We must protect the senile elderly people from unscrupulous business operators by using the adult guardianship system.

スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 |
ツシマ沖の海戦(その二百二十九) The Battle of Tsushima
2007-02-18 Sun 00:39
一方、中部戦線では、万宝山攻撃で第四軍がてこずっていた。
第十師団では、第二十旅団第二十連隊が再び万宝山に迫り、南麓の敵前二百メートル辺りまで接近したが、力攻もそこまでであった。
旅団長今橋知勝少将が負傷したため、攻撃は中止されることとなった。
この日の第四軍の損害は甚大であった。
死傷者は四千百二十一人にのぼり、特に第十師団と後備第十一旅団が千名を超える損害を出している。
ロシア軍の中央部は、殆ど要塞化されていた。
特に、万宝山、塔山とその附近のこれは低地にある柳匠屯などは、その代表的なものであった。
天険に篭った砲はことごとく掩蓋を被り、麓には鉄条網で囲われた壕が張り巡らされ、近接する日本兵を機関銃で狙い撃ちした。

では、第一軍はといえば、午後も近衛師団、近衛後備混成旅団、第十二師団ともに前進を阻まれていた。
高台嶺地区に展開した第二師団も、わずかに第二十九連隊だけが第二十角面堡に対して、攻撃を再開した。
第二十九連隊長は島田繁大佐であったが、大佐は第三大隊長長屋竹緑少佐に三個中隊を率いての攻撃を命じた。
攻撃は困難を極め、第五中隊に至ってはほぼ全滅という惨状を呈した。
他の各中隊も兵力は半減した。
連隊長島田大佐は、更に二個小隊を投入したが、その三分の二が死傷した。
責任を感じた島田連隊長は、第一線に赴いて指揮をとったが、やがて敵弾に斃れた。
島田大佐の戦死を知った、連隊副官代理石川正雄中尉は、憤然として第三中隊を前進させた。
この命令は、石川中尉の独断専行であったが、左翼に展開していた第四連隊長代理神戸少佐は第七、第八中隊を増援させて、それに応じた。

From Abiko Business Consultants
スポンサーサイト
別窓 | 小説 | コメント:0 | トラックバック:0 |
| Abiko Business Consultants |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。