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ツシマ沖の海戦(その百五十)The Battle of Tsushima
2006-11-29 Wed 10:11
山口県阿武郡の見島にもロシア兵が上陸してきた。
見島は現在の山口県萩市の沖、北北西約45kmの海上に浮かぶ小さな離島であるが、古くから海上交通の要衝として、栄えた島である。
島の住民は、二十七日午後から沖合い遥かに聞える激しい砲声を耳にし、海戦が行われていることは承知していた。
島民たちの一部は、その夜も不眠で警戒を続けた。
見島には、その北端に海軍の望楼が置かれてあり、数名の水兵が常駐していた。
二十八日の朝、望楼に設置されている一本眼鏡をのぞいていた水兵の一人が、沖合いから同島目掛けて漕ぎ寄せてくる一隻の短艇の姿を捕らえた。
短艇上には白服のロシア兵がひしめき合っていた。
その知らせは、浜辺に出で警戒中の漁民たちに伝えられた。
「露助が来たぞ。一人残らず殺すのだ」
望楼の水兵の叫びに応じて、村の男たちは手に手に日本刀や槍を持って集まってきた。
同時に、「ロシア兵来る」の知らせは、郡役所にも伝わっていた。
郡書記の厚東某は、小学校教師多田某及び巡査の黒瀬某を伴い、海岸へと下りていった。
短艇は海岸へ近づいてきたが、その時、厚東の眼には、艇上でひらめく白いものが映った。
それは艇首に立ちあがった指揮官とおぼしき士官が、さかんに振っているハンカチであった。
「ロシア人たちは降伏を求めてる。援けてやらなければならない」
厚東郡書記は、殺気立った村人と水兵を説得した。
そして、負傷者を収容する場所として、南方にある本村の病院を当てることに決めた。
厚東は、「ロシア兵には直接、本村へ行ってもらうことにしよう」と、周囲に告げた。
彼は、波打ち際まで歩を運び、自らもハンカチを取り出し、南の方角へ進めと合図した。
短艇上のロシア兵もその合図が分かったものとみえ、南へその艇首を向けて漕ぎ始めた。
ところが、観音崎を過ぎた辺りで、宇津村の砂浜に舳先を乗り上げ、ロシア兵たちは一斉に上陸した。
彼らは疲労困憊しているらしく、そのまま砂浜に突っ伏してしまった。
黒瀬巡査は、その有様を見て、村人の一人を宇津村役場に走らせ、状況を報告させた。
間もなく、宇津村村長長谷川房次郎が、二人の医師を伴って息せき切って駆けつけてきた。
教師の多田が、ロシア兵のもとへ近寄っていき、覚束ない英語で問いかけたところ、上陸したロシア兵は前日沈没した工作船カムチャッカの生存者五十五名であることが分かった。彼らは短艇にすし詰めになりながら、一晩中、荒波と戦っていたのだ。
事情が判明した後の村民たちは心暖かかった。
彼らは十名ほどの負傷者の介抱につとめた。
重湯を満たした丼を差し出し、「ミルク、ジャパニーズミルク」と勧めたが、警戒するのかそれとも食欲がないのか、口をつけようともしない。
しばらくしてから、宇津村から炊き出しの握り飯が到着した。
ロシア兵には一人三個ずつが配られた。
彼らは一様に頭を垂れ、黙々とそれを食べ始めた。
見るものに哀れさを誘う光景であった。
「ああ、戦は負けるもんじゃないのう」
遠巻きにして見つめていた老人の一人が、しみじみと呟くと、それを合図にしたかのように、女たちの間ですすり泣きの声があがった。
午後になって水雷艇二隻が到着し、捕虜たちを分乗させて引き上げていった。

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