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ツシマ沖の海戦(その二百二十三The Battle of Tsushima
2007-02-12 Mon 00:12
次にロシア側の野砲について触れておこう。
我が国が速射砲を採用すると、それを知って慌てたロシアは、三インチ速射野砲を採用した。制式年度は西暦千九百年である。
M1900型野砲と呼ばれ、日露戦争全期間にわたってロシア陸軍の主力野砲として活躍した砲がこれである。
構造的にはシュナイダー社の野砲を真似たもので、単箭型砲架内に復座発条が取り付けられているのが特徴となっている。
諸元は、次のとおりである。
口径:76.2㎜、初速:588m/秒、射程:8,000m、射速:15発/分、重量:1.1トン。砲身長:2.4m、有効射程:5.500m。
この砲は、日本の三十一年式に遅れること二年で誕生したが、当時の野砲発達の速度から見て、この二年の隔たりは、いかにも大きかった。
制退器がついているため、日本のものと比較して、発射速度が格段に違った。
ちなみに、制退器とは、発射時の反動を抑えるための緩衝装置である。
ついでのことながら、小銃にも触れておく。
日本軍が使用した小銃は、三十年式歩兵銃一種類であったが、ロシア側は、ナガント、リエーエンの二種類を用いた。
日露いずれの銃も装弾数五発のボルト・アクションである。
口径はロシア軍のものは7.62mmであり、対する日本軍のそれは6.5mmであった。
最大射程は三十年式歩兵銃が2.560m、ナガント小銃2.000m、リエーエン小銃2,600mとなっている。
では、機関銃の方はどうかといえば、この当時の日露双方とも国産化できていなかった。
日本軍が使用したものは、保式と呼ばれたフランス製であり、給弾方式として「保弾板」方式を用いていた。
保弾板方式とは、保弾板と呼ばれる物の上に三十発の弾ガを並べて薬室に送り込む方式で、ベルト式に比べて故障が少なかった。このため、日本軍は以後、この方式に固執することになった。
ロシア側は、ドイツ製のマキシムとデンマーク製のマドセンを採用していた。
マキシムはベルト式の給弾であり、マドセンは二十五発弾倉方式をとっていた。
口径は双方とも小銃のそれと同じであった。
したがって弾丸重量、最大射程ともにロシア側が勝っていた。
機関銃は両軍にとって貴重品であり、敵味方六十万の兵士が対峙した奉天会戦においても、日本軍の所有数は二百六十八挺、ロシア軍のそれは五十六挺に過ぎなかった。

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