いたしました。即ち、黄金の日を鉛の日とせざる配慮こそ肝要というわけですな」
その返答には、大人しいサハロフ中将の精一杯の皮肉が籠められていた。
中将の胸中には、失望と不満の念が、まるで一塊の黒雲の如く沸き起こってきた。
今回こそは、紛うことなき、純粋な攻撃作戦でなければならない。それ以外に成功の途はない筈である。
それが、またしても、及び腰に変化したのか。
しかし、参謀長の任務は、あくまでも総司令官の意図を忠実に起案することにある。
思い直したサハロフ中将は、各軍に対する退却命令を起草し、大将の承認を得た。
もっとも、クロパトキン大将にしても、総退却命令はその必要を認めた時に発出するつもりであり、朱爾屯には予定通り出発して、攻撃の指揮をとる、と述べた。
さらに、対象は次のような付帯命令を付け加えた。
「なお、攻城砲、同弾薬、被服、経理部備品、負傷者は予め後送することを許可す。
但し、予の専用車両は別命あるまで当駅に留めおくべし」
サハロフ中将の胸底は、再び不満の念に満たされた。
クロパトキン大将は、これまでもの後方に気を取られすぎて、中途で退却する戦法を繰り返してきた。
その性癖を知り尽している中将にとっては、これは実質的には退却命令の予令ではないか、と感じられたのである。

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ツシマ沖の海戦(その三百四十七) The Battle of Tsushima
2007-06-18 Mon 00:00
三月九日、公私を問わず、この日のあらゆる戦闘記録には風のことが出てくる。
大風塵が起こったのである。
奉天会戦十一日目のこの日の朝、両軍の戦勢にそれぞれ大きな影響を及ぼした大風は、午前十一時頃から吹き始めた。
連日の晴天続きで、雪はなく乾ききっていた土地は、気前よく狂風に砂塵を与え続けた。
たちまち、咫尺を弁ぜぬ光景が展開された。
風に向かっては、面を上げることはできず、隣接する者の音声も判じ難かった。
ロシア満州軍総司令官クロパトキン大将は、この日午前四時、奉天駅の専用列車内で起床した。
既に目覚めていたサハロフ参謀長の挨拶を機嫌よく受けた。
サハロフ中将は尋ねた。
「閣下は、何時に出発なさいますか?」
攻撃作戦を直率するための朱爾屯への出発時刻を確かめたのである。
「八時出発、十時到着では如何」
「結構でございます」
「それにしても本朝は冷え込む。寒気が戻ったような気がする」
大将は、身震いをしながら呟いた。
「ダー。第一軍からの通報によれば、解氷しかかった渾河が再び結氷し始め、お陰で後退のための渡河が容易になったとのことです」
中将の報告を聞いた途端にクロパトキン大将の表情が曇った。
大将は、しばし天井を睨んで黙考していたが、やがて、「総退却の要があることを予期しておかなければならない」と述べた。
サハロフ中将は、仰天した。
「では、作戦は中止ですか?」
「いや、そうではない。しかし、味方が渡れる河は、敵も渡れるのが道理である」
貴官も熟知されているように、と大将はその理由を説明し始めた。
大将のこの度の戦略は、西部戦線の日本軍を押し戻し、奉天北方の安全を確保し、西の第二軍、南の第三軍、東の第一軍を呼び戻し、北方からの補給を背にして、西、東、南の三方向に反撃することにある。
然るに、東側から日本軍が第一軍を追尾してくれば、この東壁の形成は困難になる。
さすれば、ここ奉天は反撃の根拠地とは成り難い。
ゆえに、安全なる北方へ根拠地を求める必要に迫られるであろう。
そのための用意をすべきである。

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ツシマ沖の海戦(その三百四十六) The Battle of Tsushima
2007-06-17 Sun 06:11
その結果を知らされた第一師団長飯田中将は、今夜の夜襲は、失敗であると判断した。
中将は、第十五連隊に現状維持を指示し、同時に第二旅団の観音屯攻撃を中止させた。
日本軍の三台子夜襲は、すぐさま観音屯守備隊に知らされているはずであり、当然のことながら同地の邀撃態勢は整えられているものと推察されたからである。
一方、三台子のビルゲル中将はいったん、「村はずれの日本兵を排除せよ」と命令したが、参謀長の「日本側は機銃と手榴弾を所持しており、近接は危険であります」との助言を採用して、結局放置しておくことに決めた。
孤立した日本兵を攻撃して、いたずらに自軍の損害を招くことは無益だと判断したのである。
ようやく、長かった一日が終えようとしていたが、この日の日本軍の攻勢ぶりは決して褒められたものではなかった。
第一、 第四軍はこの重要な追撃機に当たって、一部の小抵抗に遭遇したために、
僅かに三、四里進んだだけであった。
他方、第三軍は、その直前を敵の大縦隊があたかも分列式の如くに整然と退却し、毎三十分ごとに奉天を発する五十両の列車が軍隊を満載して、わが軍の砲撃下を悠々と北進するのを許してしまった。
後に陸軍大学校において、本役について講述した谷寿夫大佐は、次のように講評している。
「当時、近衛師団先頭部隊の追撃尖兵長たりし講述者の実験を想起せば、第一軍が此日の中に渾河の線に進出せんことは難事に非りしなり。而して此事為りしならば、奉天の殲滅戦はその偉大なる効果幾許なりしぞ」
この日の深夜に少し前、ロシア満州軍総司令部においては、参謀長サハロフ中将に、当日の戦況報告を求めるクロハパトキン大将の姿があった。
サハロフ中将は、確信をもって次のように答申した。
全ての戦線において順調に推移している。
東部戦線の撤退は、日本軍の妨害なく完了しようとしている。
西部戦線も安泰である。
新兵団編成は急速に進展している。
サハロフ中将は、「日本軍は貴重なる一日を空費せり。わが軍は一日を二日に活用セリ。戦風は変わり、主導権を把握しるものと認む。」と胸を張った。
これで、翌日の反撃の成功は、確信できる、と中将は誇らしげに付け加えた。
クロパトキン大将は,破顔一笑した。
「ダー。ロシア帝国にとって本日は銀の日、明日は黄金の日とならん」

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ツシマ沖の海戦(その三百四十五) The Battle of Tsushima
2007-06-16 Sat 00:22
午後十一時、三台子のビルゲル中将は、仮眠の席から飛び起きた。
部落の内外から一斉に銃声が沸き起こったからである。
日本軍の夜襲が始まったのである。
攻撃は第一旅団第十五連隊の兵士たちによって行われた。
連隊長戸板中佐は、第一大隊を右に、第二大隊を左に配置して、三台子を北西と東北から包囲するような態勢で、攻撃を始めさせた。
第一大隊の方は、部落の五十メートル手前で、敵の哨兵に発見され、射撃を受けた。
第二大隊は、部落の二百メートルの地点で敵の哨兵と鉢合わせをした。
驚いたロシア兵が大声をあげると、第二大隊がそれを機に吶喊を開始した。
この吶喊の喊声に誘われるようにして、第一大隊も突撃を始めた。
同大隊第三中隊は、部落北端の囲壁の占領に成功した。
第一中隊の方は、隣接する東側の囲壁を攻撃した。
囲壁内のロシア兵の抵抗は頑強であった。
攻撃には第三中隊も参加して、白兵相撃の戦闘となった。
そのため、ロシア兵の動揺は激しくなり、暗闇を縫って、走ったり匍匐し
たりして逃げだす者が認められ始めた。
こうなれば、気迫の問題である。
敵の動揺に乗じた第一中隊は、白刃を振りかざす中隊長を先頭に、突撃して囲壁を占拠した。
ところが、第一大隊第二、第四中隊は、部落の北西部の土塀にとりついたが、その壁は高く、容易に乗り越えることができなかった。
もたついているうちに、西方の墓地に陣取ったロシア兵の一隊から、十字火を浴びせかけられて、まず第二中隊が退却すると,それにつられて第四中隊も敗走することとなった。
第二大隊の方も、東端の土壁の前で苦戦していた。
そのうち、偶然にも暗闇の中で兵の一人が、土壁の一部に出入り口があることを発見し、そこから先を争って雪崩れ込み、その場のロシア兵を駆逐した。
結局、第十五連隊の夜襲は、そこまでで息切れし、村はずれの民家三軒
を確保しただけで、三台子の部落本体には手をつけることはなかった。

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年金カードの導入検討
2007-06-15 Fri 06:44
政府・自民党は、年金保険料の納付履歴や受給金額などをパソコンで随時確認できる「年金カード」(仮称)を導入する方向で検討に入った模様です。
これは、年金記録漏れ問題の対策として措置ですが、この年金カードを使用すれば、保険料の支払い記録や将来受給できる金額が確認可能だそうです。

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ツシマ沖の海戦(その三百四十四) The Battle of Tsushima
2007-06-15 Fri 01:35
突撃は不可能であった。
連隊長戸板中佐は、歯がみして、突入を断念した。
その報告を受けた飯田中将は、乃木司令官に「夜襲を敢行し」三台子を攻略すると通報する以外に術はなかった。
一方、三台子では、夜になってロシア兵の歓声が沸き起こっていた。
突然、それこそ何の予告もなしに、援兵が到着したのである。
姿を見せたのは、第五十三連隊の二個中隊と第二百十四連隊第二大隊であった。
実のところ、この救援部隊は、本来、北方兵団の予備隊に組み入れられるはずであったのが、手違いにより三台子に到来してしまったのである。
「之れ、福音なり。神の御加護に外ならず」
指揮官ビルゲル中将が、歓喜の声をあげた。
午後九時、北方兵団の参謀長エイフゴリツ少将から電話がかかってきた。
北方兵団の司令官ラウニツ大将が、田義屯奪回を希望しているが、それには三台子、観音屯両守備隊の協同作戦が必要である、と言っているとのことである。
少将は、集成軍団第一旅団長ドムプロフスキー少将が、観音屯に派出されているので、同少将と協議して、田義屯夜襲を決行されたい、と付け加えた。
ビルゲル中将は、三台子から六中隊を出すから、観音屯からも同数の兵力を抽出して、田義屯夜襲隊を編成する計画を立て、その旨の手紙を持たせた伝令を観音屯へ走らせたが、ドムプロフスキー少将はそれを一読した後、舌打ちしながら、守備隊長である第百六十二連隊長ガウリロフ大佐を顧みて、言った。
「田義屯を攻撃するのは可能である。ただし、途中の日本軍を撃破し得ればのことである」
少将は、返書は認めぬ、聞いた通りを報告せよ、として伝令を追い返した。
報告を受け取ったビルゲル中将は、不快な表情を浮かべたまま、沈思した。

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Launch day is set!
2007-06-14 Thu 14:47

The launch day and time of SELENE, the lunar explorer nicknamed "KAGUYA" and the "H-IIA Launch Vehicle No. 13" is set at 9:30:48 a.m. on August 16, 2007.

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ツシマ沖の海戦(その三百四十三) The Battle of Tsushima
2007-06-14 Thu 00:16
では、第一師団はといえば、同師団も三台子、観音屯の攻略に苦慮していた。
師団長は飯田中将が、乃木司令官からの督励を受けたのは、午後四時三十分であったが、中将は直ちに、第一、第二旅団に対して、次のような激励の通報を行った。
「第三軍の急務は、この際猛烈なる前進を実行し、目下北行しつつある敵列車の運行を妨碍することにあり、之が為、師団は現在の攻撃を最も迅速に遂行せざるべからず」
しかし、実際の戦況は、生易しいものではなかった。
第二旅団第二連隊は、観音屯の攻略を目指していたが、依然として同村落の西北角で動けなくなっていた。
飯田中将は、予備隊として控えてあった第三連隊を第二旅団に復帰させるべく、田義屯を出発させたが、途中散々にロシア側の砲火を浴び、損害を重ねつつようやく観音屯の第二連隊の右翼に接続したが、そのまま第二連隊とともにくぎ付けとなってしまった。
三台子を攻めている第一旅団長馬場命英少将からも、増派の要請があった。
飯田中将は、それに応じて予備の第一連隊第一大隊を派遣した。
待ち構えていた馬場少将は、第一大隊が到着すると、旅団の予備兵力であった第十五連隊第三大隊を第一線に投入した。
第十五連隊長戸板百十彦中佐は、兵士を督励し三台子突入を企てた。
三台子を守っていたのは、ビルゲル中将が指揮する第四十一師団の第百六十一連隊、五十七連隊第二大隊、砲兵二個中隊であったが、分厚い土塀を砂嚢、角材で補強した村落内から頑強な抵抗を続けていた。
日本軍の銃弾は、その防壁に遮られて貫通せず、砲撃の効果も不十分であった。
対する第十五連隊は遮蔽物の乏しい畑地に展開していたため、身を伏せて射撃するのがせいいっぱいであった。

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ツシマ沖の海戦(その三百四十二) The Battle of Tsushima
2007-06-13 Wed 00:15
ある幕僚にいたっては、「第一線の実情も知らずに督励に浮身をやつす総司令部など不要である」と大声を発した。
乃木大将は、それらをすべて黙殺し、各師団長に攻撃促進の指示を出すように命じた。
しかし、命令を受領した配下の師団の反応は鈍かった。
第七師団はすでに停止をしていたが、司令官の督促を受けると、師団長大迫中将は、まず大方士屯の敵砲兵を沈黙させることを命じた。
同地の砲兵陣地制圧後に前進を再開しようと図ったのである。
午後四時過ぎ、大方士屯の敵砲兵はようやく沈黙したが、目標である小韓屯の敵砲火は衰えを知らなかった。
やがて、左翼を担当している第十三旅団長吉田少将の負傷の報がもたらされた。
大迫中将は、午後五時、以上の戦況とともに、「攻撃の奏功望みなきを遺憾とす」と、悲痛な報告書を送付した。
第九師団の通報も時を同じくして、第三軍司令部へ到着した。
師団長大島中将は、自ら八家子に進出してから、同師団に大韓屯の攻略を命じるつもりであった。
ところが、第六旅団はいまだ整頓が完了せず、第十八旅団の方は、前面の大韓屯だけでなく、側面の小韓屯付近からも砲撃をうけ立ち往生しているのが実情であった。
大島中将は、味方砲兵にしきりに支援砲撃を命じるのだが、敵位置が判明しないうえに、どうやら射程距離外にあるらしく、捗々しい砲撃がなされることはなかった。
砲兵第二旅団を八家子に移動させたいのだが、日没を迎えてはそれも不可能となった。
大島中将も、「遺憾ながら前進を明朝に譲らんとす」と、報告せざるを得なかった。

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ツシマ沖の海戦(その三百四十一) The Battle of Tsushima
2007-06-12 Tue 00:00
では、視線を翻して第二軍の方を眺めてみよう。
午後二時ごろ、第五師団第四十一連隊が莫家堡に進出したが、これとてもロシア第二軍が戦線縮小のため撤退したために、応ずる行動にすぎなかった。
午後三時すぎ、第三、第八師団から、前面の敵に動揺が見られるという通報が相次いで入ってきた。
第二軍司令官奥大将は、その情報を耳にして、「敵の動揺は、第一、第四軍の追撃の効き目じゃろう」と、傍らの幕僚たちに言った。
「大勢は既に定まっておる。直ちに攻撃に転じよう」
大将の決断は、直ちに次の命令により具体化した。
「第五師団は、前面の敵を撃攘して、大堡に前進せよ。第八師団は第五師団の運動に伴い、大路官堡に進め。第三師団は第八師団の運動に応じて、楊士屯北方二キロの堡塁および熊家崗子を攻略せよ」
司令官命令は、午後三時三十分に発出されたが、第五師団が受領したのは、午後三時五十分になっていた。
師団長は木越安綱中将である。
師団長命令は午後四時十分に下令され、師団が動き出したのが午後三十分になっていた。
前進を開始して、間もなく日没をとなった。
師団長木越中将は、左翼に配置した第二十一旅団に昼夜兼行して少なくとも大堡に進出することを命じた。
左翼を担当したのは、第九旅団であるが、木越中将は同旅団に先ず下沙坨子を攻略してから、第九師団に連結して前進せよ、と下令した。
ところが、両翼部隊とも、暗夜の地形確認に手間取っているうちに、下沙坨子を守備するロシア軍に発見され、その攻撃を受ける破目に陥った。
両隊は共同して、同村を攻撃したが、夜半を過ぎても突破することができなかった。
第五師団の停滞は、そのまま第八師団、第三師団の足止めとなり、結局、両師団は前進することなく終わった。
第三軍においても、この日は,はかばかしい進展は見られなかった。
軍司令官乃木大将が、満州軍総参謀長児玉大将からの通報を受けたのは、午後三時のことであった。
その内容は、奉天付近の敵を撃砕したのち、奉天北方に兵力を集結し、敵の退路を横断せよ、という午前十一時発出命令を改めて伝えたものであるが、児玉大将は最後に一言付け加えた。
「総司令官は、特に第三軍の猛烈なる攻撃前進を希望せられあり」
執拗とも言うべき総司令部の督戦である。
第三軍幕僚たちの間から、一斉に憤慨の声が湧き上がった。

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The largest lunar mission since the Apollo program
2007-06-11 Mon 22:51
JAXA plans to launch the lunar explorer SELENE on-board H-IIA Launch Vehicle No.13 from Tanegashima Space Center  in this summer.
SELENE consists of a main orbiting satellite and two small satellites in polar orbit.
The SELENE missions are to obtain scientific data of the lunar origin and evolution and to develop the technology for the future lunar exploration.

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ツシマ沖の海戦(その三百四十) The Battle of Tsushima
2007-06-11 Mon 00:50
東部戦線の第一軍の動きも緩慢であった。
それは、何よりも兵の疲労にあった。
軍司令官黒木大将は、「遅くとも是日中に渾河に達せよ」と訓令したが、各師団の歩度は、午後に入るといっそう緩やかなものとなった。
第一軍の最右翼は、第二師団の第十五旅団であったが、同旅団は騎兵第三連隊を先鋒にして進撃した。
高台嶺から英守堡子に進んだところで、前方にロシア軍の大縦隊を発見した。
旅団長小原芳次郎少将は、約一個師団と推定される大兵力を目撃し、その敵を明朝攻撃する決心をした。
直ちに攻撃をかけずに、敵と適当な距離を保ちつつ、これを追尾する作戦を選んだのである。
兵力差を認めるとしても、消極的に過ぎる選択である。
同じく渾河を目指して進撃をしていた第二師団第三旅団は、午後三時頃から、落伍者が目立ち始めた。
前方から足を引き摺りながら脱落してくる兵、路傍に蹲って気息奄々たる者を見つけるたびに、副官多門大尉は、乗馬を寄せて、叱咤した。
「歩け、倒れるまで歩け」
疲れ切った兵は、よろよろと立ちあがり、大尉を恨めしげに見上げると、這うようにしてまた歩き始めた。
夕刻になって、松岡堡に到着し、ようやく兵に休養をとらせることができた。
夕食をとって,大休止をすると、兵たちはいくらか生気を取り戻した。
午後九時になって,前進が再開された。
ところが、ロシア軍から奪った地図は、ここまでで、その後の記入が途切れていた。
旅団首脳は、不完全な二十万分の一の地図を頼りに、兵たちを暗夜の山道に駆り立てることになったのだ。遠くにはロシア軍が退却時に放火した火災が望見できたので、それを頼りに歩を進めることにした。
頻りに前方に連絡兵を派出するのだが、また、それを見失ってしまうという事態も発生した。
他方、第十二師団、近衛師団も難行軍を強いられていた。
両師団ともに、空っぽになった敵陣地を確かめながら前進した。
時折、退却中の敵に出会うと、砲撃をもって追い払い、或いは敵の離脱を待って進撃を続けた。
夜になると、行軍は一層難渋さを増した。
清国人部落に立ち寄って、案内人を探そうとしたが、いずれも無人となっており、それも果たせず、道に迷うことが多くなった。
遂に、警戒を厳にしながら宿営し、天明を待つことになった。
暗夜に各部隊は他隊との連絡を失ったのである。

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ツシマ沖の海戦(その三百三十九) The Battle of Tsushima
2007-06-10 Sun 01:01
日本満州軍総司令部内では、時刻を経るにしたがって焦燥の色が濃くなりつつあった。
総司令部は、第四軍に対して次のような命令を下した。
直ちに出発し、渾河を渡り、撫順・奉天道と奉天・鉄嶺道の中間を鉄嶺に向かって追撃せよ。
総司令部が第四軍を督励したのは、他軍を刺激するための措置であった。
何しろ、第二・第三軍の戦果がはかばかしくなく、第一軍からは連絡すらもないといった有様であったからである。
しかし、命令を受領した第四軍の反応は極めて鈍いものであった。
軍司令官野津大将が、この命令を受け取ったのは、午後二時二十分であったが、この時期は、悪いことに軍司令部が移動中であったため、即座に適切な指示が発動できなかった。
野津大将は、午後五時三十分、荒山子に到着して、戦況を観望したときに、尚も前面のロシア軍が退却中であることを知った。
大将は総司令部命令を直ちに実行することを決意した。
「敵を壊乱に陥れるために、諸隊を駐止させることなく、鉄嶺に向い追撃を行うべし」
野津大将は、更に各部隊に対して、次のような進出目標を指示した。
第十師団は李相屯、大久保支隊は養猪圏子、第六師団は三岔子への進撃を命じたのである。
ところが、なぜか大将の命令は、大久保支隊と第六師団には届かなかった。
両部隊は、命令受領のないまま、宿営準備に入ってしまったのである。
第十師団は、受命した。
師団長安東貞美中将は、部隊に前進を命令した。
しかし、師団は既に宿営準備を始めていたため、出発準備に大いに手間取った。
そのため、先頭部隊が行動を開始したのは、午後九時を過ぎた時刻であった。
行進は難渋した。
この夜は星のない暗夜であり、道路は不良であったので、ようやく目的地である李相屯に到着し、露営に入ったのは午後十一時のこととなった。

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ツシマ沖の海戦(その三百三十八) The Battle of Tsushima
2007-06-09 Sat 00:09
ロシア側が神経質になったのも当然のことであった。
文官屯といえば、東清鉄道の停車場のある場所であり、そこを日本軍に占拠されれば、いうまでもなく鉄道線路の遮断を意味することになる。
しかも、同地の守備兵力は、ロシア第二軍参謀のポルホウィチノフ大佐が指揮する三個大隊に加えて、ウスリー騎兵師団第一旅団長パウロフ少将の指揮下にある騎兵六中隊であった。
ただし、保持する砲は僅かに十四門しかなかった。
ところが、ロシア側の危機意識の高まりに反して、日本側の攻撃は鈍かった。
確かに、日本軍は、文官屯駅の第九十七号待避所付近を砲撃し、南行してくる列車にも砲火を浴びせた。
もっとも、線路は日本砲兵側から見れば、土堤のかげになっているため、観測兵たちはもっぱら機関車の煤煙を目当てにして射撃を指示した。
そのため、一髪も命中しなかった。
しかし、程無く日本軍は観音屯に移動し始めた。
第一師団第二旅団長中村正雄少将は、まず西方の観音屯を制圧してから、文官屯の攻略にかかるのが、順当な戦法であると判断したからだ。
また、それが第一旅団の三台子攻撃の側面援助になると計算したのだ。
だが、観音屯の守備は堅固であった。
同村はガウリロフ大佐が指揮する第百六十二連隊と砲兵一個中隊が占拠しており、その猛烈な抵抗により、第二旅団を同村の西北角にくぎ付けにしてしまった。
一方、第一旅団は、まだ味方砲兵の制圧射撃の効果待ちのために、三台子の北方に待機している状態であった。
これが正午頃の戦況である。
第三軍の攻勢はすでにこの時期,頓挫していたのである。
ロシア側の判断も、それを指摘している。
ちょうど,この頃、文官屯にはロシア第二軍司令官カウリバルス大将が戦線視察のため訪れていたが、大将は各地の状況を総合勘案して、満州軍総司令官クロパトキン大将に報告した。
第二軍は、余裕を以て日本軍の攻撃を撃退しつつあり」

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ツシマ沖の海戦(その三百三十七) The Battle of Tsushima
2007-06-08 Fri 00:24
では、第一師団はどうかといえば、師団長飯田俊助中将は、この日の目標を三台子および文官屯と決め、それぞれ第一、第二旅団に攻略を命じた。
攻撃部隊の右翼に位置したのは、第一旅団の第十五連隊であり、左翼の第一線部隊は第二旅団の第二連隊であった。
各々の部隊は、午前八時ごろ、四台子、田義屯を出発した。
この日の戦場は朝霧が濃くたちこめ、視界は悪かった。
第十五連隊は、包道屯部落の敵を一掃すると、北方から三台子へ接近した。
また、第二連隊の方は、田義屯を出発すると,その途端に待ち構えていたかのように、観音屯、文官屯、三台子東方から十字砲火の洗礼を浴び、暫く前進を中止した。
つまり、出発した途端に立ち往生したわけである。
両連隊は、悲鳴をあげるようにして味方砲兵による制圧射撃を要求したが、何しろ朝方からの濃霧である。
砲兵は観測に難渋し、いかほどもの効果を現れなかった。
午前九時半ごろ、田義屯に進出していた飯田中将のもとに、第三軍司令部から情報が届いた。
第一軍、第四軍が敵の退却にともない追撃を開始したという、内容である。
飯田中将は、奉天北方の東清鉄道を制圧し、敵の退路を断つことが急務だと考え、午前十時、第一、第二旅団に、「速やかに当面の敵を駆逐し、柳條湖付近の鉄道線路に進出すべし」と下令した。
午前十時二十分頃、天候が変わった。
西風が強くなり、戦場の霧は吹き払われた。
日本軍の砲撃は盛んになった。
ロシア側の関心は、日本軍の攻撃が文官屯に向けられていることに集中した。


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