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ツシマ沖の海戦(その二百九十八) The Battle of Tsushima
2007-04-30 Mon 03:49
「もう沢山だ」
カウリバルス大将の意見具申書を読み終えたクロパトキン大将は、吐き捨てるように一言述べた。
傍らの参謀長サハロフ中将も渋面を作ったまま頷いた。
カウリバルス大将は、第一、第三軍の退却に反対していた筈にもかかわらず、今回の提案によれば、実質的には、中部戦線のロシア軍の総引き上げを意味することになる。
また、八日払暁の総攻撃というが、既に七日を迎えようとしている、この時点で、カウリバルス大将の要求している三個軍団を所定の部署に配置することは可能なのか。
「要は、戦略も戦術もなく、徒に失敗と増要求を繰り返えすだけではないか。あのような老耄将軍を統制できなかったのは、偏に予の責任である」
クロパトキン大将は怒声混じりにそう語り終えると、再び、「もう沢山だ」と繰り返した。
大将は、再び決心変更を行い、第一、第三軍の渾河への退却を下令した。
ただし、攻城砲、輜重その他の重要資材の引き上げを先行せよ、と付言した。
この夜の大将の決断が、後にロシア軍が自滅と自壊の途をたどる切っ掛けとなったと評されることとなる。
秀才には違いないが、神経質で、かつ極端に敵の兵力を過大視する性癖を持つクロパトキン大将の弱点がもろに露呈された瞬間であった。
日本総司令部の総評によれば、この日の戦況は各方面において攻撃進捗せず、とある。
それにも拘わらず、クロパトキン大将は、「鉄道が遮断されたら、全軍は自滅する」と慄いたのである。
三月七日午前四時二十分、ロシア満州軍総司令官クロパトキン大将は、第一軍司令官リネウィチ大将に命令した。
「第二軍の行動はその効果進捗せず。故に、第一軍は渾河右岸に退却を予期すべし」
ただし退却は後刻の正式命令後の夜間に実行すること、および撫順炭鉱と撫順鉄道は保持すべしの文言を付け加えた。
しかし、リネウィチ大将は命令書を一読すると、いきなり電文を渡した通信部将校を突き飛ばして、激怒した。
「退却とは、如何なる理由がありて云うや」
大将の怒号が室内に響き渡った。
「そもそも今回の対日戦は、兵理上の不思議である」
大将の紅潮した顔面は、取り囲む幕僚たちを見回した。
「これまで、ロシア軍は、日本軍を誘いこみ、損害を与えつつ後退してきた。
後退しなければ、日本軍は前進できなかったのだ。
それなのに、敢えて陣地を捨てて退却せよというのは、退却ではなくて敗北に他ならない。」
此処で一旦、言葉を切った大将は、怒りに燃える眼差しで、幕僚たちを反応を伺った。

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ツシマ沖の海戦(その二百九十七) The Battle of Tsushima
2007-04-29 Sun 00:23
ロシア総司令部内の混乱は、なおも続いた。
つい先ほど、クロパトキン大将に、固い戦意を告げたはずのカウリバルス大将が、作戦断念の決断をしてしまったのである。
それというのも、カウリバルス大将が自軍の戦況について、つぶさに報告を受けたのは、クロパトキン大将との電話会談後、暫してからのことであったからである。
その報告によると、右翼縦隊は既に退却を開始しており、また中央、左翼縦隊も日本軍に食いつかれて身動きできなくなっているという。
これでは、右翼縦隊を南下させようにも、その進路は中央、左翼縦隊と日本軍との銃火で塞がれてしまっている。
大将は、そう状況判断した。
そこで、午後十一時になって、大将は、翌日は現状維持せよと下命し、南下作戦を中止する意図を表明した。
この旨は、午後十一時四十分になって、クロパトキン大将に電話報告された後、続いて書簡による伝達が行われた。
その内容は次のようなものである。
現在の戦況を打破するためには、単に日本軍左翼を攻撃するだけでは、不十分である。
しからば、如何なる作戦を実施すべきあるかといえば、蘇湖堡から大石橋に至る全正面にわたる総攻撃を実行し、一気に西部戦線の日本軍を撃滅すべきである。
このため、第一軍の第一軍団、第三軍の第十七軍及びシベリヤ第五軍団を第二軍に配備し、日本軍に対する優勢を確実にすることを要する。
しかるのち、第二軍は八日払暁に総攻撃を行う用意がある。

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ツシマ沖の海戦(その二百九十六) The Battle of Tsushima
2007-04-28 Sat 00:29
クロパトキン大将は、第一、第二軍の後退の件について、まず、第三軍臨時司令官ビルデルリング大将に自らの意向を伝えた。
それを聞いたビルデルリング大将の反応は厳しいものであった。
彼は直ちに、この時点での退却は早すぎる、六千人程度の日本軍であれば、予備兵力で十分対処できるはずであると、手厳しい反対意見を具申した。
しかし、クロパトキン大将は、第三軍に訓令した。
「北方正面の情況、憂慮に堪えず。此の苦境を脱するため・・・」には、取り敢えず渾河の栫まで兵を引いて防御ラインを敷き、更に再挙して攻勢をかけるのが、策を得ていると判断したことを伝えた。
ビルデルリング大将は、この訓令に不審感を抱き、第二軍司令官カウリバルス大将に意見を求める電話をかけた。
カウリバルス大将は、その訓令の内容を一笑に付した。
「北方には脅威など存在しない。本官から総司令官に意見具申することにしよう」
カウリバルス大将は早速、クロパトキン大将に電話をして、過早の決定は無用である旨を告げ、尚も言葉をついで、「第一、第三軍は健在であり、第二軍は現在攻撃中である。主力の後退は本軍の作戦を危殆に瀕せしむるものに外ならない」と強調した。
その強い語調にたじたじとなったクロパトキン大将は、カウリバルス大将の作戦継続の意思を確認したことでもあり、早々に決心変更をおこなった。
第一、 第三軍への退却命令を取消したのである。
ところが、ビルデルリング大将からの連絡内容は、間もなく第二軍司令部内に知れ渡り、「奉天既に危うし」、「敵は北方の鉄道線路を占拠せり」というような流言飛語を発生させた。
この心理的な動揺は、司令部外にまで波及して、退却の準備を始める者すら現れてきた。

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・・上本町分室開業のお知らせ・・
2007-04-27 Fri 03:45
我孫子総合事務所は、上本町分室を開き、4月9日より営業を開始しましたので、お知らせいたします。
分室は認定土地家屋調査士1名、認定司法書士2名、事務員2名のスタッフで運営しております。
なお、住所・電話番号は下記のとおりでございます。
何卒、よろしくお願い申し上げます。

大阪市中央区上汐二丁目6番11号 森脇ビル4階
TEL、06―6766―5232
FAX、06―6766―5231

AIO founded Uehommachi branch office and started business on April 9.
We inform you all of this news with joy.
Thank you.

News from ABC.
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ツシマ沖の海戦(その二百九十五) The Battle of Tsushima
2007-04-27 Fri 00:12
ところが、第二軍司令官カウリバルス大将は、チホウィチ部隊の派遣を知ると、同部隊の指揮官を第十連隊長ミセウィチ大佐と交替させ、おまけに配置も新民屯街道の西方に展開している左縦隊の後方を指定した。
午後七時過ぎ、総司令部のクロパトキン大将は、「奉天北方約二十キロの地点に日本軍六千在り」という諜者の報告を受け、愕然としていた。
実際は、誤報に近いものであり、「永沼挺進隊」が、奉天はるか北方の東清鉄道に接近中の姿を望見した諜報員の誇張した報告にすぎなかった。
永沼挺進隊は、騎兵第八連隊長永沼秀文中佐が指揮する二個中隊百七十六騎からなる遠征部隊であり、遠くロシア軍の背後に潜入して、二月十二日未明、新開河鉄橋を爆破した。爆破そのものは失敗に終わったが、この襲撃は二月十四日にクロパトキン大将に伝えられたときには、挺進隊の兵力は大幅に誇張されていた。
いわく、「騎兵六中隊、歩兵一大隊、馬賊二千以上からなる日本支隊」と報告された。
また、大将の耳には、「日本兵一万人、馬賊五千余」という膨れ上がった風説までもが届いていたのだ。
何度もくくり返すが敵に背後に回られることを極端に嫌う、クロパトキン大将は、護境歩兵一連隊、ドン騎兵第四師団、第四十一師団第二旅団、ウスリー騎兵連隊のほか、補充兵一万五千人、総計にして実に三万人の兵力を後方へ派遣したのである。
一方、永沼挺身隊は、約二千キロにわたる敵中の挺進行動の終え、七十五日目に無事帰還した。
三月六日の時点では、同挺身隊は二手に分かれ、四平街と昌図との間の東清鉄道を目指して東進中であったのだ。
この永沼挺進隊の行動は、再びクロパトキン大将の不安の念は掻き立てられた。
大将は、第一、第二軍を渾河の線まで後退させ、今後の事態の推移に備えようと決断した。

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ツシマ沖の海戦(その二百九十四) The Battle of Tsushima
2007-04-26 Thu 00:59
他方、ロシア軍側の様子といえば、午後六時少し前、全盛堡附近に布陣していた騎兵支隊長グレコフ少将から、第四十一師団長ビルゲル中将宛に援兵の要請が届いた。
それによると、日本軍は虎石台に進撃する気配は見せていないが、実は鉄嶺に直行する意図を有している、という情報を入手したとのことである。
全盛堡といえば、法庫門街道が旧鉄道堤と交叉する地点であり、東北方へ進むはずの敵と衝突するおそがあるので、援軍を要請したとの趣旨である。
虎石台で東清鉄道を守備しているビルゲル中将は、即座にグレコフ少将の不安を一蹴した。
「敵の東北方へ至らんとする運動は、奉天より我が軍の一部を誘致する示威運動に過ぎざるべし」
中将は、それは日本軍の陽動作戦であるから、援軍を送れば敵の思う壺にはまることになるとし、騎兵支隊が攻撃を受けるようなことがあれば、その時は、側面攻撃を行うので、心配は無用であると伝えたのである。
ビルゲル中将は、念のために、このやりとりを総司令部にも報告しておいた。
クロパトキン大将は、自軍の背後を脅かされることを極端に嫌う性格を有していた。
それだけに、大将はビルゲル報告を耳にしてから、不安の念がまるで巨大な黒雲のように内心に立ち込めるのを防ぐことができなくなっていた。
折から、ロシア第二軍は一大南下運動を開始していた。
それは、当然のことながら北方に手薄な地点が生じることである。
グレコフ騎兵支隊が、孤立する可能性は大である。
このままの情況で同騎兵支隊が攻撃されれば、ビルゲル中将は援軍を派遣することは必定である。
さすれば、虎石台は危険になり、ひいては東清鉄道の守備の破綻を招く。
クロパトキン大将は、予備隊から抽出した歩兵四大隊に、シベリヤ第三軍団第三師団第十連隊を加えた兵力を、総司令部参謀チホウィチ中佐の指揮に委ね、法庫門街道の三台子と鉄道沿線の文官屯を結ぶ線まで進出させた。
日本軍の攻撃を受けた際に、虎石台を救援させるための措置である。

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ツシマ沖の海戦(その二百九十三) The Battle of Tsushima
2007-04-25 Wed 00:42
午後四時三十分、散兵壕で銃剣突撃の合図を待っていた、第三大隊の兵士たちの耳に、突然背後から喚声が響いてきた。
第二十八連隊第七中隊の兵士が壕に飛び込んできた。
続いて、第二十五連隊第一大隊が、弾薬を背負って救援に駆けつけてきた。
その気配を察したのか、前進態勢を見せていた、ロシア軍も動きを停止した。
レーシ隊はなおも、対峙姿勢を崩さず頑張っていたが、午後五時過ぎになって、ようやく退却した。
レーシ大佐が攻撃中止を軍団長ゲルングロス中将に報告し、その承認を受けたので
ロシア側も手ひどい損害を受けていた。
レーシ隊の損害は死傷約千七百人にのぼり、後に再起不能と判定された。
日本側のそれは、第二十七連隊が死傷捕虜合計五百四十一人を数え、特にその六十二パーセントを第三大隊が占めていた。
この夜、乃木司令部では軍議が開かれ、乃木大将はその席上で、「今や、第三軍の全力を傾注すべきときが到来した」という判断を披瀝した。
大将は、劉家窩棚に対するロシア軍の逆襲は、日本側が相手の本陣地に迫った証拠であると考えていた。
敵は退却準備を始めており、その時間稼ぎの牽制ために反撃態勢を誇示したのだと判断していたのだ。
まさか、これがロシア側の大規模反撃作戦の一部だとは知る由もなかったのである。
大将は、速やかに敵の退路を遮断すべく、次のような命令を下した。
第一師団は、敵を東南東に圧迫し、田義屯に進出し、奉天・鉄嶺間の鉄道を破壊せよ。
これこそ、敵将クロパトキン大将が最も恐れていた作戦である。
第九師団は、観音屯へ進出せよ。ただし、第一師団との連絡を密にせよ。
観音屯は、奉天北方の東清鉄道沿いの集落である。
第七師団は、第九師団および第二軍との連携を保持しつつ、北陵へ向かえ。

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ツシマ沖の海戦(その二百九十二) The Battle of Tsushima
2007-04-24 Tue 00:36
繰り返すが、大石橋におけるこの日の日本兵の壊乱ぶりは、日本陸軍始まって以来の醜態であった。
急を聞いて現場に急行していた第九師団長大島久直中将自身が、前方から退却してくる兵士を一々呼び止め、事情を質すという騒ぎであった。
彼らの言うことをまとめると、劉家窩棚方面から膨大な勢力の敵兵ガ押し寄せてきて、これに応戦した守備軍は、たちまち幹部を失い、指揮すべき上官を失った兵は、三々五々逃げてきたのだという。
大島中将の手元には、僅かな護衛騎兵の一群がいるだけである。
結局、この師団最強部隊といわれる一戸少将の第六旅団の到着を待つしか術がなかったのである。
砲兵の活躍により大石橋は辛うじて持ち堪える結果とはなったが、乃木軍の一部の部隊は、この翌々日にも、もっと大規模な壊乱・敗走を繰り返すこととなった。
一方、劉家窩棚守備隊のほうは、ますます苦境に陥っていた。
折角、救援に来てくれた部隊も、その多くは村落の左右、後方に位置しているので、東、北、南の三方から攻撃を繰り返してくるレーシ隊の銃火を防ぐ役割を果たすことはできなかった。
劉家窩棚では、再び弾薬が欠乏してきた。
人馬の大半を失い、全隊の死傷は算無く、もはや万策尽きて、全線着剣して、敵の近接を待つことになった。
白兵戦を覚悟したのである。
第二十七連隊長竹迫中佐は、幹部将校を集めて、「今生の暇乞い」をすることにした。
一同が参集すると、中佐は、部下の奮闘に謝辞を捧げ、機密書類の処分を命じた。
そして、各陣地に伝令を派遣して、最後の連隊長命令を伝達させた。
「最早最期である。各自潔く散兵壕を枕にして死に就くべし」
第三大隊長吉岡少佐の発案で、幹部将校たちは、一瓶のブランデーの回し飲みをして、別杯の儀式に代えた。

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ツシマ沖の海戦(その二百九十一) The Battle of Tsushima
2007-04-23 Mon 00:07
ところが、馬上の斉藤少将の後姿が、南方の林中に消えたかと思う間に、北東方面からロシア軍部隊の一団が前進してくるのが、認められた。
これは大石橋を目指すザポリスキー隊の約二個大隊の兵員たちであった。
ポリスキー隊の前進は、レーシ隊の隊員たちの士気を大いに高揚させた。
更には、それまで、前進を拒否していた第十二、第百四十七連隊の一部の兵をレーシ隊の攻撃に参加させるという意外な効果まで発揮した。
特に、第十二連隊の第一大隊は、レーシ隊の右翼に加わり、劉家窩棚にじりじと迫っていった。
岡田隆治少尉の回想によると、当初、彼は左翼に現れた一縦隊の姿を友軍の増援部隊と勘違いして、喜び勇んで見つめていたとのことである。
ところが、あに図らんや、それが゛敵の増援部隊だと分かると、少尉は「不幸なる我が兵は十字火を受ける悲境に陥った」と落胆した。
その少尉自身も間もなく砲弾の破片を頭部に受けて昏倒してしまった。
午後三時前になり、日本側の砲兵隊が西に傾きかけた陽光を背にする有利な立場にたった。
砲撃の効果は劇的に増大した。
急行した永田砲兵旅団は、百五十門の野・山砲の砲列を布いて、二千メートルの距離から速射したのである。
ザポリスキー隊には明らかな動揺の色が見てとられた。
やがて、その一部は漸次退却を開始したのだ。
兵員たちは、日本軍の猛射に浮き足立ったのである。
将校が刀を掲げて、叱咤する姿が大石橋の日本軍陣地からも望見できた。
しかし、大勢は支え難くなっていた。
午後三時五十分に至り、同隊は全面的に退却した。

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ツシマ沖の海戦(その二百九十) The Battle of Tsushima
2007-04-22 Sun 00:29
ところで、この時期の乃木軍の兵の資質が大幅に低下していたことは事実である。
第三軍には、旅順を落してから北進するにあたり、大量の補充兵が送り込まれてきた。
消耗した軍を立て直すための当然の措置であるが、彼らは三ヶ月ばかり内地で速成の訓練を受けただけの応召兵である。
当然のことながら、第三軍の軍紀はゆるみ、戦力は落ちていた。
奉天落城後の総司令部松川参謀の総評によれば、『一般に軍隊の運動は過去の諸会戦に比し、足重きを感じたるは補充兵多きに原因するならん』とあるように、諸兵団の運動量においてもかなりの低下がみられたのである。
かつ、同参謀の各師団戦績概評によると、「後備旅団は悉く用をなさず」とあるが、事実、この日、三月六日の大石橋の戦闘において、後備歩兵旅団の一部が壊乱、敗走している。
ただし、大石橋の守備に関しては乃木軍司令部に油断があった。
五日夜までは、第一師団が同地附近に駐在していた。
「第一師団の前面の敵は、極めて薄弱である」
乃木司令部は、そう判断して、六日朝僅かの守備兵を残し、北方の平羅堡へ移動してしまったのである。
乃木大将も、永田砲兵旅団を率いて、馬三家子に前進した。
ところが、その第一師団の大石橋守備隊に対して「ザポリスキー隊」が襲来したのである。
この隊の兵力は約二個大隊である。
たちまち、日本軍守備隊を蹴散らしてしまった。
この大石橋の戦闘での日本兵の壊乱振りは、凄惨なものであった。
急報を受けて
さて、この日のロシア側の事情であるが、シベリヤ第一軍団長ゲルングロス中将は、中央縦隊の指揮官トポルニン中将から猛烈な抗議を受けて、頭を抱えていた。
中央縦隊第一線の前方を進むコースを与えれていたはずのドウポルムスニツキー隊とクラウゼ隊が、日本軍の銃砲撃を避けるために、陣地内に入り込んできて混乱を生じさせている、というのである。
しかし、外側に位置するレーシ・デウィット両隊も日本軍と対峙したまま、移動できない状態に陥っている。
ゲルングロス中将にしても、この環境では、劉家窩棚の日本軍を攻略する以外に戦局を打開する途はなかったのである。
中将は止むを得ず、レーシ隊の劉家窩棚攻略を待つ形で、他の三隊の前進を中止させた。
中将は、同時に大石橋攻略を受け持つザポリスキー隊に進撃の督促を強く指示した。
ロシア側の内部混乱は、自然とその銃砲火を衰えさせた。
午後二時、それまで劉家窩棚に留まって戦況を見つめていた第十四旅団長斉藤少将は、戦況が好転したと判断し、前紅旗台へ引き上げることにした。

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ツシマ沖の海戦(その二百八十九) The Battle of Tsushima
2007-04-21 Sat 00:00
劉家窩棚の附近に位置する味方といえば、北方の高力屯との中間に第七連隊第一大隊、南西にあたる程三家子には、第二十七連隊第二大隊、南方の後紅旗台には騎兵第七連隊と第二十七連隊第七中隊だけである。
いずれの部隊も手薄であったが、第二十七連隊長竹迫中佐は、再び程三家子の第二大隊に援兵を要求した。
第二大隊長宇宿少佐は、前紅旗台にいる第八中隊を呼び戻し、劉家窩棚へ派出した。
第八中隊は、鬨の声をあげながら、弾雨の中を猛進した。
その先頭に立って、軍刀を振りかざして突進した小久保延吉少尉は、劉家窩棚に走りこむ直前に砲弾片を頭部に受けて戦死した。
しかし、午後一時になって、第八中隊中の三個小隊が劉家窩棚に到着した。
劉家窩棚守備隊は、それまで死傷者から弾薬を回収して戦闘を続けていたが、援軍の到来に兵員の士気は一挙に高まった。
次いで、第二十八連隊第二大隊第五、第八中隊が来援した。
第七師団長大迫中将が派遣した予備隊である。
更に、第二十五連隊第一大隊からの弾薬車が駆け込んできた。
思えば、乃木軍は辛い戦いを強いられてきたものである。
二月末以来、総司令部は常に乃木軍の動きに不満を抱いていた。
総司令部は、常に乃木軍を叱咤し続けた。
三月二日、乃木軍と総司令部との電話は一日中不通となっていた。
総司令部から進撃速度の遅延ぶりを咎められた乃木大将が怒って、電話線を引きちぎってしまったからだと伝えられているが、事実は砲弾による切断事故であった。
三日早朝、田中司令部参謀と河合第三軍参謀副長との間で、復旧した電話線を使用して、通信連絡問題を巡って激しい議論が戦わされた。

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ツシマ沖の海戦(その二百八十八) The Battle of Tsushima
2007-04-20 Fri 01:51
乃木大将を憤激させた第九師団も、大石橋進出を急いでいた。
正午頃のことである。
右翼の第六旅団は、騎兵が砂塵を巻上げながら先頭を疾走すると、砲兵第十六連隊第一大隊が息せき切って追走した。
続いて工兵隊と第七連隊が速歩で追求した。
左翼に展開した第十八旅団、砲兵隊も急行する。
大石橋には、第一師団に派遣された第三軍参謀津野田是重大尉が待ち構えていた。
大尉は、到着したばかりの砲兵第十六連隊第一大隊に独断で布陣位置を指示した。
第三軍命令を偽った専断行為である。
しかし、事態は急を告げていた。
大石橋にもロシア側の砲弾が落下し始めていたのだ。
大尉が指示した砲兵の展開陣地は,大石橋の北方二百メートルの地点である。
そこへ行くには、小さな流れを越える橋を渡らなければならない。
ロシアの砲弾は、その辺りにも集中していた。
先頭の砲車がその橋を渡った瞬間、被弾し砲車は転覆し、挽馬二頭が斃れ、数人の兵員もともに死傷した。
しかし、後続の砲車は、何事も無かったかのように戦友の屍を乗り越え、指定された位置に走りこんだ。
その一部始終を眺めていた津野田大尉は、はらはらと落涙しながら、「よし、よし」と大声を出して頷いた。
その直後、第七連隊と率いて、大石橋に到着した第九師団第六旅団長一戸兵衛少将に向かって、津野田大尉は、援兵を要請した。
「いかなる兵種でもよろしいから、お願いいたします」
傍らにいた第九師団長大島久直中将が、髭の口元に笑みを浮かべながら、興奮した津野田大尉の顔を暫く眺めていたが、やがて、静かに一戸少将に第七連隊の高力屯への派遣を命じた。
この時期、劉家窩棚では、二挺あった機銃のうち一挺が砲撃によって破壊され、弾薬も欠乏を告げていた。

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ツシマ沖の海戦(その二百八十七) The Battle of Tsushima
2007-04-19 Thu 03:23
乃木大将は、この報せを受けて動揺した。
「第九はなにをしとるのか」
大将は、思わず不満の呟きを漏らした。
移動が大幅に遅延している、第九師団への怒りであった。
しかし、劉家窩棚の守備隊は焦眉の急を告げている。
大将は取り敢えず、予備として置いてあった後備第十五旅団と砲兵隊に同地の救援を下令した。
午前十時四十分、第十四旅団長斉藤少将が、劉家窩棚に進出してきた。
少将は、飛来する銃砲火の中を悠然として、馬を進めてくる。
その姿に、将兵の士気は大いに鼓舞された。
しかし、前面のロシア兵の数は増えるばかりである。
第二十七連隊長竹迫中佐は、程三家子を守備している第二大隊長宇宿格輔少佐に伝令を派遣した。
至急、援兵を派遣することを命じたのである。
ところが、程三家子の第二大隊は、第八中隊を前紅旗台へ、第七中隊を後紅旗台へそれぞ派遣していたので、程三家子を守っているのは、僅かに第五、第六の二個中隊である。
大隊長宇宿少佐は、第五中隊を割いて、劉家窩棚に急派した。
しかし、同中隊も途中デウィット隊の攻撃に曝されて、結局は劉家窩棚に到着することはなかった。
レーシ隊に同行している、例の戦意に乏しい第百四十七連隊も、流石にレーシ隊の奮戦を目の当たりにして目覚めたのか、北方の高力屯の攻撃を開始した。
高力屯を守っていたのは、第一師団第一連隊第二大隊である。
指揮官は福田栄太郎少佐である。
第百四十七連隊は先ず砲撃によって、高力屯の集落に火災を発生させ、その後、突進を試みたが、日本軍の機銃掃射を受けて、簡単に退却した。

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ツシマ沖の海戦(その二百八十六) The Battle of Tsushima
2007-04-18 Wed 00:09
一方、日本軍の苦戦は続いていた。
劉家窩棚の前方約六・七百メートルの地点にまで、レーシ隊が迫り、敵の砲火により村落内には火災が発生していた。
守備隊には、機銃は備えられていたが、火砲がなかった。
ただ、敵の銃砲火に耐える以外にはなす術もなかった。
第十四旅団長斉藤少将は、劉家窩棚守備隊の苦境を知り、第七師団長大迫尚敏中将に援兵を要請した。
中将は、右翼を守る第十三旅団長吉田精一少将に左翼隊に協力するよう命令した。
ところが、吉田少将からは、実行は困難である旨の返答があった。
大迫中将は、第二十六連隊第一大隊を前紅旗台に派遣して左翼隊に協力するように指示したのであるが、吉田少将からの報告によると、李官屯にいる同連隊は、ロシア側の砲撃を受けて立ち往生しているとのことであった。
また、第十三旅団前面に位置するロシア軍にも不穏な動きが見られるため、兵力の派出はご勘弁願いたい、との断りも付け加えられていた。
大迫中将は、それを了承し、代わりに予備の第二十八連隊の派出を命じた。
丁度その頃、乃木司令部は藍家屯に進出していた。
同村は、大石橋北西に位置する寒村である。
ただし、乃木大将は劉家窩棚の異変に関しての報告はまだ耳にしていない。
ところで、大将は、第九師団は既に大石橋附近に集結済であると理解していたのだ。
そこで、更に第三軍を北進させるため、午前十時三十分、第一師団を平羅台、第九師団は秋家屯、第七師団を造化屯にそれぞれ進出するように命じた。
このとき、第七師団長大迫中将からの急報が、第三軍司令部に飛び込んできた。
「劉家窩棚の第七師団の一部敵の逆襲を受け、大石橋に退却セリ。第九師団にては、目下直ちに之に応援し得べき兵力無し」
第三軍司令部が騒然となったのは、いうまでもない。
ただし、これは誤報である。
後民屯経由の電話連絡が、途中で一部が歪められてしまった結果である。
この時期、退却したのは大転湾橋守備隊のみである。

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ツシマ沖の海戦(その二百八十五) The Battle of Tsushima
2007-04-17 Tue 00:13
岡田少尉の従卒米山文吉二等卒も頚部貫通傷を受けたが、幸いにして動脈を外れていた。
米山二等卒は、自身で仮包帯を巻き、そのまま岡田少尉に付き添い続けた。
ところが、今度は岡田少尉の右腰を飛弾が貫通した。
しかし、少尉は大きくよろめいたが、軍刀に縋ったまま依然として立ち尽くしていた。
劉家窩棚の第二十七連隊長竹迫中佐は、大転湾橋の第三大隊長吉岡銀一郎少佐に、劉家窩棚に引き上げるよう命じた。
吉岡少佐は、これを潔よしとせず、「退却すべき情況に非ず」と返答し、第九中隊さらに第十二中隊も第一線へ派出した。
大転湾部落内の陣地は、敵の銃砲火を浴びて、さながら生き地獄を現出していた。
折れた銃、曲がった銃剣、破れた軍帽が散乱する中に、手足をもがれ内蔵が露出した重傷者が行きも絶え絶えに苦痛を訴えている。
死体からはまだ鮮血が噴出している。
゛「ロスケめ」「日本帝国バンザイ」を唱えて死んでいく兵士。
この苦境に立ち至って、第三大隊長吉岡少佐も、再起を図るため退却を決意した。
時刻は、午前九時三十分のことである。
何しろ守備する日本軍には、機銃はあっても火砲がないのである。
しかし、将兵の混乱は甚だしかった。
方角を見失ったように或いは北へ、また西へと走り出し、ようやく機銃の援護と劉家窩棚の第十一中隊の支援により、同村の東端に集結を終わった。
レーシ隊は、日本軍の退却を知ると、右翼に第一大隊、左翼に第三大隊を配置して、すかさず追撃を命じた。
それを見て、それまで状勢を静観していた第百四十七連隊も前進を始めた。
ところが、百歩も進まないうちに、再び停止してしまった。
お義理に前進したとしか思えない態度であった。

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ツシマ沖の海戦(その二百八十四) The Battle of Tsushima
2007-04-16 Mon 00:53
日本側が、ロシア軍の動きを最初に察知したのは、第七師団の左翼に展開していた第十四旅団である。
デウィット隊の斥候が前紅旗台の正面に姿を見せたからである。
この附近を守備していた日本軍の配置は次のとおりである。
前紅旗台は、吉井直太郎少佐の指揮する第二十七連隊第一大隊。
後紅旗台は、白石千代太郎中佐の騎兵第四連隊。
劉家窩棚は、二十七連隊、連隊長竹迫弥彦中佐。
この劉家窩棚の守備隊・第三大隊からは、大転湾橋にその主力である第九、第十、第十二中隊を派出させていたが、その第十中隊の一部が転湾橋に進出して小哨を築いていた。
レーシ隊は、転湾橋の日本軍小哨を駆逐すると、そのまま前進して大転湾橋に迫った。
当地を守備する日本軍の最前線には、第十中隊が位置していたが、レーシ部隊の攻撃にさらされた。
方士屯に布陣したレーシ隊の六門の砲が一斉に支援砲撃を始めた。
たちまち、第十中隊は着弾する火炎と砂埃に包まれた。
第九中隊の岡田隆治少尉は、午前八時過ぎ、第一線方面から「逆襲」という叫び声が起こったのを耳にして、大転湾橋部落の土塀によじ登り、仁王立ちになって双眼鏡を眼に押し当てた。
そのとたん、猛烈な風が吹き始めて、四辺は砂煙に包まれた。
気まぐれな満州風は吹き始めた時と同様に、突然止んだ。
と、まるでそれを待っていたかのように、ロシア側の銃砲火が激烈となった。
岡田少尉は左手に貫通銃創を受けで、土塁から転がり落ちた。
大隊副官鏡味岩太郎中尉の肉体が砲弾で四散した。
その弾片は、軍刀に縋って佇立していた岡田少尉の右足を傷つけた。
実は、このロシア軍による反撃は、第三軍司令部の誰もが想定していなかった事態である。
敵は奉天前面の堅固な陣地を頼り、もっぱら守勢に回っているむと信じ込んでいたのである。

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ツシマ沖の海戦(その二百八十三) The Battle of Tsushima
2007-04-15 Sun 00:00
三月六日、ロシア第二軍右翼縦隊の指揮官であるシベリヤ第一軍団長ゲルングロス中将は、第十二号命令を受け取った。
午前四時十五分のことである。
中将は、午前七時、指揮下の各部隊に対して兵力配備と攻撃目標を次のとおり示達した。
シベリヤ第一連隊長レーシ大佐を指揮官とする部隊は、藍山台。
第十七軍団集成師団長デウィット少将が率いる部隊は、高明台。
シベリヤ第一師団第一旅団長ドウボルムスニツキー少将の配下の部隊は、張士屯。
シベリヤ第一軍団第九師団第一旅団長クラウゼ少将が統率する部隊は、寧官屯。
午前六時三十分過ぎに、ロシア南下部隊が行動を開始した。
最も外側を進むレーシ部隊は、午前七時四十分、方士屯に到着した。
レーシ大佐が双眼鏡を眼にして北西の方角を偵察すると、大転湾橋附近に日本兵の姿が認められた。
そこで、大佐は支援部隊である第十二、第百四十七連隊の到来を待つことに決めた。
午前八時になって、両部隊は到着したが、いずれの部隊の指揮官も指揮系統の違いを主張して、大佐の指揮下に入ることを拒絶した。
やむを得ず、レーシ大佐はシベリヤ第一連隊の兵力だけで、先ず大転湾橋の日本軍を制圧することを決心した。
側背から攻撃されることをおそれたのである。
大佐は、方士屯に砲六門を置き、第一大隊、第二大隊を正面に配置し前進を命じた。

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ツシマ沖の海戦(その二百八十二) The Battle of Tsushima
2007-04-14 Sat 00:00
ところが、肝心な第二軍司令官カウリバルス大将は、クロパトキン大将の意図を誤解していた。
クロパトキン大将の書簡がいう「与えられた任務」なる文字を、要するに西部戦線の日本軍を撃攘することであり、その手段は自分に一任された、と解釈したのである。
カウリバルス大将は、当面の敵情を次のように判断していた。
敵は約三個師団の兵力を、渾河と旧鉄道堤で形成される地域に集結している。
また、北方の新民屯街道に至る間に、兵力未詳の敵兵が存在する。
その他には、同街道東北正面に騎兵小部隊が現れた模様である。
大将は、以上の判断に基づいて、午後十一時四十五分、第二軍第十二号作戦命令を下した。
命令は「軍は明日、北方及び西北方の敵を監視しつつ、沙嶺堡、徳勝営子、郎家堡の線を占領する目的を以って、左旋回運動を行わんとす」という内容で、後に「限り無き誤判断に基づく非現実的作戦の典型」と酷評されることとなった。
その批判の理由は簡単であって、同大将が日本軍の位置を誤判定し、かつ、その兵力を過少評価したことにあった。
前述したようにカウリバルス大将は、当面の日本軍は、渾河と旧鉄道堤によって形成される地域に集結している、と判断した。
これは左翼縦隊長ツェルビッキー中将の「前面に敵三個師団以上」という報告を鵜呑みにしてしまった結果である。
実際に、その地域にいたのは日本軍第五師団だけであった。
なおも、第十二号命令には、その他の脆弱性が含まれていた。
同命令によると、使用兵力は右翼縦隊に、新民屯街道の三台子に駐屯するザボリスキー大佐の支隊を加えたものである。
しかも、カウリバルス大将は、午後十時、第三十一師団第二旅団を右翼縦隊から抽出して、左翼縦隊に派遣する命令を下達していた。
この結果、右翼縦隊の歩兵兵力は約三十三大隊に減少していたのだ。

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ツシマ沖の海戦(その二百八十一) The Battle of Tsushima
2007-04-13 Fri 04:56
クロパトキン総司令官は、自軍が各戦線を確保していると確信していた。
西部戦線においても、第二軍が主導権を保持していると判断していた。
しかし、四、五日両日にわたっては、第二軍の動きは見られなかった。
もっとも、同軍と対峙する日本軍も目立った活動を見せてはいなかった。
クロパトキン大将は、西部戦線に配置された日本軍は約四個師団半と見積もっていた。
これが正しければ、その兵力はロシア第二軍の三分の二弱である。
予定通り第二軍が決然たる攻撃を実施すれば、日本第三軍の撃退は可能である。
しかし、大将はあくまで慎重であり、まず第二軍を援護すべき予備兵力の集成を図ることにした。
第三軍戦線内に配置さていた第二軍第八軍団第十五師団から二個連隊を奉天へ向かわせ、奉天においても鉄道守備隊等からかき集めた兵力をもって、集成一個師団、独立二個連隊の緊急編成を命じた。
指揮官には、集成軍団第一旅団長ドムブロフスキー少将を任命した。
大将は、また、例のごとく後方の安全を確保するため、虎石台附近の防備強化を指令した。
虎石台は奉天北方の要衝である。
クロパトキン大将は、第二軍の攻撃に際しては、迅速な行動が敵の抵抗を弱めること、敵を疲れさすために夜間には猛烈に騒擾して、敵の睡眠を妨げるようとの、注意を送った。
さらには、第二軍司令官カウリバルス大将に、書簡を送り激励した。
書簡にしたためられた内容は次のとおりである。
「本日は、諸種の原因により、貴官の為したる所甚だ少なし。明日、第二軍の諸隊の負へる任務を遂行すること、緊要なり。全力を挙げて諸種の手段を尽くされんことを、切望す。予は貴官に信頼す」
クロパトキン大将は、第二軍が第十一号命令を実行することを期待していたのである。

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ツシマ沖の海戦(その二百八十) The Battle of Tsushima
2007-04-12 Thu 00:10
このような一刻を争う包囲運動の最中に、意見の衝突が主因となって、師団の転進が遅延したことは、甚だしく遺憾な出来事であった。
これに比べて、当日李官堡正面の攻撃に任じた第三師団の参謀長山田忠三郎大佐の処置は見事であった。
この攻撃は日本側の意のままにならず、被害が続出し、第三師団は殆ど攻撃力を失った状態となった。
このままでは、翌日の攻撃が不可能になることをおそれた同参謀長は、一策を案じて、師団の情況を軍参謀長に報告するとともに、明日依然攻撃を続行する決心を吐露した。
軍参謀長は,師団の攻撃続行の危険を覚り、満州軍総司令部の同意を得て、一時攻撃を中止し、その位置を固守することを命じた。
これによって、師団は独断攻撃を中止したという責を免れ、その面目を保ち得たのである。
ところで、この日、第四軍正面は、午前中は進展が見られたが、午後になるといささかの進捗もなかった。
この夜、ロシア満州軍司令部では、クロパトキン大将が頻りに情勢判断を試みていた。
しかし、何しろ情報不足であった。
日本軍の現在位置が不鮮明である。
大将の判断するところによると、転湾橋、平羅堡附近には強大なる日本軍が存在する。
大石橋、李官堡には、日本軍第三軍の第一、第七、第九師団がいることは明確であるが、張士屯の日本軍については詳細不明である。
来勝堡についても不明であるが、渾河右岸は第八師団である。
ロシア第三軍の正面の日本軍の正体も同じく不明である。
沙河堡の前面には第三師団、ロシア第一軍の正面には日本軍第一師団および鴨緑江軍が対峙している。
この情勢判断を評すれば、頗るお粗末の一語に尽きた。
僅かに正確なのは東部戦線だけである、と言える。
しかし、クロパトキン大将は総合的に判断を下し、「全般の形勢いよいよ急なるも、猛烈なる動作に出るときは、なお,最後の勝算を期し得べし」と決定を下した。
その根拠は日本軍の運動の不活発さにあった。

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ツシマ沖の海戦(その二百七十九) The Battle of Tsushima
2007-04-11 Wed 00:19
さらに、大島久直中将は、第三師団が張士屯西方に進出したという報告を受けると、左翼隊に日没後に第三師団と交代することを命じた。
左翼隊の隊長は第六旅団長一戸兵衛少将である。
大島中将は、右翼隊に対しては、転進命令を発することはなかった。
万策尽きた井上参謀は、第三軍参謀副長河合操中佐に連絡し、ことの仔細を報告した。
午後六時、乃木大将は、「各師団は即時運動を開始し、新地域内に移転すべし」との命令を発出した。
新地域とは次のとおりである。
第七師団については、前紅旗台から劉家窩棚に至る地域。
第九師団は、前紅旗台から造化屯に至る地域。
第一師団は、造化屯から平羅堡東北約二千メートル附近までの地域。
流石に、この命令を受領しては、大島中将も従わざるを得なくなって、右翼隊に対して、「夜闇に至れば戦闘を中止」して、北方へ移動するよう下令した。
通報を受けた第二軍においても、奥大将は第三軍の移動は、十里碼頭から太平庄に至る線上に構築されているロシア軍主陣地に阻まれて遅れるものと推測した。
そこで、当面の敵をその本軍陣地内に圧迫し、爾後奉天方面に転進する決心を固めた。
そして、配下の各師団の進出目標を、第三師団は北陵、第八師団は奉天停車場、第五師団は大堡、大路官堡、と定めた。
奉天に向かって北東進する計画を立てたのである。

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ツシマ沖の海戦(その二百七十八) The Battle of Tsushima
2007-04-10 Tue 00:23
「予も大島であるが、第三師団長も大島である。去れど、大島の部下を大島に委ねるにしても、大島の部下は新来の大島にては指揮不十分となるであろう。」
大島久直中将は、満州総予備隊の位置にあった第三師団長大島義昌中将のもとへ部下を委ねるのは、不安であると異議を唱えたのである。
大島久直は、同名の大島義昌中将とよく混同されるが、義昌のほうが長州出身であるのに比べて、久直は、いわゆる藩閥に属さない秋田の出身であった。
秋田藩士槍術師範大島久徴の次男として生まれ、長じて、江戸に出て蘭学を学んだ。維新後苦労して陸軍に入り、苦学して中尉に抜擢された。
少佐に進級の、後明治八年には、東京鎮台幕僚参謀副長に任ぜられている。明治十年の西南の役では別働第四旅団の歩兵第一連隊に属する大隊長として従軍した。
明治二十二年、近衛歩兵第3連隊長、翌明治二十三年、陸軍大学校長、明治二十五年には陸軍少将に進級し、歩兵第五旅団長に任ぜられた。
明治二十六年、歩兵第六旅団長となり、日清戦争に赴いている。
明治三十一年、陸軍中将に進級し、第九師団長に任ぜられる。
旅順攻略戦においては、第三軍の中では最も勇敢な師団長として知られ、部下からも親しまれていた。
なお、彼の第九師団は、日清戦争の後、軍備増強の必要性から明治三十一年、新設された六師団のうちの一つであり、金沢で編成されたこの師団は北陸の富山・石川・福井三県の健兵によって構成されている。
ところで、司令部では、なおも双方の議論が続いていた。
大島中将は、午後三時、右翼隊長第十八旅団長平佐良蔵少将に、第八師団の楊士屯攻撃に対する協力の続行を命じた。

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シマ沖の海戦(その二百七十七) The Battle of Tsushima
2007-04-09 Mon 02:54
第二軍司令官奥大将は、午前十時、指揮下の第三師団長大島義昌中将に、第九師団との打ち合わせを指示する命令を準備した。
その命令の伝達は、第三軍司令部から第九師団へ派遣される参謀井上幾太郎少佐に託されることとなった。同行するのは、第二軍参謀金谷範三大尉である。
第二軍司令部を訪ねた井上参謀は、第九師団の移動は、師団長大島久直中将の性格上、
難航するのではないか、との懸念を漏らした。
この少佐の悪い予感は、的中したのである。
陸軍大学校教官であった谷寿夫大佐によって著述された「機密日露戦史」には、「然るに、右翼縦隊は端なくも第二軍との交替に関し一大騒擾を醸すに至る」と描写されている騒動が起こったのである。
折しも、第九師団は、平佐、一戸旅団を第一線に出して、張士屯附近の敵を攻撃中であった。
五日朝来、右翼旅団は第八師団の懇請により、同師団の攻撃に,戦闘は熾烈を極めていた。
午後二時、井上、金谷両参謀は、第九師団司令部に到着して、直ちに第三師団と交替して転進すべき第三軍の命令を伝達した。
しかし、師団長大島義昌中将は、目下の情況上、左翼旅団はともかく、右翼旅団は抽出することは絶対に不可能であるとして、命令を肯んじなかった。
実は、大島中将は、作戦地域を第三師団に譲り、第一、第七師団の中間に移動するべしととの内命を受けていたのである。
大島久直中将は、そこで南接している第八師団に通報すると、同師団長立見尚文中から楊士屯攻撃のためも第九師団右翼隊の協力を要請され、それに承諾の返事を与えていたのである。
大島久直中将は、右翼隊の即時離脱は、第八師団への信義上からも認めがたい、と主張したのである。
第九師団司令部には、第三軍参謀山岡熊治少佐が連絡のために来ていたが、少佐も大島久直中将の意見に賛成した。
意見は二派に分かれて議決することがなかった。
その間に、第三師団は到着し、交代準備に入った。
困り果てた井上参謀は、右翼隊を一時、第三師団の指揮下において、主力を北上させてはいかがなものか、と進言した。
しかし、大島久直中将は首を縦に振らなかった。

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ツシマ沖の海戦(その二百七十六) The Battle of Tsushima
2007-04-08 Sun 01:43
乃木大将は、この「虚報」は、東部・中部戦線におけるロシア軍の総退却を告げるものと判断した。
そこに、第二軍奥大将からの申出である。
乃木大将は、敵が総崩れを起こしたものであるとの自己の判断に、ますます自信を深めた。
したがって、その退路遮断のためには、作戦区域の明け渡しは、第三軍にとっても有効であると考えたのである。
ただし、交替対象地域では、第九師団が楊士屯、第七師団は李官堡で交戦中であり、急に転進させれば、敵の追尾を受けることは必定である。
乃木大将は、「両師団の各其の前面の敵を撃攘したる後、逐次左方に旋回して貴軍に展開正面を与たうべし」と、奥大将に返電した。
午後五時、総司令部命令を携えた伝令騎兵が、第三軍司令部に駆け込んできた。
第三軍は、其の命令に附属した「全般情勢」に瞠目した。
第一軍および第四軍の戦況は前日同様に停滞し、一向に進捗していないと、いうのである。
さすれば、前の「両軍は既に渾河の線に到達した」との総司令部情報は、誤報であったことになる。
これでは、敵には退却の意思はないものと判断せざるを得ない。
奉天西方には敵の堅固な防衛陣地が置かれている可能性は大である。
深追いは禁物である。
乃木司令部は、奉天直攻の不利を悟り、主力を北進させることを決意した。
北から南へ第一、第七および第九師団の順序で展開している第三軍の配置のうち、先ず第九師団の攻撃を中止させ、北進させる。
続いて、干洪屯で交戦中の第七師団を敵撃退後、北転させる。
連絡を受けた第二軍司令部では、第九師団のあとに第三師団を進出させることに決めた。 

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ツシマ沖の海戦(その二百七十五) The Battle of Tsushima
2007-04-07 Sat 00:07
一方、日本軍第三軍も、予期していた戦闘に入れなかった。
前夜、午後十一時十分に発令された、楊士屯━後民屯地区を第二軍に譲るようにとの第三軍宛の命令は、午前零時三十分、電話により第二軍司令部に伝えられた。
第二軍は筆記した命令書を伝令騎兵に託し、後民屯にある第三軍司令部へ走らせた。
午前三時、第二軍司令官奥大将は、第二軍司令官乃木大将と作戦区域の変更についての交渉に入った。中継電話と伝令騎兵を使っての意思表示である。
奥大将の要望は、次のとおりである。
ロシア軍は、奉天南西十里碼頭から北西の太平庄を経て北東に延びる弧状のライン上に堅固な防御線を構築している。
貴職は総司令部命令で、承知済みと思うが、楊士屯、張士屯、李官堡を繋ぐ南北の区域を第二軍の作戦地域に変更するよう、処置を願いたい。
ところが、第三軍司令部には第二軍が派遣した伝令騎兵は未だ到着していなかった。
そのため、乃木司令官は総司令部命令の内容を承知していなかったが、奥大将の要望は、戦況に即したものであると判断した。
ところで、この日未明、田中義一総司令部参謀は、各軍推進の目的を以って一奇策を案じた。
彼は電話を使って第一軍、第四軍に対しては、第三軍が奉天北方において既に敵兵を遮断した旨を通報した。
また、第三軍には、第一、第四軍は既に渾河の線に進出した、との情報を与えた。
田中参謀は、第一、第四および第三軍を督励するために、この虚報を伝えたのである。

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ツシマ沖の海戦(その二百七十四) The Battle of Tsushima
2007-04-06 Fri 06:46
しかし、実情は日本軍第五師団の攻撃はロシア軍の西南部莫家堡附近のロシア軍の側射
受け、苦戦に陥り攻撃は進捗しなかった。
また、日本第八師団も寧官堡、楊士屯に攻撃を繰り返したが、ロシア側の頑強な抵抗に阻まれて、いずれも成果を上げることはできなかった。
しかし、左翼縦隊第十軍団長ツェルビッキー中将は、莫家堡方面が突破されることを憂慮して、この日、正午ごろ第二軍司令官カウリバルス大将に通報した。
「当縦隊左翼に日本軍三個師団以上在りて、我に対峙する。増援求む」
この通報は誤報であったが、結果的に以後のロシア第二軍の戦略を誤導する大きな要素となった。
カウリバルス大将は、この通報を深刻に受取り、直ちに軍予備隊中から第八軍団第十四師団第五十五連隊と遼河支隊第二百四十一連隊を抽出して、左翼縦隊に急派した。
大将は、続いて右翼縦隊第十軍団から第九師団第二旅団に南下を命じた。
そして、右翼の縦隊長ゲルングロス中将に対して、「左翼の情況が明確になるまで、攻撃を中止すべし」と下令した。
ところが、左翼の日本軍の攻勢は、もっぱら砲撃に頼るものであり、日本軍第八師団の寧官
堡、楊士屯附近に布陣するロシア第八軍団第十四師団に対する攻撃も、午後二時には下火となった。
この時期には、右翼の主体となるシベリヤ第一軍団の前進準備は整っていたが、カウリバルス大将は、右翼に発出した攻撃中止命令をそのまま放置した。
大将の意図は、左翼の危機に際して、右翼より兵力を抽出したため、左翼が確実に日本軍を撃退するのを確かめてから前進再開を命ずる心積もりであった。
しかし、前に発出された第十一号命令によれば、中央部隊は右翼、左翼は中央部隊の前進をまって進撃することになっていた。
したがって、右翼に出された攻撃中止命令は、自然と第二軍全体に停滞状態を来たし、不動の姿勢のまま日没を迎えることとなった。

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ツシマ沖の海戦(その二百七十三) The Battle of Tsushima
2007-04-05 Thu 00:00
実は、莫家堡という名の村落は、渾河の南岸と北岸にそれぞれ一つずつ存在していた。゛
渾河沿いに布陣していたロシア第二軍莫家堡支隊は、北岸の莫家堡に第三十三連隊、南岸の同名の部落に第百二十二連隊が配置されていた。
午前六時過ぎから、日本第二軍第五師団の攻撃を受けることとなった。
支隊長を務める第百二十二連隊長ミュルレル大佐は、第十軍団第九師団長ゲリシェルマン中将に砲兵隊の援護を求めた。
午前七時三十分、砲兵第五大隊第二、第三中隊が到着した。
ところが、砲兵隊は布陣を終わっても、なかなか射撃を開始しない。
苛立ったミュルレル大佐が、その理由を問いただすと、砲兵隊の指揮官は、望遠鏡の持参を忘れたので、目標の確認ができないとの意外な返事が返ってきた。
「それならば、敵の所在は概ね明らかであるから、敵方向に向かって散布射撃を試みられたい。」
大佐の要請に対して、砲兵隊指揮官の返事はそっけなかった。
「いや。それは不可能です。本隊は砲弾節約令を受けています。有効弾でなければ発砲を控えたいとおもいます。」
憤慨した大佐は、第九師団長ゲリシェルマン中将に、「無用の砲兵隊」の退去を要求した。
それを聞いた中将も怒り心頭に発し、砲兵第五大隊に莫家堡支隊に協力すべきことを厳命した。
砲兵隊は、中将の剣幕に恐れをなして、砲撃をようやく開始した。
ところが、信管の調節を間違えたのか、三発ほどが第百二十二連隊の散兵線附近で炸裂した。
「貴隊は有害である。疾く去れ。」
ミュルレル大佐が怒号を張り上げると、それに応じて第百二十二連隊の兵士たちの銃口が一斉に味方の砲兵隊に向けられた。
恐れをなした砲兵隊は陣地を捨てて退散した。

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ツシマ沖の海戦(その二百七十二) The Battle of Tsushima
2007-04-04 Wed 00:14
しかし、第二軍の現況と第十一号命令との間には、致命的な欠陥が内臓されていた。
先ず、作戦命令から判断すれば、攻撃の開始は右翼部隊から発動され、中央縦隊は右翼が日本軍第三軍の北翼部隊を姚家屯まで撃退するのを確かめてから、張士屯方向に前進する。かつ、左翼縦隊は、中央縦隊の前進を見届けたうえで、莫家堡を支点として左旋回して、旧鉄道堤へ向かう、というものである。
しかし、その作戦が成功するためには、第十号命令によって整えられていた作戦準備を適宜、第十一号命令態勢に切り替えなければならない。
ところが、ロシア第二軍の情況は、既にこの前提にそぐわぬことを現していた。
第二軍の総兵力は、歩兵百五大隊半、騎兵五十八中隊、火砲四百八十六門とされていたが、実際に各縦隊が把握していたのは、大幅に下回っていた。
それに加えて、各部隊の臨戦態勢の遅れも大きかった。
主攻部隊である右翼縦隊は、この日の午前八時までに、小韓屯、前塔湾地区に集結して、前進を開始するべきの指令を受けていたのにかかわらず、シベリヤ第一軍団が集結地点に到着したのは、正午過ぎになっていた。
しかも、部隊全体に蔓延していたのは、部隊は後方警備が主任務であるとの意識であった。
したがって、兵員全体に、自己の部隊が攻撃の主力とされているのであるとする気構えが浸透するまでは、時間がかかり、ようやく前進態勢を整えたのは、午後二時を回っていた。
ただ、司令官カウリバルス大将は、意気軒昂としていた。
配下の各司令官に、「ロシア帝国の興亡はこの一戦にかかっている。」と訓令し、さらに「予が斃れた後は、第一に参謀長ルズスキー中将、第二にラウニツ大将を後継者に指名する。」と全軍に布告した。
第二軍司令官カウリバルス大将は、張り切って、早朝から前塔湾附近に進出して、待機していたが、その後、大将が受け取る情報は、右翼縦隊の発進遅れに関するものばかりであった。

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ツシマ沖の海戦(その二百七十一) The Battle of Tsushima
2007-04-03 Tue 00:10
その時、カウリバルス大将の白い髭に覆われた口元に皮肉な笑みが刻まれた。
「但し、既に発出した命令であるから、一部の変更に留めたいと思う。貴職の心配する蘇湖堡奪回も成就したいと考えている。」
カウリバルス大将の付言は、またもやクロパトキン大将に心配の種を与える結果となった。
「それは、まことに結構ではありますが、作戦方向が南北に分かれると、焦点がぼけはしますまいか。それに兵力が不足するおそれはありませんか。」
カウリバルス大将は、胸を張って、クロパトキン大将の憂慮を一蹴した。
「彼の若者すら援助の兵は不要なりと言ったではないか、予においても然りである。」
大将が言及した若者とは、日本近衛師団を撃退した例のシベリヤ第二軍団長ザスリチ中将のことを指していた。
遂に説得を諦めたクロパトキン大将は、立ち上がると丁寧に敬礼をした。
カウリバルス大将も椅子から立ち上がり、答礼を行った。
しかし、総司令部への帰途の軍用馬車の中で、クロバトキン大将は、同行した参謀長サハロフ中将に感想を漏らした。
「矢は既に弦を離れた。しかし、矢は弓の強さに応じて飛翔するものである。」
カウリバルス大将の広言は、クロバトキン大将の胸中に重苦しい不安の一塊を残したのである。
三月五日、午前零時四十五分、ロシア第二軍司令官カウリバルス大将は、第二軍第十一号作戦命令を発した。
「軍は敵の左翼を包囲し、之を旧鉄道線路の後方へ撃退せんとす。」
作戦命令の内容は、攻撃は右翼縦隊から開始され、中央縦隊は右翼隊が日本軍第三軍の北翼を担当する部隊を姚家屯まで撃退するまで待って、張士屯方向へ前進する。
左翼縦隊は、中央部隊の前進を見届けてから、莫家堡を支点として左旋回を行い旧鉄道堤へ向かう、というものであった。

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ツシマ沖の海戦(その二百七十) The Battle of Tsushima
2007-04-02 Mon 01:07
午後十時過ぎ、奉天駅構内に留められた客車の中で、クロパトキン大将は、第二軍司令官カウリバルス大将と対面していた。
クロパトキン大将は、自己の構想に反する命令を発出したカウリバルス大将に対して、苦情の申立に参上したのである。
「アレクサンドル・ワシリエウィチ、ご壮健でなによりです。」
対座したクロパトキン大将が呼びかけると、
「まだまだ若いものには負けられんよ。」
総司令官の訪問を受けて、カウリバルス大将はご機嫌であった。
「ところで、・・」
クロパトキン大将は姿勢を改めると、カウリバルス大将の作戦計画の難点を一つずつ挙げていった。
先ず、第二軍主力の混乱は未だ収拾してはおらず、総力を挙げての攻撃態勢はとりがたい。次に日本軍第二軍が第三軍に続いて渾河北岸に進出してきている。
もし、貴職の作戦が実行されれば、我が第二軍は、敵の第二、第三軍と戦うことになり、不利は免れない。
「特に注意すべきは、蘇湖堡の日本軍動向です。情報によれば、既に同地には重砲が持ち込まれているとのことです。この蘇湖堡から砲撃は、我が軍に大損害を与える可能性があります。」
と、声を張り上げ、「ゆえに、日本軍の弱点である第三軍の左翼を衝くべきです。」
と結論付けた。
クロパトキン大将の長広舌が終わると、
「アレクセイ・ニコラエヴィチよ。我が友であり、尊敬すべき上官よ」
カウリバルス大将も威儀を正して語り始めた。
「本職の質問はただ一つ、貴職は総攻撃に反対されるのか否やである。」
「勿論、反対はしません。ただ攻撃方向の問題です。」
クロパトキン大将は、軍歴も上である年長者に対して丁寧な口調で応えた。
「よかろう。それでは日本軍第三軍左翼に対する攻撃に命令を変更する。」
カウリバルス大将が、意外と素直に命令変更に応じたので、クロパトキン大将の面上に安堵の色が浮かんだ。

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