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ツシマ沖の海戦(その百四十八)The Battle of Tsushima
2006-11-27 Mon 00:06
二十八日午後九時三十五分、ようやく捕獲要員が揃った第二戦隊は、捕獲艦アプラクシン、セニャーウィンを率いて佐世保に向けて動き始めた。
本海戦の結果は前代未聞のものとなった。
バルチック艦隊三十八隻中、撃沈十六隻、自沈五隻、捕獲六隻、中立国に逃げ込み武装解除されたもの六隻、目的のウラジオストック軍港へたどり着いたものは僅かに三隻、本国へ帰還したもの二隻であった。
これに対して日本側は、沈没艦艇は水雷艇三隻のみである。
人的被害について述べれば、ロシア側戦死約五千名、捕虜約六千百名、日本側戦死百十七名に留まった。
空前の大勝利である。
しかし、連合艦隊司令部が、この成果の全貌を掴むのは後日になってのことである。
二十九日の時点では、国民には海戦が行われた事実すらも公表されていなかった。
ただ、戦場に近い山口県、島根県の日本海側及び対馬北部の住民は砲声を耳にしおり、戦闘があったことは皆承知していた。
しかも、この地方では、沈没艦のロシア兵が漂着する事件も多発していた。
例えば、五月二十八日には、島根県石見地方の和木の海岸にもロシア人が上陸した。
この二百五十八名のロシア人は沈没した運送船イルツイシ(七千五百五トン)の乗組員であった。
和木の住民も、前日の二十七日には砲声を耳にしており、戦闘があったことは知っていた。
しかし、当時の和木は僻地の一漁村であり、三日遅れの新聞が唯一の情報源であったため、その砲声の意味するものを真に理解している者は一人もいなかった。
二十八日午後二時過ぎ、突如、沖合いに四本マスト一本煙突の巨船が出現したときには、村民たちはロシアの軍艦が来攻したものと推察した。
しかし、敵艦は直ちに攻撃はしかけてこない。
何時の間にか、大人も子供も、婦女子に至るまで浜辺に集まってきた。
近隣の村々からも野次馬が押し寄せ、平穏な漁村が一時的に雑踏の巷と化した。
巨艦は陸地から距離二マイルの距離をおいたまま、停泊している。
海岸の群集たちの中には、ロシアだ、いやそうではない、イギリスだ、と喧しく論争する者たちもの姿もみられた。
江津警察署分署から派遣されてきた警官は、持参した双眼鏡で沖合いの正体不明の巨艦を注視した。
「ロシアである」と、鼻下にいかめしい髭を立てた中年の警察官は断言した。
マストに翻るロシア軍艦旗を確認したのである。
警察官は群衆に向かって叫んだ。
「ロシアの軍艦が攻めてきたぞ。女子供は山へ逃げろ」

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