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ツシマ沖の海戦(その三百二十九) The Battle of Tsushima
2007-05-31 Thu 00:00
この事情は第一軍にも共通していた。
同軍司令官黒木大将は、午前九時頃、配下の各師団に宛て、前進命令を示達した。
「本軍の急務は、撫順奉天間を遮断するに在り。故に、少数の敵に考慮することなく、急速に敵を追撃し、遅くも是日中に渾河畔に達すべし」
小敵など蹴散らして突進せよ、という司令官の意気込みは、そのまま各部隊の現実とはならなかった。
黒木軍の最右翼は、第二師団第十五旅団であった。
旅団長小原房次郎少将は、午前十一時出発したが、正午すぎになって遥かに前方を敵の大縦隊が北方へ退却するのが遠望できた。
石炭廠附近である。
直ちに追撃すべきであったが、小原少将は、前面の小高い丘の上に、約一個大隊のロシア兵が防御工事を施している姿を認めると、攻撃は明朝と決め、そうそうに前進を中止した。
もっとも、この漸進ぶりは、あながち指揮官の慎重な判断によるものばかりではなく、兵員の疲労に負うことが大きかった。
第二軍にあっては、二月二十四日以来、戦闘と露営の連続であった。
睡眠の不足と食事の不自由分さが、兵の体力を極端に奪っていたのだ。
、第四、第二十九連隊によって構成されている第二師団第三旅団は、午前十一時五分、早め昼食を済ませ、高台嶺の南麓を出発した。
兵員たちは、九日間の対峙から解放されて、内心うきうきしていた。
各連隊の将兵は、それまで、ただひたすら所定の陣地に閉じこもっていたので、久しぶりに会う他の部隊の顔見知りと嬉しそうに挨拶を交わした。
旅団は、それまで攻略できなかった高台嶺に登った。

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ツシマ沖の海戦(その三百二十八) The Battle of Tsushima
2007-05-30 Wed 00:29
総司令部は、午前十時に予令を発し、続いて午前十一時、全軍に攻撃命令が発出された。
「予は、敵を追撃し、その退却をして敗退に陥らしめんと欲す」
各軍の任務は次のように指示された。
第一軍は、敵を追撃して全兵力を興隆屯附近の渾河河畔に進出せよ。
第四軍は、午前一時二十分に発令された命令の実行と、第四師団を第二軍へ復帰させよ。
第二軍は、奉天附近の敵を撃砕した後、奉天西南地区に兵力を集結せよ。
第三軍は、奉天附近の敵を撃砕した後、奉天北方に兵力を集結し、少なくとも一師団を鉄嶺南方約二十キロの瓢起屯に派出して、敵の退路を横断せよ。
ところで、ここに興味深い注意が示達されたことに触れておこう。
「奉天城内には、団体を宿営せしむるを許さず」
当時の日本政府は、日露戦争を文明と仁義の戦いとすることを世界に公約していた。
戦闘の興奮を都市内に持ち込みでの万一の不祥事をおそれたのである。
それはともあれ、この日三月八日は、日露会戦の大転機となるべき一日となった。
クロパトキン大将は西部戦線での大反撃を企図し、日本側も第二・第三軍に奉天攻撃を下令している。
ロシア側の反撃が効を奏するか、はたまた日本軍の追撃によってクロパトキンの計画が水泡に帰すか。
ただ、日本側にはこの日の持つ正確な意味が理解できでいなかったし、それに余りに兵員が疲れ、また情報も不足していたのだ。
鴨緑江軍司令官川村大将は、午前十時四十分、隷下の各師団に命令を示達した。
「前面の敵兵退却し、軍は撫順に向かいこれを追撃す」
しかし、第十一師団の部隊は、既に無人となった敵陣地を次々に通過して、前進し、師団長鮫島重雄中将も馬群鄲に進出した。
だが、この第十一師団の「進撃」も間もなく停止した。
ロシア軍の後衛部隊の抵抗に会い、前進を停めたのである。

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ツシマ沖の海戦(その三百二十七) The Battle of Tsushima
2007-05-29 Tue 02:00
問題は、自軍にもある。
クロパトキン大将は、眉根を寄せながら言った。
「今回の大反撃には指揮官の適否が成否を左右するだろう。予は決心した。自ら指揮を執り、日本軍に最後の大打撃を与えるつもりだ。」
そして、第二軍司令官の行動には嫌悪を感じる、と露骨な表現をした。
大将は、東部戦線から撤収してきた第一、第三軍から六十個大隊以上を抽出し、新兵団を編成するよう、サハロフ中将に指示した。
そして、新兵団の指揮は第八軍団長ムイロフ中将、編成完了は明朝、終結地は朱爾屯附近、と口早に指示を重ねた。
朱爾屯は奉天北方約十二キロに位置する。
サハロフ中将が、これを聞いて驚いたのは、ムイロフ中将が指名されたことである。
第八軍団そのものは、クロパトキン大将の気紛れな支隊編成のおかげで、実質上消滅し、その軍団長たるムイロフ中将は、三日以来、奉天で無聊に苦しんでいたのである。
「しかし、閣下。ムイロフ中将は第一、第三軍には馴染みがございません。それでこの乾坤一擲の作戦を有効に指揮できるのでしょうか・・・・」
サハロフ中将が、思わず不安を口にすると、クロパトキン大将は、じろりと彼の参謀長を一瞥してから、こともなげに言った。
「ロシア帝国陸軍高級将校は屯田兵ではない。如何なる部隊であろうとも統率はできるはずだ。」
そして、最後にムイロフ中将に伝えよと、次のように付け加えた。
「行動の自由は保障する。総攻撃に備えて、軍隊の鋭気を蓄えよ」
他方、午前九時ごろ、満州軍総司令部作戦主任松川大佐は、八日朝までに第一、第四軍正面の敵が総退却したことを知らされ、悔しさの余り卓を叩いて、「敵に出し抜かれたるは真に大元帥陛下に対し申し訳の状態を致したり」と嘆声を上げた。
すぐ気を取り直した松川大佐は、速やかに総攻撃態勢に移るべきである、と主張した。
「よごわんそ」
総司令官大山元帥は即諾した。

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ツシマ沖の海戦(その三百二十六) The Battle of Tsushima
2007-05-28 Mon 02:07
同じ頃、満州軍総司令部参謀長児玉源太郎大将は、第三軍司令官乃木大将に宛て、第一、第四正面のロシア軍が全線にわたり退却したことを知らせた。
乃木大将は、これを再度の督戦の表示と受取り、直ちに司令部を藍家台から大石橋に移動した。
午前八時、乃木司令官は、指揮下の各師団に次のごとく訓令を発した。
「最も猛烈果敢なる攻撃を為すべし」
この頃、奉天ロシア満州軍総司令部の一室では、クロパトキン大将と、サハロフ参謀長が、膝をつき合わせるようにして、何やら対談をしていた。
クロパトキン大将は、満面に笑みを浮かべ、至極満足そうにみえた。
東部戦線の退却が順調に行われたことが、大将の心を和ましていたのだ。
クロパトキン司令官は彼の参謀長に告げた。
「本日は専ら防御に専念してもらいたい。特に鉄道の守備に意を用いて欲しい。是は明日に備えるためである」
「「了承しました。本日の主題は防御、明日の主題は攻撃と了解いたします」
クロパトキン大将は、第二軍の配置についてサハロフ中将に尋ねた。
「万全です」
参謀長は、自身ありげに明快に答えると、卓上に地図を広げて、西部戦線の配置を説明した。
それは、奉天を中心にして西に向かって半円を描く布陣である。
「戦線が緊迫したため、かえって防御能力は向上しております」
「鉄道守備についてはどうか?」
「全く問題はありません。現在、奉天発着の列車は三十分間隔で、毎列車五十両編成で運行中であります」
サハロフ中将は、続けて日本軍の情況に触れた。
日本第三軍は、田義屯を占拠しているにもかかわらず、殆ど列車を攻撃してこない。
「閣下、日本軍は砲撃してきても、滅多に線路にも命中しません。文官屯附近の味方砲兵の射撃にも、僅かにし応射してきません。これは、奉天を前にして、日本軍が息切れし始めた証拠に外なりません。」
サハロフ中将が結論付けると、「ダー」とクロパトキン大将は賛意を表した。

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ツシマ沖の海戦(その三百二十五) The Battle of Tsushima
2007-05-27 Sun 00:09
第四軍の場合も、事情は似たようなものであった。
午前一時四十五分、同軍司令官野津道貫大将は、追撃命令を出したが、それを受けた各部隊の行動は敏速ではなかった。
いずれも斥候派遣して敵情を探るとともに、進発は夜明けを待って行うこととした。
他方、第二軍は、午前四時三十分、総司令部からの通報により、第一、第四軍の前面の敵が退却したことを知った。
司令官奥保鞏大将は、各師団に敵情に注意せよ、と指示しただけであった。
第二軍配下の各師団は連日の激闘により、損害は多大であった。
兵力は激減していた。
この時刻は、干洪屯から引き上げてきた残兵がようやく李官堡へ到着したばかりであった。
では、第三軍はといえば、まだ東部戦線の異変については何も知らされていなかった。
配下の第一、第九、第七師団は、それぞれ文官屯、八家子、小韓屯への進出が予定されていた。
午前五時、第一師団へ配属されている第三軍参謀津野田是重大尉は、四台子を出て、三台子へ向かった。
四台子は奉天・法庫門街道に沿う村落である。
大尉は、三台子は既に第九師団が占領しているという情報を得ていたため、同師団と第一師団との境界線の視察に出かけたのである。
だが、実情は異なっていた。
大尉が目指す三台子は、未だロシア軍の手中に在ったのだ。
四台子と三台子との中間に位置する包道屯へ差し掛かったとき、二人一組のロシア兵が巡回している姿が深い霧の中に見られた。
「敵です」
同行していた村上上等卒が囁いた。
霧に紛れて津野田大尉らに気づかなかった相手は通り過ぎていった。
大尉は、第九師団が占領しているはずの三台子の前方にロシア兵が進出していることに疑念を抱いた。
馬上で報告書をしたためた大尉は、そのまま包道屯には入ると、後続する伝騎丸山上等卒に、手渡し「どうやら、先ほどのロシア兵は単独斥候だったらしいな。とにかく報告してくれ」と告げた。
ところが、丸山上等卒が部落から出ようとした途端に、どこからともなく現れた数騎のロシア騎兵に取り囲まれ、たちまち一撃をくらって落馬した。
しまった騎兵もいたのか、丸山は捕ったな、と驚愕した津野田大尉は、村上上等卒を率いて部落の反対側の出口から逃走した。
右折して田義屯へ向かって疾走した。
振り返ると、部落の東側にかがり火を囲むロシア歩兵の姿が望見された。
人数は五十人はいる。
彼らも同時に津野田大尉らを発見したものとみえ、慌てて叉銃のところ駆け寄っていった。
津野田大尉は乗馬に拍車を入れた。
背後から多数の発射音が響いた。
弾丸の飛翔する音に背中を押されるようにして、二騎は必死に駆け、ようやく田義屯の東側に辿り着いた。
田義屯には、第三連隊の砲兵隊が布陣していたが、津野田大尉は、そこで初めて三台子がまだ攻略されていないことを知り、村上上等卒と顔を見合わせながら唖然とした。
これが、午前七時頃のことである。

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What is a Nintei-Shiho-Shoshi Lawyer? 
2007-05-26 Sat 20:18
Nintei-Shiho-Shoshi Lawyers are permitted to represent clients in various summary court proceedings such as civil trial, compromise and conciliation and so on.

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ツシマ沖の海戦(その三百二十四) The Battle of Tsushima
2007-05-26 Sat 00:00
三月八日、第一軍司令官黒木大将から、満州軍司令部に報告が入った。
「敵退却せんとす。軍は追撃に転移す」
時計の針は、午前一時二十分を指していた。
これが、敵退却に関する東部戦線からの第一報であったが、実際には、東部のロシア軍は、前日から戦略的撤退を始めていたし、その兆候は日本軍も察知していた。
しかし、東部戦線の日本軍は、奉天会戦開始以来、実に十日間以上もロシアの堅陣に悩まされ続けていた。
それが、急にロシア側が変心して、退却を始めるものであろうか。
日本側が半信半疑であったのも無理はなかった。
黒木大将が、ロシア軍の退却を確信したのは、隷下の近衛師団長浅田信興中将から次のような連絡を受けたときである。
「敵或いは全線退却せしやの疑い在り。目下偵察中なり」
黒木大将は、八日午前零時三十分、各師団に追撃を命じた。
しかし、受命した第二、第十二、近衛の各師団の行動は鈍かった。
いずれも、先ず敵情を審らかにするため、各部隊に捜索命令を出したのである。
一方、総司令部は第一軍司令官の報告を受けると、第四軍に対して命令した。
「敵の退却にあたりては、直ちに前進して之を敗退せしむるを要す」
ただし、一旦、万家嶺と蘇家屯停車場を結ぶ線まで進出して、そこで追撃の準備を整えよ、というものである。
総司令部としては、第一軍の前進に併せて、その左側面を安全を保つため、第四軍に進撃を命じたのである。
もっとも、この時点では総司令部においても、ロシア軍の全面撤退という事態は想定していなかった。
鴨緑江軍も、午前零時過ぎ、対峙するロシア軍の退却を知った。
しかし、直ちに追撃に入る余力を残してはいなかった。
第十一師団と後備第一師団は、司令官川村景明大将の前進命令を受けたが、各師団ともに敵情偵察を先行させた。

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ツシマ沖の海戦(その三百二十三) The Battle of Tsushima
2007-05-25 Fri 00:25
クロパトキン大将は、それこそが問題だ、と言い張った。
「戦闘とは勝つと信じたとき勝ち、負くると思うときに負けるものである。これは古来の鉄則である。したがって、悲観者は軍隊を蝕む黴菌に等しい。この存在が敗因の最たるものである」
大将は、言葉を継いで、「いよいよ日本軍の目標が文官屯方面であることが判明した。よってビルゲル中将に対して電命を出したい」とサハロフ中将に指示した。
大将は、命令書を自ら起案すべく、ペンを取り上げた。
「予は、閣下が極力防御せられんことを再び望む。皇帝陛下の御名を以って、諸兵に対し勤労を講ぜられたし。ラウニツ大将の命令に非ざれば、進攻すべからず。総攻撃は一部隊を以ってせず、総兵力を以って為すべきをラウニツ大将に伝えられよ」
前日の第二軍の分散攻撃批判も加えながら、大将はビルゲル中将に命じた。
「閣下は自ら三台子防御を指揮せざるべからず」
ラウニツ兵団の本来の守備範囲は、東清鉄道の要地である観音屯から文官屯と奉天・法庫門街道の三台子である筈である。
電文に眼を通したサハロフ少将は、不審に思ってその点について質問した。
クロパトキン大将は、こともなげに応えた。
「それでよいのである。ラウニツ兵団は臨時編成の部隊であり、非常無手段である。
それは総兵力を結集するまでの一時的なものにすぎない。決戦の時期は遅くても明後日に迫っている。それまで衛生に注意すればよい」
要するに、ラウニツ兵団は、第一、第三軍が引き上げて来るまでのつなぎであるから、三台子の防衛に専念させておいて、文官屯の黴菌に感染させないほうがよい、という趣旨であった。
電命は午後十一時四十五分、発信された。
同時期、第三軍司令官乃木大将は、幕僚たちの説得を受けて、ようやく造化屯の指揮所を引き払って、藍家屯の司令部へ引き返すことにした。

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ツシマ沖の海戦(その三百二十二) The Battle of Tsushima
2007-05-24 Thu 00:00
中央戦線の野津軍正面のロシア軍には、日没後、異変が生じていた。
ロシア軍陣地の後方から火の手が上がり、退却の兆しが歴然としてきた。
午後十時頃になって、右翼の第一軍司令官黒木大将は、隷下の近衛師団の将校斥候が敵に会うこともなく、敵陣地へ侵入でき、との報告を受けた。
黒木大将は、直ちに全軍に追撃命令を出した。
一方、この夜の第三軍の情況はといえば、各師団の兵力は甚だしく減少し、特に第七、第九師団において、それが著しかった。
また、給養と睡眠の不足、寒気と労働の過大は、兵員を困窮させた。
ある記録によれば、兵たちは夜でも昼でも暇さえあれば眠り、用があれば何日でも眠らぬという生活を強いられていた。
時間の観念は失われ、糧食に関しても昼食抜きの一日二食ということも多かった。
さて、七日夜の第三軍の行動であるが、各師団ともに夜間行動は控えていた。
このうち、騎兵第四連隊第三中隊から派遣された山本半四郎軍曹の率いる七騎は、午後十一時頃、虎石台停車場北方八百メートルの地点への潜行に成功した。
山本隊は、敵の守備隊の銃撃を受けながらも、線路の破壊を行った。
また、騎兵第一連隊第二中隊の林源五軍曹の隊は、文官屯南方の線路と電柱の破壊に成功した。
ロシア側にバニックが生じた。
特に文官屯附近の鉄道爆破の効果が大きかった。
実質的には、約一時間の修理で回復する程度の損害であったが、文官屯では、「日本軍来襲」の情報が飛び交い、「退却」と叫びながら走り回る兵の姿が見られた。
兵站部員は錯乱して、駅舎傍に積み上げてあった藁、糧秣倉庫、将校集会所になどに次々と放火して回った。
夜空を焦がす炎は、奉天からも望見された。
報告を受けたクロパトキン大将が、不安の念に襲われたのはいうまでもない。
サハロフ参謀長は、宥めた。
「鉄道の被害は少なく、襲撃してきた日本騎兵の数もごく少数です。文官屯の騒ぎは一部の悲観主義者の自棄的行動にすぎません」

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ツシマ沖の海戦(その三百二十一) The Battle of Tsushima
2007-05-23 Wed 00:04
河合中佐は、憮然としながら、幕僚たちを集めて言った。
「第三軍は、今日まで全力を尽くして猛進してきた。しかるに、それを総司令部が緩慢であるというのは、実に心外である。しかし、今や、理屈は無用である。ただ、進撃再開あるのみである」
しかし、幕僚たちは一斉に不満の怒声を漏らした。
第三軍、第三軍というが、そもそも総司令部は当初、奉天作戦では第三軍には期待しないと言っていたではないか。それが突如、方針を変え、責任を負いかぶせるとは余りにも一方的である。
仮に第三軍の行動が遅れているとしても、それは敵の優勢と頑強によるものではないか。
河合中佐の報告を聞いた乃木大将の表情も歪んだ。
日露戦争を通じて、このような訓令を受けたのは乃木大将ただ一人である。
「この如き命令を受けたるは、千載の恨事なり」
大将が呻いたのも無理からぬことであった。
その後、第九師団からの報告が届き、敵が造化屯から退却し、第十九連隊が同地を占領したことが伝えられた。
参謀長松永少将は、明るい声で、その朗報を大将に告げ、「翌日から指揮が大切ですから、藍家屯へ引き上げたらいかがでしょうか」と進言した。
しかし、乃木大将はそれに応えず、黙考を続けるばかりであった。
ところで、前述したように、総司令部参謀田中義一中佐は、電話で「第二軍が獅子河に進取した」と告げたが、これは第三軍に鞭を入れるための全くの虚言であった。
田中の電話を近くで聞いていた大山元帥が、思わず「田中さん。嘘も方便ごわすな」と言った。

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ツシマ沖の海戦(その三百二十) The Battle of Tsushima
2007-05-22 Tue 00:33
同じ頃、第三軍総司令部は、依然として第一線に近い、陋屋の中に止まっていた。
同軍幕僚たちは、日没後になって、次のように敵情を判断した。
前面の敵は、六日の攻撃挫折後、再攻撃の気配はみられず。
敵は、奉天直北の地に強大なる部隊を招致せしものの如しと雖も、八家子、小韓屯附近は敗残の敵兵あるものの如し。
このような漠然とした判断は、情報不足を歴然として露呈していた。
そこで、乃木大将は、「敵の未だ兵力を増加せざるに先立ち、之を撃破し、あくまで包囲の目的を達せん」と、決意した。
敵情が不明な以上、むしろ攻勢に出て主導権を握ろうという、意図を示したのである。
乃木司令部は、この日の戦闘で、第二軍が多大な損害を受けたことを知らせていたため、その苦痛を軽減するため、進撃方向を当初の予定からやや東寄りに変更した。
第二軍の正面の敵の圧力を、自軍でも吸収するための作戦変更であった。
午後八時二十分、第三軍に総司令官大山厳元帥の訓令電報が到着した。
「一、 諸報告を総合して第三軍の戦況を判断するに、今七日に於ける運動は頗る緩慢なるに覚ゆ。甚だ遺憾とす。
「二、 全般の戦機を発展するの目的をもって奉天附近の敵を撃破するは、第三軍の攻撃迅速且つ果敢なるによらずんばあらず。
「三、 貴官は、充分なる決断を以って貴官の命令を厳格に実行せしめ、以って攻撃を為すべし。」
この訓令と同時に、総司令部参謀田中義一中佐は、乃木司令部へ架電し、乃木軍参謀副長河合操中佐を呼び出し、物凄い剣幕で怒鳴りあげた。
田中と河合は士官学校の同期であり、遠慮はなかった。
「第三軍は、なにをぐずついとるんか。第二軍は予定ごとく獅子河に進出したちゅうに」
「わかった。猛進する」
河合はむっとしながら、そう答えると、電話をきった。

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ツシマ沖の海戦(その三百十九) The Battle of Tsushima
2007-05-21 Mon 00:48
干洪屯の熾烈な戦闘がようやく終止符を打ちかかっていた。
同村を守備する第六連隊の弾薬は尽き、ついには瓦礫等を投げて抗戦を継続するという事態に陥っていた。
午後八時頃、増援の第十八連隊第九中隊が到着し、守備隊員はようやく愁眉を開いた。
星のない暗い夜の帳が、ロシア側の銃砲火をようやく沈黙させた。
第五旅団長南部少将は、三軒屋から退却してきた第三十三連隊の兵員を集め、二個中隊を編成させた。
さらに、午後九時に至ると、同じく三軒屋から引き上げてきた第六連隊第八中隊の残存兵約六十名に大量の弾薬を携行させて干洪屯へ急行させた。
度重なる援軍の到着は、同村を死守していた゛第六連隊の士気を大いに奮い立たせた。
しかし、同連隊の置かれた情況は深刻なものであった。
連隊長竹内中佐と第三大隊長北川少佐は、硝煙に包まれた廃墟に近い民屋の床に、重傷の身を横たえていた。
村落内の路地には彼我の死体が積み重なり、放置されたままの負傷者の呻き声が夜の闇に満ちていた。
この時期、第三師団長大島義昌中将は、干洪屯の放棄を決意していた。
余りの犠牲の多さに、驚いたのである。
ロシア側の記録によれば、干洪屯・三軒屋の戦闘の死傷者は、五千四百八十四人に達し、特に第百二十三連隊だけで千人を超す犠牲者を数えている。
他方、日本側の損害は、第六連隊の死傷者は千九百十八人であり、これは連隊兵力の七十七パーセントの損耗である。
第三十三連隊は、千九百八十一人の死傷者を出している。
その損耗率は実に、八十三パーセンにのぼっており、両連隊とも実質的には「全滅」と評しても過言ではなかった。
しかも、現状維持を続ければ、ロシア軍の夜襲を誘発し、第六連隊をも「全滅」させる可能性も考えられたのである。
これほどの出血によって占領した干洪屯の放棄を大島中将が決断せざるを得なかったのも無理からぬことであった。第三師団は、この時点で、その兵力の半分を失っていたのである。の事情はロシア側も同様であり、折角、再占拠した三軒屋を保持できずにロシア軍も撤退している。
大島中将は、第六連隊を指揮する第一大隊長国弘少佐に命じて、密かに李官堡へ退却することを指示した。

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ツシマ沖の海戦(その三百十八) The Battle of Tsushima
2007-05-20 Sun 00:32
複雑で詳細すぎる指令は、サハロフ中将自身にも混乱を与えた。
午後八時、中将がビルゲル中将に総司令官命令を送達した際に、それが現実のものとなった。
「当該地区の総指揮は、第八軍団長ムイロフ中将である」と伝えたのである。
これは明らかな誤りであり、派遣部隊の従来の指揮系統を熟知し、それが脳裏にしみこんでいた中将の錯覚によるものである。
もっとも、直ちにその誤りに気づいた中将は、ビルゲル中将に訂正電を送っておいた。
しかし、この報告を受けたクロパトキン大将は、不機嫌そうに眉を顰めた。
「参謀長。一旦頭脳に侵入した小誤解は、いずれ大きなものに成長するおそれがある。このことを貴官はご存知か」
「閣下。本官は既に訂正電を発送済みであります」
「いや。このような事態は、明確に修正しておく必要がある」
「しかし、閣下。お言葉を返すようですが、未だ第八軍団長には命令は伝えられておりません。したがって、第八軍団長が、第四十一師団長を指揮するおそれは全くございません」
「ニエット」
クロパトキン大将は、露骨に舌打ちしてみせた。
そして、電報用紙を取り上げると、自ら書き込み始めた。
「ビルゲル中将閣下。形勢は重大なり。宜しく極力抵抗せらるべし。貴隊は、敗をとるべからず。その村落を固守し、銃槍をもって之を防御せよ。北方兵団は、ラウニツ大将に隷属す」
命令を受領したビルゲル中将は、小首を傾げた。
参謀長と総司令官から内容の類似した電報が届き、なおも念を押すかのようにラウニツ大将の総指揮権についての通告があったことに、いささか不審の念を抱いたのである。
そこで、ビルゲル中将は、個人的にも親しくしている参謀長に電話することにした。
「ワシリ・イワノウィチ、内々で訊ねたいのだが、貴官と司令官の間に対立があるのか」
「対立なぞあるはずもありません」
「それでは、司令官は疲労して神経質になっているということは」
「それについては、お答えできません」
「わかった」
電話をきったビルゲル中将は、肩をすくめると、「オー、ニエット」と二三度首を振った。

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ツシマ沖の海戦(その三百十七) The Battle of Tsushima
2007-05-19 Sat 05:39
クロパトキン大将の、その言葉を聞いて、参謀長サハロフ中将は慄然とした。
これまでの大将が乱発してきた気まぐれとも思える命令の数々を、咄嗟に脳裏に思い浮かべたからである。
クロパトキン大将は、これまでもなにかにつけ、各部隊から小部隊を引き抜いては、集成支隊を編成してきた。
その結果、各軍団の指揮系統は乱れ、指揮官は麾下の部隊の所在すら見失ってしまう事態が発生していた。
サハロフ中将は、彼の司令官がまたその悪癖を発揮するのではないかと、慄いたのである。
「閣下」
サハロフ中将が声をかけると、「案じなくてもよい。予には既に腹案がある」と、大将はそれを遮った。
クロパトキン大将は、忠実で温厚な参謀長が、上官の指揮能力について、そのような批判精神を抱いているとは、夢想もしていなかった。
したがって、今回の口出しも単に対策についての献言であると、思い込んでいたのだ。
大将は構わず、次々と細かい指令を繰り出した。
三台子の第四十一師団長ビルゲル中将に命令・「同地を死守せよ」
第十六軍団長トポルニン中将に指示・「三台子西方の大韓屯に有力部隊を派出せよ」
総予備の第五十三連隊及び砲兵二個中隊を三台子北東の文官屯、観音屯へ増強せよ。
集成軍団第一旅団長ドムブロフスキー少将に五大隊を指揮させ、大韓屯、文官屯地区の予備兵力とせよ。
大韓屯、文官屯地区の指揮は、ラウニツ大将に委任する。
参謀長サハロフ中将は、背筋に悪寒の走るのを覚えながら、せっせとメモ用紙に鉛筆を走らせた。

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ツシマ沖の海戦(その三百十六) The Battle of Tsushima
2007-05-18 Fri 00:16
造化屯では、第十九連隊が進撃していくと、敵も約一個大隊の兵力で部落西南端から出撃してきた。
同連隊は、一戸少将が派遣した第七連隊第二大隊と協同し、これを邀撃して撃退した。
第十九連隊は、敵前約四五百メートルの地点から突撃に移った。
時刻は、暗闇の迫る午後七時になっていた。
しかし、敵の銃火は依然として熾烈であり、加えて八家子からの支援砲撃が激化したため、第七連隊第二大隊は敵前約百五十メートルの地点で、第十九連隊の方は、約三百メートル附近で再び停止した。
既に両部隊の兵力は半減していたが、戦意は旺盛であった。
だが、二十分後、再度の突撃を試みた。
敵前五十メートルにまで迫ったところで、攻撃は中止された。
周囲は既に咫尺を弁じない暗夜となっており、両隊の協同動作に齟齬をきたしたからである。
一方、第一師団は、午後五時前、乃木司令官から攻撃敢行を命じられたが、日没が迫っていることを理由に進撃は行わなかった。
僅かに造化屯攻撃を続ける第九師団のために支援砲撃を行っただけであった。
午後七時、ロシア満州軍総司令部では、クロパトキン大将が渋面を作っていた。
転湾橋陥落の報せを受けたのである。
報告は更に、日本軍が文官屯へ進撃していることを告げ、さらに田義屯が攻略されたらしい、との情報ほ付け加えていた。
田義屯といえば、奉天北郊の北陵から僅かに五キロ北の地点である。
「狡猾な黄色い猿め」
大将は興奮して口汚く罵った。
「日本軍の真意が判明したぞ。彼らは中央を指向する偽態を執り、その実、北方に現れんとしている」
大将は、事態の急迫を知って方針の転換を決心した。
「今や、我が軍の退路は、非常な脅威を迎えた。よってこの日本軍の包囲に対し非常手段を取らざるを得ない」

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ツシマ沖の海戦(その三百十五) The Battle of Tsushima
2007-05-17 Thu 00:00
第七連隊を待ち受けていたのは、造化屯と転湾橋からの激しい銃砲火の洗礼であった。
連隊長野溝中佐は負傷し、損害は続出したが、同連隊は前進を停めなかった。
この第七連隊の俄かなる前進は、隣接する部隊に影響を与えた。
左翼隊に属していた第十九連隊は、丁度その時、味方の砲撃によって造化屯に火災が発生したのを見て、奮起した。
連隊長山田中佐は、立ち上がると、軍刀を振りかざして呼号した。
「諸子よ。予に命を預けよ。今こそ共に死すべき時ぞ」
兵たちが銃剣を高く差し上げ、「応」と雄叫びをあげた。
将兵は一丸となって猛進を開始した。
第九師団に隣接していた第七師団も奮起した。
同師団長大迫尚敏中将は、全部隊に前進を命じた。
第十三旅団は、第二十五、第二十六連隊を並進させ、第九師団第七連隊と協同して転湾橋を目指した。
第二十五、第二十六連隊は、前進するに連れ、熾烈な敵銃砲火を浴びせかけられた。
両連隊は入り混じるようになりながら、前進を続けたが、敵前約七百メートルの地点で停止し、射撃の態勢に入った。
午後六時頃になって、敵の一部が退却する気配が認められたため、両連隊は再び立ち上がり、前進を再開した。
だが、残敵が頑強に抵抗を示したので、再び敵前約五、六百メートル附近で停止せざるを得なかった。
転湾橋部落に火の手が上がったのは、日没の直前の時刻であった。
それは、ロシア部隊の退却の合図であった。
敵が東方へ退く様子が望見できた。
両連隊は、転湾橋に突入し、同所を占領した。
同じ頃、第七連隊は、転湾橋東北に位置していたロシア砲兵隊を八家子方面へ敗退させた。
第六旅団長一戸少将は、追撃を控えさせた。
造化屯の攻略は未だ完了していなかったからである。

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ツシマ沖の海戦(その三百十四) The Battle of Tsushima
2007-05-16 Wed 07:14
総司令部の督励に尻を叩かれながら、第三軍の各部隊は進撃を続けた。
局地的に観察すれば、兵力の逐次投入という兵学上の愚行を繰り返しながらの東進であったが、敵情を把握できていない現状では致し方ない面もあったのであろう。
しかし、午後四時に至って、敵状に変化が現れた。
これを最初に察知したのは、第六旅団長一戸兵衛少将であった。
当時、第六旅団は第九師団の右翼の位置にあった。
一戸少将は、津軽訛りを濃く残した口調で傍らの幕僚に話しかけた。
「わしには、敵の砲火が何やら萎縮したように思えるがの」
少将が構える双眼鏡の中にも、造化屯南方にいた敵約二個中隊が南西の転湾橋部落方面へ移動している姿が映し出されていた。
また、造化屯東方に位置していた約一個大隊の敵兵が一列縦隊になって同じく転湾橋を目指す模様である。
敵が撤退を始めたことは、どうやら事実のようであった。
そして、転湾橋東北東に陣取っていたロシア砲兵の一団が、人力で砲車を引いて後退を開始しているのが見えた。
もともと、右翼隊は、左翼隊の前進に呼応して、八家子に進む予定であった。
八家子は造化屯の南東に位置する村落である。
したがって、左翼隊が造化屯で止まっているうちは、動く必要はなかったのだ。
一戸少将は、敵の動揺を敏感に感じ取っていた。
転湾橋附近で後退中の敵砲兵を攻撃すれば、それが造化屯の敵の退路を脅かすことができると判断した。
少将は、独断攻撃を決意し、午後四時三十分、第七連隊に進撃を命じた。
連隊長野溝甚四郎中佐は、主力を率いて転湾橋附近の敵砲兵に向かい、第二大隊を造化屯に前進させた。

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ツシマ沖の海戦(その三百十三) The Battle of Tsushima
2007-05-15 Tue 00:04
前述したように、総司令部からの督戦の電話に憤然とした、第三軍司令官乃木大将は、まっしぐらに前線へ進出し、造化屯後方の古びた小屋にたどり着くと、そこに司令部の開設を命じた。
それは司令部要員全員を収容することもできない、陋屋であった。
第一線に近すぎて、銃弾が飛来し、附近に砲弾も落下した。
乃木司令官は、小屋の一室に備えられたオンドル寝台に腰をかけていたが、絶えずその頭上の瓦を砕く飛弾の音が響き、土壁にもぴしぴし突き刺さる着弾の響きが続いた。
参謀長松永少将は、ここでは通信連絡も不便であるため、藍家屯への帰還を懇請したが、乃木大将は頑として聞き入れなかった。
「軍司令部が先頭に立て。これが総司令官の御意図であると思料する」
大将は、旅順の包囲戦でもしばしば死所を求めているのではないかと思われる行動をとることがあった。
参謀たちの胸中にも、その思いが沸き起こったが、司令官が動かない以上、後退するわけにはいかない。
屋外の戦場の騒音を耳にしながら、憮然としたまま、幕僚たちは執務しなければならなかった。
第九師団長大島中将は、乃木大将の前線進出を知って、造化屯攻略の意思をますます固めた。
大島中将は、第十八旅団長平佐良蔵少将を通じて、造化屯攻略を督促した。
造化屯を攻撃しているのは、山田良水中佐率いる第十九連隊である。
しかし、山田中佐は予備の第二大隊を前線に投入したが、それでも敵陣の突破はできなかった。
平佐少将は、第三十六連隊第三大隊に出動を命じ、一方、大島師団長も師団予備として後置してあった同連隊の第二大隊の投入を決意した。
第三十六連隊第三大隊は造化屯へ向け、東進していったが、途中で敵の銃砲火を浴び、死傷者の続出をみた。
ようやく、第十九連隊に追求できたときには、大隊兵力の三分の一が失われていた。

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ツシマ沖の海戦(その三百十二) The Battle of Tsushima
2007-05-14 Mon 00:09
附近にいた負傷兵が、大越少佐の身を案じてにじり寄って来た。
少佐は、苦しい息のものから、「小官は、これから旅団長閣下に手紙を書く。必ず届けてくれ」と頼み、ポケットから書簡用紙を取り出すと、僅かに自由な左手で鉛筆をぎこちなく辿らせた。
「連隊長及び他の大隊長と行動を共にせず、独り陣地を退きたるは、連隊長の依託を受け、実況を旅団長閣下に報ぜんとせしにあり」
敵前逃亡の汚名を蒙ることは、軍人にとってそれ以上の恥辱はない。
少佐は、この期に及んで、是非自分の行動の正当性を明らかにしておきたかった。
さらに、少佐は乱れた文字で、「旅団長閣下に報告後は直ちに干洪屯に立ち戻り、上官、同僚、部下とともに討死するつもりである。」と書き添えた。
「然るにも残念ながら途中に於いて負傷し、此目的を達する能はざりしは、返す返すも遺憾の極みなり」
「一足先に自決するが、右手の負傷のため軍刀が握れない。・・・よって、拳銃をもって自刃す。・・・閣下、微衷を察せよ。・・・御武運長久を祈る」
ここまで、書き連ねると、少佐は手の力が失せたことを感じた。
死期はそこまで迫っていた。
掠れた視力を振り絞って、「身体疲労し、筆を執るに困難なり」と、書き記し、少佐は鉛筆を捨てた。
「さあ頼むぞ」
いざり寄ってきた負傷兵に書簡紙を手渡すと、左手に握った拳銃を頭部に当てると、静かに引き金を引いた。
時刻は、午後三時三十分頃のことである。
負傷兵は少佐の遺体に一礼を残すと、地面を這うようにして李官堡へ向かった。
負傷兵は、浜島一等卒といったが、彼は死力を振り絞って、第五旅団司令部のある李官堡へ辿り着いた。
浜島一等卒は、少佐の遺書を南部少将に届け、大越少佐の自決の模様を伝えると共に、併せて干洪屯の苦境を報告した。
届けられた書簡の乱れた文字を判読していくうちに、少将の両眼は涙で満たされていった。
少将は、派遣さてれて来た師団予備の第十八連隊に直ちに出動命令を下し、干洪屯への急行を指令した。

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ツシマ沖の海戦(その三百十一) The Battle of Tsushima
2007-05-13 Sun 00:13
その頃、問題の干洪屯では第六連隊が一層の苦戦を強いられていた。
弾薬の欠乏が甚だしかった。
死傷者も続出して、午後三時になると、生存者は四百人にまで減少していた。
特に健在な将校の数は激減し、負傷した連隊長竹内中佐に代わって指揮をとる第一大隊長国弘少佐以下九人となっていた。
辛うじて李官堡から弾薬を運んできた輜重輸卒にも、死傷者の銃を手渡して戦闘に参加堡に派出した伝令は一人として復命に帰って来た者はなかった。
ついに、たまりかねた第二大隊長大越少佐は、連隊長竹内中佐に進言した。
「本官を、李官堡へ伝令として派出していただきたい」
「貴官は、負傷の身ではないか」
竹内中佐は、眉をひそめて、包帯に包まれた大越少佐を見やった。
大越少佐は、既に二弾を受けて、制服は鮮血に染まっていた。
「いや。これしきの傷なぞ問題ではありません」
言い張る少佐を暫く見つめていた竹内連隊長は、よろよろと立ち上がると、
「命令。貴官は、直ちに李官堡に赴き、南部閣下に本陣地の実況を報ぜよ」
と、命令した。
一礼した大越少佐は、従卒の肩を借りながら、よろめくようにして李官堡へ道をたどり始めた。
従卒と抱き合うようにしながら、進む少佐の周囲に敵弾が集中し始めた。
彼らはものの三百メートルも進めなかった。
飛び来たった一弾が大越少佐の腹部に食い込んだ。
斃れこむ少佐を庇うようにして従卒も倒れた。
彼も弾丸を受けていたのだ。
少佐は、二度三度立ち上がろうとしてもがいた。
しかし、もはや立ち上がる余力は少佐には残されていなかった。

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ツシマ沖の海戦(その三百十) The Battle of Tsushima
2007-05-12 Sat 00:00
ロシア第二軍カウリバルス大将は、牛心屯の煤けた村廟中で、第二十五師団長プネフスキー中将から報告を受けていた。
時刻は、午後二時三十分過ぎていた。
中将の報告によると、「日本第三軍の攻撃を撃退し、三軒屋を奪回し、干洪屯の大部分も占拠した」とのことである。
「オーチン、ハラショ」
カウリバルス大将は巨腹を揺すって哄笑した。
大将は、この好機を逃す手はないと判断し、第十軍団長ツェルビッキー中将に命じて、て、反撃を行わせることを決意した。
ツェルビッキー中将は、この日の朝、「日本軍の攻撃はことごとく撃退した。情況は極めて良好である。将兵の士気は旺盛である。」と報告をし、「全将兵は、如何なる任務を課せられるも、それを必ず遂行するの意気あり」と、付け加えてきたのである。
ところが、カウリバルス大将が、直接、電話でツェルビッキー中将に電話で命令を伝えると、その返事は意外なものであった。
「当方面の損害は多大であり、貴命の実行は不可能なり」
実に、にべもない返答である。
カウリバルス大将は、受話器を叩き付けるようにして切ると、「何んだあの男は、朝からの広言は、自己弁護のはったりだけだったのか」と、怒鳴った。
しかし、干洪屯方面の戦況は好転しているのは事実であることに、気を取り直し、
大将は、奉天への帰還の途についた。
牛心屯を出て、巨体を馬上で揺らしながら進んでいくカウリバルス大将の行く手から四五十騎の従員に囲まれたクロパトキン大将が姿を現した。
前線視察にやって来たクロパトキン大将は、「干洪屯は大丈夫である」というカウリバルス大将の報告を受け、大いに安堵の表情を浮かべて、共に轡を並べて奉天へ引き返した。
奉天司令部に帰還したクロパトキン大将を、造化屯では日本第九師団を阻止し、日本第一師団もその北東方面で停止中であるとの、吉報が待っていた。
大将はも、日本軍の攻勢が西部戦線中部へと切り替えられたとする、自己の判断にますます確信を抱いた。
直ちに電話機を取り上げ、干洪屯を中心とした戦線の防御工事の強化を督促した。

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ツシマ沖の海戦(その三百九) The Battle of Tsushima
2007-05-11 Fri 00:54
第一師団は、午後二時、菫家台に進出していたが、同師団長飯田俊助中将は、参謀長星野金吾大佐の献言を入れ、そのまま三台子に直進することは危険であると判断した。
というのは、第九師団が造化屯を前にして停滞していることを知ったからである。
造化屯は、菫家台の南西に位置する村落である、ここをロシア軍に突破されると、第一師団は背後からの攻撃に曝されることになるのである。
第九師団長大島久直中将は、盛んに造化屯突破を前線に督促したが、前衛を勤める肝心の第十九連隊が、敵前七、八百メートルの線で立ち往生している有様である。
飯田中将は、このような第九師団の停滞情況を踏まえて、第一師団主力の進出点を菫家台南方の四台子までとし、かつ、左側衛の第二旅団は、その東方の田義屯までと定め、進出予定線を大幅に限定した。
そして、第三連隊第二大隊を造化屯の攻撃の援軍として派遣した。
一路奉天北郊に迫るという乃木大将の方針は早くも崩れたのである。
第一師団に配属されている第三軍参謀津野田是重大尉は、師団参謀長星野大佐に噛み付いた。
「敵の影さえ見えないのに、この停止措置は杞憂に過ぎませんか」
それに対して、大佐は、「もし、造化屯の敵が北上すれば、本師団は退路を絶たれてしまうではないか。用心に越したことはない。」
と、一息に告げると、「貴官が、速やかに適当な措置を講ぜよ」と、じろりと一睨みした。
第三軍司令部に連絡して、増派を求めよと、催促したのである。
大尉は承服しなかった。なおも頑強に、前進を主張した。
無論、大佐も承服はしなかった。
「後方が不安でないと言い張るのであれば、その根拠を示せ」
とうとう、堪り兼ねた大佐は一喝した。
そこまで、言われてしまうと、津野田大尉にしても、大佐を納得させるだけの情報を持ち合わせているわけではなかった。
津野田大尉は、伝令を走らせ、第三軍参謀副長河合操中佐に第一師団の後方の安全のため一個大隊を派遣するように要請した。
それと同時に、第一師団の弱腰に腹を据えかねていた大尉は、乃木大将名で、第一師団宛に、次のような命令の発出を懇願した。
「第一師団は、背後を顧みることなく、所定の目標に邁進せよ」
第三軍から派遣された津野田大尉としては、星野大佐の「取り越し苦労」によほど業を煮やしたのであろう。

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ツシマ沖の海戦(その三百八) The Battle of Tsushima
2007-05-10 Thu 06:52
しかし、攻撃に入った第九、第十二中隊は、村落の手前千メートル辺りで、猛烈な銃火を浴びて立ち往生を余儀なくされた。
その情況を知った第十九連隊長山田良永中佐は、直ちに第一、第四中隊を派遣したが、何分にも村落前面は開けた展望のよい土地であり、身を隠す事物も見当たらない状況である。
両中隊の前進は、遅々として捗らなかった。
ところが、南西方向にあたる転湾橋附近にロシア部隊が沸き出でるように現れたかと思うと、今度は造化屯西南約千メートル地点に砲十二門を擁する砲兵部隊が出現した。
この砲兵陣が砲撃を開始すると、造化屯の砲兵もそれに呼応して火蓋を切った。
その目標となった第十九連隊は、完全に砲煙に包み込まれてしまった。
日本側も砲兵第九連隊第二大隊が応射したが、たちまち敵の集中射撃を受けて、砲撃を中止せざるをえなかった。
この事態によって、第九師団の左翼隊の前進が滞り、そのあおりを受けて右翼隊も高力屯を出発できなくなってしまった。
一方、ロシア側では、日本第三軍第九師団の造化屯攻撃という情報は、虎石台停車場から三台子へ向かいつつある第四十一師団長ビルゲル中将にも伝えられた。
中将は、日本軍第三軍は依然として、奉天北方の迂回作戦を実施中であるとものと推察し、その進行を阻止するために腐心していた。
ビルゲル中将は、指揮下の部隊を二つに割り、それぞれ三台子、観音屯へ急行させた。
しかし、総司令官クロパトキン大将は、自己の見解を変えようとはしなかった。
大将の心積もりでは、解氷しつつある渾河を天然の防壁として、日本軍に決戦を挑もうとしていたのだ。
午後一時、総司令官命令が第一、第三軍に下された。
「七日より八日にかけて夜陰、密かに退却すべし」

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ツシマ沖の海戦(その三百七) The Battle of Tsushima
2007-05-09 Wed 00:48
他方、干洪屯に対してもロシア軍の攻撃は激しく続いた。
守備隊は集落の南部にある堅固な石造りの民家に中心にして抗戦を続行した。
ロシア側の砲弾が人馬殺傷用の榴散弾を使用していたため、石造の壁を撃ち抜くことができなかったのである。
午後二時三十分、干洪屯守備隊の窮状を知った第三師団長大島義昌中将は、急遽、第十八連隊に増援を下令した。
同時に、第二軍司令官奥大将に、「干洪屯に敵の大逆襲を受け、同村を守備せる左翼隊退却を始じむ」と、電報を送った。
第二軍司令部は、愕然とし,奥司令官の面上に憂慮の色が漂った。
第二軍中で、この日第三軍支援のための作戦は、第三師団だけであった。
その師団の攻撃が、このように頓挫するのであれば、第三軍は南端を暴露したまま突出することになる。
奥大将は、直ちに、予備として後置してあった後備第五十一連隊第一大隊を第三師団に増派することを決断した。
では、この日の第三軍の戦況はといえば、第一師団を基軸にする進撃が始まっていた。同師団は、朝霧の中を抵抗も受けずに三家子に進出を果たした。
第九師団も行動を開始した。第十八旅団第十九連隊を先頭にして造化屯を目指して前進した。
午前九時、同村西北の蒲河畔に到着した第十九連隊は、前方で銃声を聞いた。
濃い霧の中で両軍の斥候が衝突したのである。
河畔には、造化屯から脱出してきた清国人住民が三々五々屯していたが、その話に寄れば、数日前から造化屯にはロシアの大部隊が駐屯しており、盛んに防御工事を行っているという。
住民の証言によれば、兵力については、各人まちまちであったが、砲六門を有している点では一致していた。
このような有力な敵が控えているとは、日本側にとっては予期せざる出来事であった。
しかし、その事態を承知せぬ、前衛を勤める第十九連隊第三大隊長橋本哲臣少佐は、霧の中に遥かに霞んではいるが、造化屯村落の西端の土塀の上にロシア兵の姿を認めると、直ちに部下に攻撃を命じた。

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ツシマ沖の海戦(その三百六) The Battle of Tsushima
2007-05-08 Tue 04:33
干洪屯・三軒屋に対するロシア側の反撃が本格化したのは、午後一時三十分のことである。
クロパトハン大将が急派した第九十七、第百二十三、第百二十四連隊が姿を見せたのである。
そのうち、第九十七連隊と第百二十三連隊は、干洪屯を目指し、残りの第百二十四連隊が三軒屋を目標として前進してきた。
一頻りの支援砲撃が終わると、各連隊は、各中隊ごとに前後・左右の間隔が緩やかな方陣をとり、大隊長が大隊の先頭に、連隊長が連隊の先頭に立ち整然として進んできた。
戦線に棚引く爆煙と舞い上がる砂塵の中を進んでくるロシア兵力を約二個師団と推定した日本側は、砲兵部隊の全砲火をもって要撃した。
ロシア側の被害も甚大であった。
散兵線を疎散に組んでいるのにもかかわらず、日本の砲弾は同時に数線を包み込み、そのため各連隊に虚隙が生じた。
しかし、ロシア兵は怯まずに、方陣を保ったまま進撃を続けた。
先ず三軒屋が包囲された。
第三十三連隊長吉岡中佐は、「いやしくも武器を執りうる者は、起て」と号令し、来襲する敵の第一波を撃退した。
しかし、第二波、第三波と敵襲は継続した。
弾丸の欠乏が甚だしかった。死傷者から取り集めた弾薬も底を突き始めた。
飛来する敵弾は間断を置かず、将兵の疲労は極限を向かえた。
渇を癒そうにも、土塀の吹き溜まりの雪は塵埃に塗れて口にできそうもない。
吉岡中佐は、「最早、何の策もない。諸子は、我輩と一緒に死んでくれ」と、微笑を浮かべて訓示した。
そして、暫く何かを考えていたが、「軍旗は干洪屯へ移すがよかろう」と、大声で命じた。
連隊旗手石原少尉が、連隊旗を腹に巻いて三軒屋を脱出するのと、前後してロシア軍の先陣が土塀を乗り越えて部落内に乱入した。
惨烈な白兵戦となった。
吉岡中佐は、軍刀をかざしロシア兵数名を斃した。
部下たちも奮起し、一時はロシア兵を押し戻しだが、午後二時二十分、飛来した一弾が中佐の咽喉下を貫通した。
傍らにいた連隊書記河野軍曹がにじり寄ったが、崩れ落ちた中佐は既に絶命していた。
吉岡中佐の戦死を契機に、もはや三軒屋を支えきれなくなっていた第三十三連隊の残兵は、河野軍曹の指揮下で、干洪屯に退却した。
脱出できたのは比較的健全な負傷兵を含めて、わずか百五十名ほどの人数となっていた。
同じ三軒屋の西端に止まっていた第六連隊長竹内中佐も干洪屯に走った。
その背後から奪回を喜ぶロシア兵のウラーの歓声が幾度となく響き渡った。

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ツシマ沖の海戦(その三百五) The Battle of Tsushima
2007-05-07 Mon 00:34
干洪屯に入り込んだロシア兵は、狭い入り組んだ路地を右往左往しなかせら、攻撃を加えてくる。
日本側は次第に死傷者が増え、加えて手持ちの弾薬も不足してきた。
そのため、集落の南側に集結して、守りを固くした。
非常な接戦となり、一軒の民家を挟んでの銃撃戦も珍しくなかった。
日本側は弾薬不足に悩んだ。或いは、見方の死傷者の弾丸を集め、また或いは遺棄されたロシア側の小銃や弾丸を拾い集めて、戦闘を続けた。
第六連隊の苦戦を知った第五旅団長南部少将は、予備の第六連隊第十一中隊を急派するとともに、同第一大隊長国弘栄一少佐に救援を命じた。
さらに、第四中隊および工兵第三中隊に、それぞれ弾丸と手榴弾の補給を指示した。
ところが、李官堡から干洪屯までは二千メートルという近距離にもかかわらず、猛烈な銃砲弾を浴びながらの前進である、途中で斃れる者も多く、増援部隊の進行は遅々として捗らなかった。
ロシア側の逆襲は三軒屋にも加えられた。
午前十時には、第三十三連隊第三大隊長早川新太郎少佐が負傷し、戦況は次第に日本側にとって苦しくなってきた。
第三十三連隊長吉岡友愛中佐は、第二大隊を応援のために派出したが、一向に戦局の好転を見なかった。
三軒屋とは、文字通り支那式の長屋が三軒、軒を連ねているだけの小集落である。
その僅かな土地を巡って、日露間に戦史に残る未曾有の激戦が繰り広げられることとなったのである。
三軒屋を守る日本軍の苦境は時刻を経るに従って、ますます色を濃くなってきた。
守備隊の死傷者は増大したが、特に将校のそれが甚だしかった。
李官堡から弾薬補給も,搬送する兵たちが次々と途中で斃れ、殆ど補給の用をなさなかった。
三軒屋に釘付けとなって干洪屯へ移動できない第六連隊長竹内中佐は、幾度も李官堡の第五旅団長南部少将へ連絡をとろうと試み、伝令を派出した。
しかし、その一人の帰還も見られなかった。

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ツシマ沖の海戦(その三百四) The Battle of Tsushima
2007-05-06 Sun 00:00
他方、ロシア側は、日本軍干洪屯攻撃の第一報を聞いて、クロパトキン大将は、「見よ。予の予言は的中せり」と、手を打って喜んだ。
というのは、この報せが入る直前に、大将は、参謀長サハロフ中将を相手にして、ビルゲル中将の部隊を奉天北西に移動させた措置に触れながら、これで、日本第三軍の運動にブレーキがかかるはずだと、述べていたのだ。
「日本人は短気で持久力がない。或いは、これで作戦方向を変えることも考えられる。」
迂回運動の出鼻を挫いておけば、それを中止し、別方面から攻撃を行うのではないか。
クロパトキン大将は、自己の希望的観測は的中したものと判断し、やや有頂天気味であった。
いずにせよ、日本軍が手薄な北方を攻めずに、手厚い防御線を敷いている中央部を指向してくるのは、ロシア側にとっては有利であることは否めない。
大将は直ちに総予備隊中から六個大隊の出動を命じ、更に第百二十三、百二十四、第三十四連隊の派遣を指示した。
併せて、第二軍司令官カウリバルス大将に電話を通じて下令した。
「干洪屯に赴き、同方面の戦闘を直接に指揮し、同地を回復せよ。予もまた現地に向かわんとす」
クロパトキン大将は、背後の危機が去ったかのように上機嫌であった。
午前九時二十分過ぎ、干洪屯の日本兵は、霧の中を東北方から迫ってくるロシア軍を望見した。
ロシア軍は、濃密な散兵線を組みながら接近してくる。
クロパトキン司令官が急行させた,総予備隊の六個大隊が姿を現したのである。
干洪屯の籠もった第六連隊の主力は、周囲を取り囲まれてしまった。
ロシア隊は、熊家崗子と第六角面堡からの支援砲撃に励まされて、爆薬で崩した土塀の穴から、続々と集落内に侵入してきた。

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ツシマ沖の海戦(その三百三) The Battle of Tsushima
2007-05-05 Sat 00:00
事前の偵察によれば、三軒屋を守っているのは、第九十八連隊の約五個小隊であり、干洪屯の方は、同連隊および第百連隊の数個中隊という比較的小兵力なので、占拠はた易く達成できるものと楽観視されていた。
第三十三連隊第三大隊は、敵前二百メートルの地点から、突撃を開始し、時を経ずして三軒屋を占領した。
同じ頃、第六連隊が干洪屯の大部分を占拠した。
第六連隊長竹内武中佐は、第七、第八中隊を率いて進撃したが、道に迷い、ようやく三軒屋部落の北端にたどり着いた。
東の空にようやく天明を迎える時刻のことである。
これで、予定通り払暁までの占領が実現したわけである。
干洪屯・三軒屋の戦闘は、後に日露戦争屈指の激戦として世間に喧伝さることになるが、この段階では何人にも、それは夢想だにできなかった。
ただし、前述のごとく、干洪屯・三軒屋は熊家崗子と第六角面堡に挟まれた位置にあるため、日本軍が進出すると、両側から銃砲弾が降り注いできた。
すると、その優勢なる味方の砲兵隊が射撃に励まされるように、敗走中であった敵歩兵も踵を返して反撃に移った。
干洪屯に入った第六連隊第二、第三大隊は、集落の北部および西部の残敵の掃討にかかったが、何しろ入り組んだ路地と土塀に妨げられて干洪屯への移動を図ろうとするが、熊家崗子と第六角面堡からの射撃と東から引き返してくるロシア兵の銃撃を受けて、身動きすらできず、ただ切歯扼腕するばかりであった。
急を知った李官堡の第五旅団長南部少将は、予備として手元に残しておいた第六連隊第一、第二中隊を干洪屯へ急派した。
ところが、途中は広く開けた見通しのきく場所で、遮蔽物一つない。
たちまち、両中隊の死傷者は続出した。
それでも、午前八時半には、両中隊とも干洪屯にたどり着き、第六連隊はようやく同地を制圧した。

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ツシマ沖の海戦(その三百二) The Battle of Tsushima
2007-05-04 Fri 05:09
乃木軍の戦闘は北進するに連れて、悲惨なものになっていった。
総司令部がよくない。
乃木司令部の参謀たちは、常にそう思い続けた。
当初、総司令部では、この作戦での乃木第三軍の位置づけを、補助的なものとみなしていた。
事実、他軍に比較して兵員数も多くなく、配備された火砲の中にも重砲が含まれていない。
結局、作戦開始後に中央突破するはずの野津軍の失敗のつけを、乃木の第三軍が払わされる破目になったのである。
途中から奉天を西北から包囲する、というように作戦目的が大きく変わってしまったのである。乃木が先頭になり、奥がそれを追尾する、という形で、鳥がその翼を広げるような「延翼運動」が始まったのである。
児玉大将からの「伝言」を聞いた乃木大将は、「そうか、児玉がそういうちょるのか」と、呟くと、憤然として立ち上がり、軍司令部に急進を命じた。
乃木司令部は、その意向を受けて猛然と東進した。
そして、遂に、最前線の第九師団の散兵壕のラインにまで進出した。
支那民家に陣取った司令部には、敵の銃火が集まり、同行した獣医が頭部貫通銃創で戦死し、田中総司令部参謀の副馬が逸走するほど、危険は大きかった。
参謀らはかわるがわる乃木に撤退を進言したが、乃木は一向に動こうとはしなかった。
ところで、この日、第二軍はロシア第二軍が位置する西部戦線の中部及び南部においての攻撃を激化させた。
第三師団長大島義昌中将は、先ず前面の干洪屯の攻略を決意した。
干洪屯の北には、熊家崗子、南には三軒屋があり、三軒屋の南方約千メートルの地点に第六角面堡が設けられていた。
この地区を守備するのは、第十六軍団トポルニン中将の指揮する兵力の一部であった。
大島中将は、第五旅団長南部辰丙中将に、干洪屯の攻略を命じた。
干洪屯の西方の李官堡から出撃して、払暁までに攻略するよう命じたのである。
依命を受けた南部少将は、指揮下の第六、第三十三連隊にそれぞれ干洪屯、三軒屋の攻撃を指令した。
両連隊は、ともに午前五時に出発した。
この日の西部戦線は、夜半から濃霧に覆われていたため、時に東方に曙光が認められるだけで、全天はなお暗かった。
敵陣までは広漠地であり、零下十度の極寒の中を兵は静かに進んでいった。
三軒屋に向かう第三十三連隊第一大隊は、方向を誤り、第六角面堡の前方に出てしまい、射撃を受けることになり、暫く対峙を余儀なくさせられた。

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ツシマ沖の海戦(その三百一) The Battle of Tsushima
2007-05-03 Thu 00:49
三月七日、日本各軍に対峙するロシア軍の陣営で動揺が見られ始めた。
東部戦線においても、鴨緑江軍の前面の敵が動揺しはじめた。
その動揺の色は、時間がたつに連れて、次第に濃くなっていった。
黒木軍の前面でも、康大人山附近のロシア陣地からの砲撃がめっきり少なくなり、陣地の背後では慌しい車輌の動きが見られた。
撤退の準備と思われる火災が数箇所で起こり、歩兵が三々五々後退している様子が日本側からも望見できた。
一方、第四軍のほうは、午前中にそれまで手古ずっていた韓城堡を僥倖にも占領することができたが、萬寶山陣地は、依然として堅固で、日本軍は山腹に虱のように噛み付いているだけの有様であった。
このように各所で戦況が好転しているのに拘わらず、日本軍総司令部では、朝から、第一軍参謀長との間に行き違いが生じて、混乱が生じていた。
第一軍は、総司令部の意図に従って第二師団をもって小堡方面から旋回運動を行うことを約していたにも拘わらず、それが一向に実行されていない模様である。
総司令部内の空気は、もし第一軍が躊躇しているのであれば、総司令官の名をもって厳命を下すべし、と意見が強まっていた。
ところが、総司令部の勢いに窮した第一軍参謀長は、急遽、第二師団と協議した後に、「本旋回運動は、兵站線の関係上実行不能である」旨の回答を寄せてきたのだ。
松川参謀は、これを第一軍参謀長の苦し紛れの遁辞と受け止め、重ねて厳しい要求をつきつけた。
しかし、第一軍藤井参謀長は、当面の敵に動揺があることを看破し、翌朝より第十二師団の攻撃を敢行することを決断し、第二師団の旋回運動の停止を懇請してきた。
総司令部側は、この回答に対して納得の色を見せ、一先ず「事件」は落着した。
また、第三軍の方は、この日の前面の敵がこれを許すにも拘わらず、前進が頗る遅延していた。
そこで、総司令部は、午後一時、督戦を兼ねて総予備軍を第三軍の隷下に入た。
これは、隠岐少将の率いる後備第三旅団であるが、総司令部はそれでも、まだ心もとなく感じたのか、田中義一参謀をして第三軍配属の田中国重少佐を通じて、同軍の推進を強く要求した。
さらに、総司令部は、児玉総参謀長自らが、第三軍参謀長松永正敏少将を電話に呼び出し、「乃木に猛進を伝えよ」と告げた。
第三軍と総司令部との間には、本作戦の開始時から険悪な空気が漂っていた。
作戦主任の松川参謀なぞは、「乃木軍なんぞに大した期待はかけていない」と公然と皮肉っていたほどだ。
ところが、この時期、その乃木の第三軍が戦いの主役となっていたのである。

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