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ツシマ沖の海戦(その九十)
2006-09-30 Sat 01:22
因みに、連繋機雷を担当した駆逐艦暁は、ロシア海軍からの捕獲艦である。
ロシア名はレシテルヌイといった。
一方、ほぼ同時に戦場に到着した第五駆逐隊の四隻は、編隊を組まずに各個攻撃を行うことになった。
午後八時三十分、一番艦不知火は突進したが、不運にも敵艦隊を発見することはできなかった。
二番艦叢雲は、敵艦隊の至近距離まで迫ったが、敵の砲火を浴びて撤退のやむなきに至った。
三番艦夕霧は、敵艦隊に迫ると魚雷一本を発射した。
四番艦陽炎も、「二檣二本煙突」の敵艦を目掛けて魚雷二本を放った。
暗黒の海面を多数の駆逐艦、水雷艇が前後左右に走り回るわけであるから、遂に恐れていた衝突事故が発生した。
午後八時四十分、第一駆逐隊の一番艦春雨は、突然、左から接近してくる味方駆逐艦に気づいた。
相手は第五駆逐隊の三番艦夕霧であった。
春雨はとっさに左に転舵した。
しかし、夕霧の方は右に舵を切ったために両艦の距離はますます縮まった。
「両舷全速後進」
春雨の艦橋で悲鳴のような怒号が発せられたが、時既に遅かった。
夕霧の艦首が春雨の右舷艦首部分に激突した。
衝突の轟音と同時に、金属の裂ける甲高い音が響き渡った。
春雨は右舷前部に長さ約一メートル幅約九十センチの裂け目が生じ、錨鎖庫は侵入した海水で満たされた。
一方の夕霧は艦首が右側に捻じ曲がり、そのままでの航行が困難になった。
やむなく、同艦は修理のために停止せざるを得なかった。

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ツシマ沖の海戦(その八十九)
2006-09-29 Fri 01:45
この頃になると、水雷艇隊は続々と攻撃に参加し始めていた。
すなわち、北方からは第一駆逐隊と第九艇隊が、東からは第三、第五駆逐隊が、さらに南方からは第一、第十、第十五、第十七、第十八艇隊等である。
その夜は、星がなく真っ暗であっため、各艦艇はいずれも敵のサーチライトを目当てに突進した。
公式戦史は、一隊が退くと、また次の隊が進むという風に、敵に休む暇を与えぬ猛攻撃が繰り広げられた、と伝えるが、実際には、攻撃はそれほど整然とした組織的なものではなかった。
第十五艇隊司令の近藤常松中佐は、その夜の状況を次のように表現している。
「探照灯が照らされると、それっあそこだ、と、そこへどっと行く」
その言葉通り、各艦は、とにかく明かりを目掛けて、我勝ちに猛進したのである。
第二駆逐隊に続いたのは、北からの第一駆逐隊と東方から進んできた第五駆逐隊である。
第一駆逐隊は、春雨に乗る司令藤本秀四郎大佐が率いる五隻の駆逐艦によって編成されていた。
すなわち、春雨、吹雪、有明、霰、暁である。
藤本司令は春雨、吹雪を直率し、有明、霰には単独での別行動を命じた。
暁には、連繋水雷攻撃のための単独行動を命じた。
ここで、連繋水雷なるものを少々説明しておきたい。
日本海軍に、小田喜代蔵という士官がいた。彼は日清戦争においては水雷艇長として出征したが、その後、陸上勤務となり、軍令部において水雷の研究に没頭した。
当時、機雷(機械水雷)は、防御用兵器であると考えられていた。
しかし、小田はこれを攻撃兵器として使用できないかと頭を絞り、日夜研究を重ねたのである。
日露戦争当時、小田は中佐として、水雷敷設隊司令をしていたが、ある日、東郷に呼ばれて三笠に赴いた。
東郷は、「旅順口外のある場所に、機械水雷を設置してもらいたい」と、下令した。
小田の発明した機雷は、彼の名を冠して小田式機雷と呼ばれるが、下瀬火薬を用いたそれは、日清戦争当時の機雷に比べて二倍以上の威力があるとされていた。明治三十七年四月十二日、小田中佐に率いられた機雷敷設隊は、は旅順口外に、夜の闇に紛れて、ロシア戦艦の水線下の深さに合わせて、浮遊連繋機雷を敷設した。
翌十三日、日本艦隊の挑発によって誘き出された、旅順艦隊司令長官マカロフの座乗した戦艦ペトロパブロフスクは、小田の敷設した機雷二個を舷側に引きずり当て、四回にわたる大爆発とともに轟沈した。
 
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ツシマ沖の海戦(その八十八)
2006-09-28 Thu 00:00
同じ頃、ナヒーモフの司令塔附近にいた操舵員が「右舷より敵駆逐艦、本艦のコースを突っ切ります」と、叫んだ。
その直後、排水量八千五百二十トンの巨体が突然、ぐうんと空中に持ち上げられた。
魚雷の爆発である。
衝撃で舷窓のガラスが木っ端微塵となって四散した。
この打撃は乗組員をパニックに陥れた。
機関室の兵員たちが持場を捨てて,慌てて上甲板に駆け上がってきた。
司令塔にいた艦長ロジオーノフ大佐が小柄な身体を震わせながら、
「総員上甲板の合図急げ。直ちに被害個所に防水蓆を出せ」と、怒鳴った。
だが、どの辺りに被雷したのか、誰にもわからなかった。
暫らくして艦内に号笛の音が響き渡り、「破壊個所は前部右舷。総員上甲板。防水蓆運べ」と、叫ぶネモンド下士官の声が聞こえた。
右舷の運用科室に面した舷側には直径三メートル程の破孔が見られた。
発電室は、その附近に位置していたため、海水が侵入して間もなく電灯が消えた。
被害を受けた辺りの鉄板は外側に捲れあがってしまった。
それは内部からの防水処置ができなくなってしまったことを意味していた。
浸水区域は見る間に広がっていった。
綱具室、塗料室、石炭庫、食料品庫という具合に海水は浸入して,ついには弾薬庫や水雷室まで水浸しにした。
ナヒーモフの艦首が水中に没し始めた。
速力が目に見えて落ちてきた。
ナヒーモフは修理のために列外に出ることにした。

攻撃を終了した第二駆逐隊は、襲撃地の東方五海里に指定された予定集合地点に向かった。
その途中、一番艦朧に座乗していた司令矢島純吉大佐は、海面から「オボロ、オボロ」と叫ぶ声を聞いた。
「朧」と自艦の艦名を連呼するからには、沈没した味方駆逐艦の生存者であろうと、艦を停めて油の臭気が鼻を衝く海面から拾い上げると、意外なことにそれはロシアの水兵であった。
ユーシチンという名のその若い大男の水兵は、ボロジノの乗員であった。
彼は四本煙突を構えた朧を、艦型のよく似た味方の駆逐艦ベドウィと取り違えていたのである。
ユーシチンは乗艦していたボロジノの艦名を叫びつづけていたのだが、それが異国の士官の耳には、朧と聞えたのである。
この幸運な水兵が、ボロジノ八百六十六名の乗組員中唯一の生存者となった。

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ツシマ沖の海戦(その八十七)
2006-09-27 Wed 00:47
アリョールは、ニコライ一世の艦尾灯を始終見つめながら、ちょうど二ケーブルの距離を置いて続航した。
機関の回転数は九十二、速力は十三ノットである。
アリョールの艦尾にも同様な標識灯が備えられている。
アリョールの後ろには、アブラクシンが続いていた。
ニコライ一世の灯火管制をした薄暗い艦橋では、ネボガトフ少将が後続の艦を見つめながら、「どういう訳で、あれは始終探海灯を点けているのだろうか?」と、誰にともなく呟いた。
「あれではかえって自艦の位置を敵に知らせることになる。こういう暗い夜は、敵に姿を隠すまでもないことだ。」
白髪混じりの頭を小さく振りながら続けた。
少将の言葉どおり、この夜は星がなかった。
二ケーブルも離れれば、艦の姿がやっと視認できるほどだった。
しかし、ニコライ一世には、ウシャコフを先頭艦とする第二戦隊に探海灯の使用を禁ずるための適当な手段が存在しなかった。
無線電信は破壊され、発火信号で命令を伝えるにしても、それでは敵に所在を発見される心配があった。
アリョールの艦上では、乗員たちが日本の水雷艇隊が、ロシア艦隊の縦列隊形に沿って展開する光景を見つめていた。
ニコライ一世は速力を上げ、艦隊速度を十三ノットとした。
戦艦の隊列の左側には、密着して巡洋艦と駆逐艦とが航進した。
特務艦隊は置き去りになり、散り散りになって姿を消した。

夜襲部隊の先陣をきったのは、第二駆逐隊であった。
同隊は、朧、雷、電、曙の四艦から編成されており、排水量はいずれも三百四十五トン、英国ヤーロー社建造の同型艦である。
午後八時過ぎ、同駆逐隊はロシア艦隊の主力九隻の戦列の右側に迫った。
ロシア艦隊は探海灯を点じ、猛烈な砲火で防戦に努めた。
十数条の探海灯の光芒が狂ったように海面を撫でまわし、殷々とした砲声は海と天に轟き渡った。
第二駆逐隊は、敵の探海灯の光芒を絶好の目標にしつつ、敵艦隊の後列四隻に接近した。
午後八時十分、一旦並列しながら敵後列を追い越した同駆逐隊は,やおら反転して攻撃に移った。
一番艦朧は,敵の殿を進む装甲巡洋艦ナヒモフめがけて前後部の発射管から各一本の魚雷を発射した。
とたんに朧も反撃を受けて、甲板に被弾した二弾により死傷者五名を数えることとなった。
二番艦雷もナヒモフに四百メートルまで迫ったが、敵が乱射する四十七ミリ砲弾に蒸気パイプを貫かれた。
破損個所から噴出する高圧の水蒸気に包まれて視界を奪われ、雷は敵影を見失ってしまった。
雷は絶好な魚雷発射の機会を逸したのである。
おまけに、盛大に立ち昇る水蒸気の壁が敵艦の注意を惹いたとみえ、サーチライトの光芒と砲弾の雨が雷に集中し始めた。
噴出す水蒸気にサーチライトが反射して、それはまるで、光の壁のように幻想的に輝いて見えた。
雷の被弾は大小合わせて二十五発に及んだ。
三番艦の電は「二檣二本煙突」の敵艦を目標に突撃し、約五百メートルの距離で続けざまに魚雷二本を発射した。午後八時十三分頃のことである。
電も上甲板に被弾して火災を生じたが、甲板を洗う波浪が幸いして大事には至らなかった。
殿艦の曙も「ボロジノ型戦艦」に向け二本の魚雷を連射した。
手負いの雷も水蒸気の帯を引きながら突き進み、ナヒーモフの前を行く「二檣二本煙突」の艦影を狙って後部発射管から魚雷一本を撃った。

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ツシマ沖の海戦(その八十六)
2006-09-26 Tue 06:21
雲は低く垂れ込め、風は依然として強かった。
しかし、海上の濛気は次第に消え去り、立ち騒ぐ波頭が闇の中で白く光って見えた。
ネボガトフ少将が、日本駆逐艦部隊に三方から取り囲まれたことを覚ったのは午後八時少し前である。
怖れていた日本水雷戦隊の出現であった。
ネボガトフ少将はニコライ一世に左へ転針することを命じた。
少将の命令は発光信号によって後続艦に取り次がれていった
戦艦アリョール、装甲海防艦アプラクシンがそれに続き、装甲海防艦セニャーウィンが殿を務めた。
右後方を進む戦艦ウシャコフ以下四隻の戦隊の探海灯(サーチライト)に灯が入った。
十数条の光芒が暗闇の海面を薙ぎ始めた。
灰色に塗られた水雷艦艇が幾群にも分かれて、北から、東から、また南から戦場に姿を現わした。
小さな駆逐艦は激しい飛沫を全身に被り、波浪に揉みしだかれながらロシア艦隊目掛けて突撃を開始した。
小口径砲が狂ったように咆哮した。
機関銃のカタカタという乾いた連続音がそれに拍車をかけた。
時折、十二インチ砲の轟音が闇を震わせた。
前方を進むニコライ一世の四隻の戦艦群は、何時もは点灯している外灯も消して航進していた。
ネボガトフ少将は、それが敵の格好の目標となることを心得ていたのだ。
無論、サーチライトも点灯していなかった。
少将は、極東に回航する途中においても、自己の艦隊に無灯火航行の訓練を重ねてきた。
それが今になって見事な効果を発揮していた。
各艦の艦尾には白い汽灯が一個だけ心細げな光を放っていた。
その両側には遮光覆がかけられているため、それはまるでドアの隙間から、ほの白く漏れ出してくる光のように見えた。

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ツシマ沖の海戦(その八十五)
2006-09-25 Mon 00:30
太陽はとっくに沈んだ時刻なのに、あたりにはまだ薄明かりが残っていた。
夜襲部隊は、戦場予定地目指して続々と集結してきた。
南下して来たのは、第一、第二駆逐隊と第九艇隊である。
東からは、第三、第四、第五の各駆逐隊、南からは第一、第十、第十五、第十七、第十八、第二十、第十四、第十六、第十九艇隊が迫ってきた。
バルチック艦隊を三方向から包囲する態勢が完成したわけである。
しかし、暮色はますます深くなり、敵影は模糊として捉えがたくなっていた。
駆逐隊、水雷艇隊もややもすれば敵影を見失いがちになってきた。
連合艦隊戦策では、夜間の索敵に関して、特に注意を喚起していた。
「夜中ノ索敵ハ、殆ド不可能ナリ。故ニ日没前ヨリ敵ニ近接シ、尚敵艦ヲ識シ得ル間ニ敵ノ前路ニ出テ、断固タル攻撃ヲ決行スルニアラザレバ、奏功ノ望少シ」
この噛んで含めるような、東郷の示達は決して杞憂ではなかったのである。
現に南方から進撃してきた第二十、第十四、第十六、第十九艇隊は索敵を誤り、敵を発見できずに虚しく附近海面を彷徨するに留まった。
したがって、夜戦に参加した水雷艇の数は、正しくは二十隻ということになる。
ところで、同じ頃、バルチック艦隊の戦艦部隊はニコライ一世を先頭にして、戦艦アリョール、装甲海防艦アプラクシン、同センニャーウィンの順番で単縦陣を組んで航行していた。
その後列には、装甲海防艦ウシャコフ、戦艦ナワリン、同シソイ・ウェリーキー、巡洋艦ナヒモフが位置していた。
巡洋艦イズムルードはニコライ一世の左側を防御する配置についていた。
ニコライ一世は、ずんぐりとした艦型で、船脚も十五ノットしかでない旧式艦であった。
味方からも「浮かぶ火熨斗」と揶揄されているほどのネボガトフの艦隊は、昼間の激烈な海戦の間も、東郷の艦隊からお目こぼしを受けるほど幸運な存在であった。
日本主力艦隊はその総力を挙げて、ロシアの新鋭戦艦部隊を叩くことに専念していたのだ。
そのお陰で、ネボガトフの旗艦もさほどの損害を被ってはいなかった。
それでも左舷に十発ほど受けて、水線下にまで及ぶ破孔が生じた。
さらに十二インチ砲一門が破壊され、数名の死者と艦長を含む二十人ほどの負傷者を出していた。
機関と舵機は無傷であったため、航行に差支はなかった。
ニコライ一世は、ウラジオストック目指して北進の途中、上部構造物が酷く破壊されて、変に平べったく見える戦艦アリョールの傍らを通り過ぎた。
この艦は機関と舵機には損傷を受けていなかったので航海にはこれといった支障はなかった。アリョールはニコライ一世に追従することにったのだ。

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ツシマ沖の海戦(その八十四)
2006-09-24 Sun 03:36
夜戦を駆逐隊・水雷艇で行うことは、連合艦隊の既定の戦策であった。
事前に定められた「連合艦隊戦策」の中にも、「各駆逐隊、艇隊ハ・・日没近キニ至ラバ、令ナクシテ敵艦隊ニ近接シ、日没後直ニ襲撃ヲ続行スルモノトス」と記されている。
この方針に基づいて、既に連合艦隊司令部からは、「駆逐隊、艇隊ハ敵ヲ襲撃セヨ」との命令を発せられていた。
午後四時五十五分のことである。
夜戦に参加予定の戦力は、駆逐艦二十一隻、水雷艇三十六隻である。
この日の天候は、これらの小艦艇にとっては過酷な環境であった。
この小柄な戦闘艦たちは、各戦隊に随行して、日暮れを待ち侘びていたのだが、舷が低いため盛んに浪を被って、船体が転々とするため、昼食もとれない有様であった。
ただ、戦隊に付いて行くのが、精一杯と言う状況であり、乗員の唯一の望みといえば、風波が少しでも静まることと、日没になることであった。
以上は、第六戦隊に随伴した第十五艇隊の司令近藤常松中佐の述懐である。
当時、水雷艇は自走式水雷である魚雷を搭載することにより、安価で強力な兵器であるとの評価を受け、特に経済力の乏しい国の海軍において珍重された。
日本海軍もこれを導入し、積極的に実戦に投入した。
しかし、その艇体が矮小なことが荒天下の航行を困難にした。
当時の水雷艇は、大きいもので排水量百五十二トン、小型のクラスになると僅かに排水量五十二トンというものまであった。
武装は大型艇で五十七ミリ砲、四十七ミリ砲各一基、魚雷発射管三基程度であり、速力は二十九ノットまで出せ、鈍重な主力艦に比べればはるかに軽快な運動ができた。
日本海軍は、能力の似通ったものを四隻ずつ組み合わせて、一艇隊を編成させていた。
一方、駆逐艦は本来、水雷艇を撃退するために建造された艦種であり、もともとの名前は水雷艇駆逐艦と呼ばれていた。水雷艇より大型とはいえ、
二百四十七トンからせいぜい三百七十五トンといったところである。
風波を苦手とすることは、水雷艇と同じであった。
終日激浪に揉まれて羅針盤の針は転々として、殆ど用をなさず、望遠鏡も潮水に侵されて使用には適さなくなっていた。
飛沫に打たれた、乗員の眼球は真っ赤に充血して、視力は大いに衰えていた。
午後七時三十分ごろ、夜襲部隊が戦場に勢ぞろいし始めていた。
丁度、スワロフが沈没した時刻である。

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ツシマ沖の海戦(その八十三)
2006-09-23 Sat 07:11
午後七時五十五分、既に第二戦隊と合流して、十二隻単縦陣に戻った連合艦隊主力は、乗員たちに夕食をとらせた。
戦闘に備えて早めに昼食を済ませたため、実に九時間ぶりの食事となった。
緊張と疲労のため、食欲がないと訴える者もいたが、総じて山盛りの米飯にかぶりつき健啖振りを見せた。
しかし、皆戦闘に疲れ果てていた。この夜は早くから就寝が命じられた。
午後八時、三笠は全艦に発令した。
「明朝集合地点、W地点松島」
松島とは鬱陵島の当時の呼び名である。
三笠の艦体は常に小刻みに揺れていた。
それは、依然として収まらない高波のせいだけではなく、機関の震動によるものであった。
三笠の二十五基の汽罐は一杯に蒸気を揚げ続けていた。
下士官浴室の水の張られた浴槽には、昼間の戦闘での戦死者の遺体が置かれ、赤く染まった水が艦の震動と共に小刻みに揺れていた。
三笠はこの日、八名の戦死者を出している。
下甲板後部居住区では、鈴木重道軍医総監が横たえられた負傷者の群れの間を忙しそうに動き回っていた。
旗艦である三笠には、戦闘中は絶えず敵弾が集中し、それに応じて受けた被害も大きかった。負傷者の数は百五名にのぼり、彼らは、重傷者を除いて、リノリュウムの床に敷かれた毛布の上に横たわっていた。
後部にある幕僚室では、加藤参謀長以下、数名の参謀たちが机に向かっていた。
秋山参謀は、鉛筆を手に戦闘詳報の作製に取りかかっていた。
戦闘中に艦橋で書き記したメモに手を入れているのであろう。
周囲では他の若い参謀たちが東京へ送る報告電文の起案中であった。
傍らでは加藤参謀長が、広げた海図を前にして黙考していた。

この日ロシア海軍は、新鋭戦艦三隻を失った。
日露戦争の直前まで、仮想敵国であるイギリスに対抗するために、ロシアの海軍はフランスから多くのものを学びとろうとしていた。
特に技術的に立ち遅れが著しいロシアにとって、フランスは善き教師役を果たしてきた。
この時期になって、ようやく国内で戦艦の建造ができるようになったロシアは、その技術を誇るがごとく、当時最新鋭と目される戦艦五隻を完成させた。
それがボロジノ級戦艦である。
このクラスの戦艦は、当然のことながら設計段階からフランス造船技術の影響を強く滲ませている。
日露戦争勃発時に完成していたのは、「アレクサンドル三世」だけであったが、
昼夜兼行の作業により進水した三隻(ボロジノ、アリョール、スワロフ)がアレクサンドル三世と併せて急遽、第二太平洋艦隊に編入された。
これらの諸艦が、俗に「バルチック艦隊」と呼ばれる極東派遣艦隊の主力となったのである。

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ツシマ沖の海戦(その八十二)
2006-09-22 Fri 00:00
戦艦アリョールは、僚艦ボロジノの沈没を見て、慌てて南西に舵をとった。
先頭艦となったアリョールに倣って、後続艦も左に転針した。
同じ頃、富士本少佐の率いる第十一艇隊が、スワロフの攻撃にとりかかっていた。四隻の水雷艇は、スワロフの左側方三百メートルの距離から魚雷七本を次々に発射した。
午後七時二十七分、二本の魚雷がスワロフの舷側を打った。
凄まじい水柱が立ち上り、それがゆっくりと崩れ落ちると、スワロフは左に大きく傾斜した。
そのとき、スワロフに残された最後の砲が火を吹いた。
艦尾の七十五ミリ砲である。
候補生クルセルが発砲した、このスワロフ最期の砲火は、富士本少佐の脳裏に忘れることのできない深い印象を刻み込んだ。
続いて三発目の魚雷が命中し、それが、弾薬庫の爆発を誘った。
スワロフの艦体は突然、黄黒色の硝煙に包まれ、火焔を噴き上げながら、左側に転覆した。
そのまま暫く艦底を上にしたまま浮かんでいたスワロフは、いきり艦首を空中に突上げると、真っすぐに艦尾から海中に没していった。
巨大な渦巻きが海面を覆った。
時刻は午後七時三十分、位置は沖ノ島北東約十海里の地点である。
第三艦隊司令長官片岡七郎は、敵旗艦の最期を見届けると、第五戦隊を率いて北上を開始した。
舵の故障で脱落していた巡洋艦松島が、修理を終え第三艦隊を追求してきた。
同艦がスワロフとカムチャッカの沈没現場を通過したとき、多数の敵兵ガ波間に漂い、阿鼻叫喚する声は、松島の艦橋にまで届いた。
艦長奥宮衛大佐は、暗くなった海上に敬礼を捧げると、目を瞑るような気持ちで、現場を立ち去った。
所属艦隊との合流を急ぐ松島には、敵の溺者を救う余裕は与えられていかったのだ。
最期まで艦に残り、海上に逃れたスワロフの乗員は、全員溺死の運命を辿った。

三笠の被害は大きかった。
常に先頭に立っていたため、三十五発の砲弾を浴び、死傷者も百十三名を数えた。
三笠の下甲板にある後部兵員居住区は臨時の治療室となっていた。
そこには負傷者がびっしりと横たえられていた。
東郷は、その真中の僅かな隙間を通って艦尾にある長官私室へと戻って行った。
長官室に入ると、従兵が差し出した緑茶を美味そうに一口すすった。
Scan10027.gif

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ツシマ沖の海戦(その八十一)
2006-09-21 Thu 00:00
薄暮の訪れは間近であった。
濛気の彼方には橙色に染まった夕陽が水平線に落ちかかっていた.
午後七時、アレクサンドル三世の左舷が、突如、聳え立つように高く持ち上がった。慌てた乗員たちが、先を争って海中に身を投じた。
暫くすると、甲板は水中に没し、推進器が水上に顔を出した。
と見る間に、艦体は横倒しとナなり、やがて全く転覆して艦底が上向きになった。
艦底には数十人がとりついており、附近の海面には数百の頭が高波に揉まれ上下していた。
巡洋艦イズムルードと駆逐艦が急行してきた。
救命具や釣床などが投げ落とされ、ボートを降ろして救助にかかろうとした時、南東方向から第二戦隊が出現した。
午後七時七分のことである。
第二戦隊の砲撃が開始された。
巡洋艦イズムルードの艦体はたちまち硝煙と水柱に取り囲まれた。
慌てて同艦と駆逐艦が逃走したため、漂流するアレクサンドル三世の乗組員全員は救助されること無く、水死する運命を辿った。
この頃、第一戦隊は前進するバルチック艦隊の頭を前方右側から押さえながら砲撃を加えていた。
バルチック艦隊が北よりに転針したため、両者の距離はやや離れ気味となった。
午後七時十三分、三笠は敵との距離が八千メートルになったことを確かめると、砲撃を中止した。
午後七時二十分、東郷司令長官がようやく三笠の露天艦橋を離れた。
加藤と秋山が続いてラッタルを下った。
東郷は、早朝鎮海湾を出港して以来、僅かな休憩を除き、実に十時間余りもこの場所に立ち尽くしていたことになる。
三笠はこの時、集合場所である鬱陵島附近を目指すため北に変針し、艦内には休憩を下令した。
同時刻、バルチツク艦隊は日本艦隊が立ち去る様子を視認すると、北東へと再び針路を変えた。
先頭艦ボロジノに異変が生じたのは、その瞬間である。
数回の爆発音が轟いたかと思うと、いきなり右に大傾斜を見せ、爆煙とともに転覆した。
後続する戦艦アリョールからは、ボロジノが水中から火焔を吹き上げ、艦底の竜骨が浮き上がり、推進器がゆっくりと空回りをするのが目撃された。
ブイヌイ艦上でも、セミョーノフ中佐が、「ボロジノ、ボロジノ」と叫ぶ周囲の声に驚いて、甲板に駆け上った。
しかし、彼が見たのは、ボロジノが居た筈の海面に白い泡が立ち上がる光景だけであった。

ボロジノの最期については、朝日に乗艦していた英国観戦武官ベケナム大佐の詳細な手記が残されている。
「砲弾はボロジノの上部、前部舷側砲塔附近から入って爆発し、煙柱があがった。煙柱の下半分は爆発の閃光と艦尾の火災を受けて赤くただれ、煙突の高さまでふきあげた。
機関室とボイラー室の隙間という隙間から蒸気が噴出した。
二、三分のうちに、ボロジノの前部マストから艦尾までうずまく煙と蒸気につつまれ、ときどきうきあがる火災で、真紅にいろどられた。
火災がもはや致命的な限度にたっしたことはあきらかであった。
・ ・といって艦の最期がそんなにはやくくるとはおもわなかった。・・・それは、突然ではあったが、ドラマチックではなかった。一同が見つめているうちに、この不運な艦は消えた(午後七時三十分)。
その消滅は自らの砲撃の音よりもさほど大きくない轟音をともなっただけである。
そしてボロジノいた海面にたたずんでいた厚い雲のかたまりが、急に大きくふくれあがり、やがて風でちらされて、あとにはなにもなかった・・・・。」
この呆気ないまでの轟沈は、戦艦富士の放った最期の一発が招いたものであるといわれている。その一弾は、太陽が丁度水平線に落ちる寸前に、富士の後部三十センチ砲塔から発射され、六千メートルを飛んでボロジノに命中したのである。 

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ツシマ沖の海戦(その八十)
2006-09-20 Wed 00:07
カムチャッカの七千二百トンの船体が、ゆっくりと左舷に横転し、船底を上にして暫く浮いていたが、突然、船尾を高く持ち上げるようにしかと思うと、そのまま一気に海底に引き込まれるように姿を消した。
その光景を目撃した第六戦隊も、濛気の中に閃閃として砲火がきらめく北方海域を目指して、この戦場を離脱した。
この時、第三艦隊司令長官片岡七郎中将も、気息奄々たる敵旗艦に何時までもかかずりあう愚を悟った。
片岡中将は、随伴する第十一艇隊にスワロフの襲撃を命じ、本隊を率いて北方へ転進することを決断した。急がなければ主力決戦に参加し遅れるおそれもある。
夜の帳は間近まで迫っていたのだ。
当時の水雷艇隊は、四隻が一組となって編成されていた。
第十一艇隊は、水雷艇第七十三、第七十二、第七十四、第七十五号の各艇よりなっていた。
同艇隊は、直ちに二十ノットに増速し、敵戦艦スワロフを目掛けて突進した。
夕闇の迫る附近の海面には、多数の溺者が手を振り、声を限りに救助を求めている。
工作船カムチャッカの乗組員であろう。
第十一艇隊の乗員たちは、目をそむけるようにしてその現場を通り過ぎた。
艇隊指揮官は第七十三号艇に乗っている富士本梅次郎少佐である。
彼の艇隊は、高波を切り裂き、断末魔に喘ぐ敵艦三百メートルにまで接近した。

同じ頃、主戦場では、先頭艦の位置を占める戦艦ボロジノに最期の時が迫っていた。
同艦の砲火は既に、殆ど沈黙していた。
海戦初期のスワロフと同様に日本艦隊の集中砲火の標的と化していたのだ。
午後六時五十分頃、凄まじい火焔が立ち上るとボロジノは四、五度傾斜した。
ボロジノは敵の砲火を避けるため、東側に逃れようと試みた。
自然とバルチック艦隊の針路も北から北東寄りに移った。
二番艦アリョールの右舷にも砲弾が落下し始めた。
ほぼ同時に命中し二発の十二インチ砲弾は、アリョールの舷側に大きな破孔を穿った。
アリョールは、このため艦は五度ほど傾斜した。
この頃、ナワリンが脱落して、艦列の右側に出た。
四本煙突の一本を失った、一万四百トンの船体は右舷にかなり傾いたが、やがて戦列の最後尾に復帰した。
午後六時五十分、戦艦アレクサンドル三世が船腹に大穴を開けられたまま、火災を背負って酷く傾きがら、戦列を左方向に離脱した。
そして、よろめきながら、前艦のナヒーモフに近づいてきた。
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ツシマ沖の海戦(その七十九)
2006-09-19 Tue 00:33
黄昏の色の濃い戦場をバルチック艦隊の戦列が航進していた。
時刻は午後六時をまわっていた。
戦艦ボロジノ、同アリョール、同ニコライ一世、同シソイ・ウェリーキー、同ナワリンからなる戦艦部隊に装甲海防艦アブラクシン、同セニャーウィンが随っていた。
その左側には、装甲海防艦ウシャコフ、巡洋艦ナヒーモフ、戦艦アレクサンドル三世が列を成し、更にその左には巡洋艦オレーグ、同アウローラ、同スウェトラーナ、同D・ドンスコイ、同アルマーズ、同モノマーフ、同ジェンチュグ、同イズムルードの八隻が連なって北を目指して進んでいた。
四番目の列は、特務艦・運送船四隻を庇うようにして九隻の駆逐艦が編隊を組んで航行していた。
計三十一隻のバルチック艦隊は、沈みかけた夕日を背にして、殷々と砲声を轟かせながら高波を蹴った。
茜色を帯びた海霧を切り裂くように、閃光が走った。
平行して攻撃を仕掛けてくる日本戦艦部隊との砲撃戦は、何分距離を隔てたものであり、
双方ともさして成果をあげることはできなかった。
午後六時三十三分、東郷の第一戦隊は敵の一番艦ボロジノとの距離を五千四百メートルにまで詰めることに成功した。
ボロジノに砲弾の雨が集中した。
弾着はすこぶる良好であった。十二インチ砲弾がボロジノの砲塔を破壊し、艦橋を砕いて周囲にその残骸を撒き散らした。
火災の煙焔と砲弾の爆煙が全艦を覆った。
二番艦のアリョールは果敢に反撃した。
三笠の周辺には、至近弾の立ち上げる水柱が林立し、しばしば最上甲板を襲った。その度に東郷大将たちは頭からずぶ濡れになった。
午後六時四十二分、バルチック艦隊は攻撃を避けるため、針路を南西に変えた。
そのため北西に進む第一艦隊との距離が六千六百メートルにまで開いた。
自然と、日本艦隊の砲火が速度の落ちたボロジノに集中した。
同じ頃、バルチック艦隊主力の西方海域に取り残された戦艦スワロフと工作船カムチャッカは、第四、第五、第六戦隊の攻撃に曝されていた。
スワロフは僅かによろめきながら進んでいたが、カムチャッカは、火焔を背負ったままで完全に停止していた。
午後六時五十分、第四戦隊の旗艦浪速の艦上で、司令官瓜生外吉中将が下令した。
既に戦闘力喪失している両艦に対する攻撃を中止し、主戦場と思える北方海域への転進を命じたのである。
午後七時十分に至って、工作船カムチャッカが三百二十七名の戦死者とともに海中に姿を消した。

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ツシマ沖の海戦(その七十八)
2006-09-18 Mon 01:13

いささか、時刻がさかのぼるが、東郷司令長官が「駆逐隊、艇隊ハ極力敵ヲ襲撃セヨ」と出撃命令を発したのは、午後四時五十五分のことである。
昼間は主力あげての決戦、夜襲は駆逐隊、艇隊をもって敢行することは既定の戦策であった。秋山参謀のいう第二段の発動である。
この夜の戦闘に動員されたのは、駆逐艦二十一隻、水雷艇三十六隻であった。
このうち、駆逐艦及び水雷艇二十隻は主力戦隊に随伴して、昼間の戦闘にも参加していた。
風波を避けて対馬に待機していたのは第一艇隊以下の二十隻である。
しかし、この待機組も午後二時過ぎになると、対馬を出港して沖ノ島付近を目指して出港した。
 当時の水雷艇は、旧式の二等級のものであれば、排水量で八十九トン、長さ四十メ―トル、全幅五メートルという後世の沿岸漁船クラスの小柄な船体の持主である。
この日の海は、夜になっても風波が収まる気配はなかった。
水雷艇の華奢な艇体は波に揉まれ、傾斜は実に六十度に及ぶことがあった。
羅針盤の針は転々として、殆んどその用をなさなかった。
望遠鏡も水浸しとなり全て使用不能となった。
特に風に向かって十五ノット以上の速力を出したときには、怒涛は司令塔を乗り越え、煙突の中に瀧のように奔入し、汽缶の火が消えるのではないかと、乗員たちを怯えさせた。
その有様は「これではまるで潜水艇隊ではないか」と、艇員が嘆いたほどであった。
午後七時三十分、北方から第一、第二駆逐隊と第九艇隊が戦場に到着した。
同じ頃、東側からは第三、第四、第五駆逐隊、南からは第一、第十艇隊などが駆けつけて来た。
戦場には暮色が漂い始めていた。
敵影は夕闇の中に次第に溶け込んで行き、ややもすれば見失いがちとなった。
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ツシマ沖の海戦(その七十七)
2006-09-17 Sun 02:48
セミヨーノフ中佐は、スタッフの待つ士官室へと引返し、自己が判断した司令長官の意思を報告した。
クロング大佐は、コロメイツォフ艦長に命じて、信号兵を呼び寄せた。
大佐は信号兵に丁度、附近にいた二隻の駆逐艦に手旗信号を送るよう指示した。
第二駆逐隊所属の駆逐艦ベズウプリョーチヌイには、ニコライ一世に座乗するネボガトフ少将に対する命令を、第一駆逐隊所属の駆逐艦ベドウイには旗艦スワロフの救援を命じたのである。
 この時期、ニコライ一世の司令塔内では、肥った身体に白の夏服をまとい、黒いだぶだぶのズボンを穿いたネボガトフ少将が、昼間の戦闘で負傷した艦長のスミールノフ大佐に代わって艦の指揮をとっていた。
少将が傍らの参謀クロッス中佐に話し掛けた。
「私は司令長官から何の命令も受けていないのだ。それに司令長官が生きておられるかどうかもわからない始末だ。一体、今この艦隊を動かしているのは誰なのだ」
少将の白毛混じりの顎髭に縁取られた腫れぼったい顔の中で、少し飛び出したような大きな眼が不機嫌そうに瞬いた。
「艦隊を動かしているのは、何処かの少将閣下ですよ」
クロッス中佐が、それが何時もの癖である垂れた栗色の口髭の先を指先で捻りながら言った。
駆逐艦ベズウプリョーチヌイが、ニコライ一世に近づいたのは、この時である。
 艦長マッセーウイッチ中佐が舷側の手すりに凭れる様にして身を乗り出し、「司令長官は重傷を負い、駆逐艦にあり。貴官にウラジオストックへ進航すること命ず」と、メガフォンを通じて叫んだ。
しかし、この伝達は、ネボガトフ少将を困惑させた。
とにかく、その内容が不鮮明なのである。
ネボガトフ少将は、作戦計画については何も知らされていない。
司令長官が重傷を負ったというのであれば、指揮権を委譲しようという意味かとも思えるが、それならば作戦行動計画を熟知しているはずの艦隊幕僚たちが何故来ないのであろうか。
そのとき、運送船アナヅイリがニコライ一世に接近してきた。
マストには信号旗が掲げられている。
艦橋で、暫くそれを双眼鏡で眺めていた参謀長のクロッス中佐が、旗の意味をネボガトフ少将に告げた。
「司令長官は、指揮権をネボガトフ少将に譲る」
ネボガトフ少将の当惑は霧消した。
「とにかく、この呪われた海峡を一刻も早く脱出しなければならない。このままで敵の水雷艇の襲撃を待つことはできない。クロッス君、信号旗を揚げてくれたまえ」
と、大声で下令した。
少将の命令は信号旗に代えられ直ちに檣頭に掲げられた。
「我ニ続ケ。針路北二十三度東」

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ツシマ沖の海戦(その七十六)
2006-09-16 Sat 00:13
午後六時二十分過ぎ、駆逐艦ブイヌイの艦内では、セミョーノフ中佐が痛む足を庇いながら、艦長室への通路を歩んでいた。
艦長室には収容されたロジェストウエンスキー中将がベッドに横たわっていたのだ。
実は、その直前まで艦長室から少し離れた、駆逐艦の狭い士官室で、ロジェストウエンスキー中将の幕僚たちが、コロメイツォフ艦長交えて会議を開いていた。今後の執るべき行動を検討していたのだ。
席上、クロング参謀長が、ブイヌイ艦長に命令した。
「長官には戦艦に移乗していただく。戦艦部隊に追いつくように進んでくれ給え」
そのとき、治療を終えたクジノフ看護兵曹が士官室に入ってきた。
彼はクロング参謀長の命令を耳にするや否や、憤然として、「無謀なことをなすっては困ります。長官は重傷を負っておられます」と、叫んだ。
一瞬、凍りついたような空気が士官室に充満し、しばらくの間、誰もが沈黙を余儀なくされた。
やがて、気を取り直した看護兵曹は、沈痛な面持ちで長官の容態を説明し始めた。
「頭部の負傷は骨片が頭蓋骨の中に折れこんでおります。これでは些細な刺激でも致命傷となりかねません。このような怒涛逆巻く気象条件下で他艦への移乗は至難な業です。敢行されるのであれば長官のお命は保証いたしかねます」
幕僚たちは息を呑んで、クジノフ兵曹の顔を見つめた。
クジノフは言葉を継いだ。
「それに長官は意識も混濁されています。出血多量で昏睡状態に陥っておられます。とても艦隊の指揮をとれるとは思えません」
クロング参謀長たちはようやく事態の深刻さに気付いた。
この時期、ロジェストウンスキー中将はもはやうわ言めいた短い言葉を時折漏らすだけの、この艦隊には満ち溢れている只の重傷者の一人に過ぎなかったのだ。
意識すら失いがちのこの提督にもはや艦隊の指揮能力が残されていよう筈はなかった。
ロシア艦隊は既に四分五裂の状態に陥っている。
しかも、それらの艦艇は最高司令官が事実上失われてしまった現状も知らずに、黄昏の海上をただ彷徨っていることになる。
参謀長クロング大佐は、同席するセミョーノフ中佐に意見を求めた。
セミョーノフ中佐は、即座に返答した。
「ロジェストウエンスキー提督の指揮権は他に委譲さるべきである。」
幕僚たちの意見は一致し、クロング参謀長もそれに同意した。
そして、セミョーノフ中佐に指示した。
「先ずは、提督のご意思を確かめてくれ給え」
中佐が艦長室を訪れたとき、ベッドに横たわった司令長官は、看護兵曹の治療を受けていたが、意識はあるらしく眼を開いていた。
「閣下は、艦隊を指揮する力を自覚されておりますか。もしそうであれば、どの艦にお移りになりたいですか」と、中佐が耳もとに口を寄せるようにして質問すると、ロジェストウエンスキー中将はしばらくその顔を眺めていたが、やがて小声で、「いや、何処へも、・・・ご覧のとおり・・・ネボガトフ」と、途切れ途切れに呟いた。
中佐が了解しましたと頷くと、中将はやや声音を強めて、「ウラジオストック。針路北二十三度東」と、はっきりとした命令口調で告げた。
そして言い終わると同時に、意識を失ってしまった。
セミョーノフ中佐、眼を閉じた司令長官に向かって敬礼を送ると、艦長室を立ち去っていった。

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厚生年金未加入267万人=63万~70万事業所で
2006-09-15 Fri 11:27
社保庁の怠慢指摘・総務省

 厚生年金への加入義務がある事業所の3割に当たる約63万~70万事業所が未加入のため、将来年金を受け取れない従業員は約267万人と推計されることが15日、総務省の行政評価・監視結果で分かった。保険料を徴収する社会保険庁は未加入事業所・従業員の総数を把握しておらず、総務省は厚生労働省に対し、加入漏れを把握するシステムの構築や徴収強化を行うよう勧告した。
 総務省が昨年8月から11月にかけて社保庁と地方出先機関を調査したほか、雇用保険や総務省の就業構造基本調査などのデータから厚生年金の加入漏れを試算した結果、加入対象従業員約3516万人のうち7.6%の約267万人が未加入の可能性があると指摘している。

(ヤフー・\時事通信) - 9月15日11時1分更新から引用

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ツシマ沖の海戦(その七十五)
2006-09-15 Fri 00:06
午後六時三分、ロシア艦隊の主力を追撃していた第二戦隊は、日没近い濛気に紛れて敵影を見失ってしまった。
出雲の前部艦橋では、「追撃を中止し、第一戦隊に合流いたしましょう」と、傍らの上村長官に話し掛けた。
このままでは、作戦上不利であると判断したのだ。
「よか。第一戦隊は今頃は北を目指しちょるじゃろう」と、上村が応じた。
第二戦隊は直ちに左に舵を切り、北進を開始した。
やがて、戦隊は夥しい破片が浮かぶ海面に差し掛かった。
破壊された船具の残骸が漂う中に、多数のロシア将兵の頭が浮かんでいた。
ある者は手を上げ、ある者は声を発してしきりに、通過する上村の艦隊に向かって救助を哀願する様子である。
「オスラビアの沈没現場でしょう」
佐藤中佐が呟いた。
上村中将は黙したまま、その光景から目をそらせた。
その時、上村の脳裏に去来したのは、昨年の蔚山沖海戦における一場面であった。
その年の八月十四日の早暁、上村の率いる第二戦隊は蔚山沖を南下して来るウラジオ艦隊を発見した。
リューリックを先頭艦とする装甲巡洋艦三隻の戦隊である。
午前五時二十三分砲撃戦が開始されが、一時間後、リューリックが舵機に被弾して落伍した。劣勢を意識したウラジオ艦隊は、リューリックの救出を諦め、反転して北方へ逃走する気配を見せ始めた。
出雲以下四隻の巡洋艦で編成されている上村艦隊の猛烈な追撃戦が開始された。
追撃は五時間に及び、遂にリューリックは艦尾から左舷に横転して沈没した。
残るグロムボイ、ロシアの二艦はともに大損害を受けたが、辛うじて戦場からの遁走に成功し、ウラジオストックへ帰り着いた。
上村は残弾不足のせいもあり、追跡を断念すると、リューリックの溺者救助の作業に専念した。
その結果、六百二十七名のロシア兵員の生命が救われた。
敗者への労わりは、上村の武士としての矜持の反映であった。
敵艦乗組員救助の逸話は、後に美談として国民の間で喧伝されたが、戦略的な見地からは、疑問が投げつけられることとなった。残敵を撃ち漏らすべきできなかったというのである。
特に秋山真之にいたっては「戦略的目的を犠牲にしてまで、漂流者を救うのは宋襄の仁である」とまで酷評した。
宋襄の仁とは、中国の故事に由来する言葉で、時宜を得ていない情けという意味である。
因みに、上村は嘉永二年薩摩藩士の家に生まれ、明治元年の鳥羽伏見の戦いに参加し、会津の転戦にも従軍した。
明治三年上京して海軍兵学寮に入り、同12年海軍少尉に任官した。日清戦争では海軍大佐として秋津洲艦長として活躍、日露戦争においては海軍中将として第二艦隊司令長官として、蔚山沖海戦で勝利を得ている。
性格は豪放で猛将と呼ばれたが、部下には優しく接したといわれている。
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ツシマ沖の海戦(その七十四)
2006-09-14 Thu 00:21
午後六時過ぎの段階になると、海戦は小康状態に陥っていた。
日本艦隊は、昼間の戦いで、戦艦オスラビアを撃沈したことを筆頭に、仮想巡洋艦ウラルと運送船ルスを沈めていた。
そのうえ、ロシア艦隊旗艦スワロフおよび工作船カムチャッカを大破させた。
しかし、日本艦隊の艦隊運動は乱れていた。
午後六時六分、第四戦隊旗艦浪速の通信室は、笠置からの電報を受信した。
「我ガ将旗ヲ千歳ニ移シ、第二小隊ヲ麾下ニ送ル」
第三戦隊旗艦笠置は、前にも述べたように、喫水線下の炭庫部分に被弾し、以後は浸水と戦い続けてきた。
排水は困難を極め、この時期になると、機関の一部にまで海水が浸入していた。
第三艦隊司令官出羽中将は、ついに二番艦千歳への移乗を決意したのである。
ただし、風浪が激しく海上での乗り移りは、危険なため、両艦ともに近くの油谷湾に向かい、そこで移乗して艦隊に復帰することとし、音羽、新高の二艦を第四戦隊に転属させる措置を図ったのである。
油谷湾(ゆやわん)は山口県西部に位置する内湾であり、湾内には小島が点在する波穏やかな
海域である。
 なお、千歳は、明治三十二年三月一日、アメリカ・ユニオンアイアンワークス社で竣工した排水量四千七百六十トンの二等巡洋艦であるが、二十センチ砲を有する本艦は、同型艦「笠置」とともに装甲巡洋艦を除けば最有力な巡洋艦とみなされていた。
第四戦隊においても高千穂が脱落するという被害を蒙っていたが、同艦は修理を終えて復帰し、六隻となった第四戦隊は単縦陣を形成し北上した。
同じ頃、第六戦隊は殆ど停止している工作船カムチャッカと旗艦スワロフを攻撃していた。
第五、第四戦隊続いて、それに参加した。
スワロフは僅かに動いていたが、戦闘は日本側の一方的な攻撃に過ぎず、演習における教練射撃の様相を呈した。
しかし、スワロフは驚異的な粘りを見せ、沈没の気配を微塵も示さなかった。
生存者がいるとも思えぬ廃墟のような艦尾からは、時折、発砲の閃光が煌めいた。

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ツシマ沖の海戦(その七十三)
2006-09-13 Wed 00:00
駆逐艦ブイヌイの甲板上に立ち並んだ水兵たちが叫んでいる。
「渡せ。早く」
クルセル少尉候補生は、砲門扉の上に屈強な水兵を一人四つん這いにさせ、他の二人の水兵にロジェストウエンスキー提督の身体を抱え揚げさせた。
そして、四つん這いになった水兵の背中に乗せ、二人の水兵は提督の両脚と肩を持ってブイヌイが寄ってくるのを待たせた。
ブイヌイの甲板が、海に突き出たスワロフの砲門扉と同じ高さになった瞬間を狙って、素早く提督の身体を投げ移そうというのだ。
その一瞬がやってきた。
二人の水兵は提督の身体を宙に浮かせた。
提督は手を広げて待つ駆逐艦数上の水兵の群れの中に落下した。
時刻は、午後五時五十五分のことであった。
「ウラー」
クルセル候補生が帽子を振り回しながら、絶叫した。
「ウラー、ウラー」
と、スワロフの甲板上で見守っていた将兵が唱和した。
つづいて、参謀長クロング大佐、航海長ヒリボウスキー大佐、参謀レオンチュフ大尉が飛び移った。
セミョーノフ中佐を痛い足を引きずりながら、それに続いた。
救助作業もここまでで終了した。
通りかかった日本第六戦隊が、漂流している工作船カムチャッカとスワロフに砲撃を加えてきたからである。
ブイヌイにも至近弾があり、負傷者も出た。
「離れろ、早く離れろ」
クルセル候補生がまた絶叫した。
「時を失うな」
「長官を頼むぞ」
「急げ」
他の将兵たちも叫んだ。
コロメイツォフ艦長は、思わず涙ぐみそうになった。
「おもて離せ」
既に廃墟と化した旗艦の上で、兵員たちが帽子を振りながらブイヌイの離脱を、声を限りに求めている。
誰一人として自らの救助を求めて騒ぎたてた者は見られなかった。
コロメイツォフ艦長は旗艦に敬礼すると、「両舷後進微速」と、命令した。
ブイヌイがゆっくりと後ずさりを始めると、再びスワロフの艦上から「ウラー」の声が上がった。
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ツシマ沖の海戦(その七十二)
2006-09-12 Tue 00:06
一同が中将を抱き起こし、外へ連れ出そうと試みた。
ようやく立ち上がろうとした中将は、左足を踏み出した途端、激痛に襲われて失神した。
左踵の骨が砕けていたのである。
「かえって好都合である」
セミョーノフ中佐が声を上げ、呼び込まれた水兵たちが提督の身体に取り付いた。
砲塔の扉は破壊されて半開きのまま動かず、人一人がようやく通れるほどの隙間があるだけである。
「引っ張れ」
「横向きにしろ」
「待て、軍服が引っかかった」
「構わない。もっと引け」
水兵たちがようやく砲塔外に中将の身体を引き出したときには、彼の軍服の上着はかぎ裂きだらけになっていた。
ところが、中将の身体を筏に括りつけようとしたときに、コロメイツェフ中佐がメガフォンを通じて叫ぶ声が響いてきた。
「着けるぞ」
筏に乗せて中将を引き寄せるという最初の計画は、激浪のために溺死の危険も考えられる、との艦長の判断から回避されたのである。
この勇敢な駆逐艦乗りは、風上から彼の艦を寄せ、瀕死の旗艦に接舷を試みようとしているのだ。
まさに神業である。セミョーノフ中佐は心中で嘆声を発した。
スワロフの舷側には、破損した砲門扉、砲身、魚雷防御網の支柱等沢山の突起物が海面に向かって突き出している。
それらに接触すれば、駆逐艦の脆弱な艦腹などひとたまりもない。
駆逐艦ブイヌイは、ロジェストウエンスキー提督が横たえられている舷側の破孔附近にまで近づくと、エンジンと舵を巧みに操って船足を停め、艦長は、彼の艦を浪に漂う状態に置いた。
浪は高く、うねりも大きかった。
ブイヌイの上甲板は波に乗ると高い乾舷を持つ戦艦のそれを上回るほど突きあがるが、すぐまた波間に沈み込んだ。
そのたびに、ブイヌイの華奢な船体は、戦艦の舷側から突き出す頑丈な突出物に触れそうになった。

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ツシマ沖の海戦(その七十一)
2006-09-11 Mon 00:15
足の痛みに喘ぐ中佐が附近を歩き回って、ようやく見つけ出せたロジェストウエンスキー提督のスタッフは、僅かに二人に過ぎなかった。
そのうちの一人が戦闘司令所にいた、艦隊航海長M・ヒリポウスキー大佐であった。
大佐は暗黒の司令所の中で、ランプを前にして、独りぽつねんと座り込んでいたのだ。
戦闘司令所には通風筒を通じて空気が供給されていた。
しかし、それも途絶えがちになって、ランブの光もその力を失い始めていた。
もう一人は、メスデッキの入り口の扉に力なく、もたれ掛かっていた参謀のN・レオンチュフ大尉であった。
セミョーノフ中佐は、二人の参謀に退艦用意をするように告げると、ロジェストウエンスキー中将のいる六インチ砲塔へと再び痛い足を引きずった。
砲塔内に入ると、セミョーノフ中佐は、二人の幕僚を見つけたことを彼の司令長官に報告した。
そして、駆逐艦移乗を急いで欲しい旨を早口で申し添えた。
しかし、ロジェストウエンスキー提督は、それには応ぜず、「ヒリポウスキー君を呼んでくれ給え」と、か細い声で言い張った。
「閣下、大佐はすぐ参ります。早く駆逐艦にお移りください」
セミョーノフ中佐が懸命に勧めたが、中将は無言で頭を振り、そのままぐったりと砲塔の壁によりかかってしまった。
砲塔の横の破孔の傍では、クルセル候補生が二・三名の水兵を指揮して「筏」作りに専念していた。
クロング大佐とコロメイツェフ艦長と浪を隔てたやり取りの結果、駆逐艦の接舷は危険ため、中将の身体を筏状の物に括りつけ、一旦海面に下ろしてから、駆逐艦に引き上げようということになったのである。
クルセル少尉は、焼け残った釣床数本を材料にして、筏様の物を作り上げた。
水兵たちが、甲板に散らばる弾片を海中に払い落として、筏を押し出せる通路を確保した。
午後五時四十六分、搬出の用意が整ったので、参謀長クロング大佐、その他の生き残りの幕僚たちが砲塔前に集合した。
セミョーノフ中佐が、砲塔内に入り、ヒリポウスキー大佐が来着した旨を告げ、駆逐艦移乗を再度、強く要請した。
セミョーノフは後にこの場の状況を次のように記している。
「長官ハ、黙シテ頭ヲ上下ニ振リナガラ余等ヲ見詰メ、一度ハ同意スルカト思ヘバ、一度ハ否認シ、事態ハ困難ヲ極メタリ」
長官の判断力が低下しているのは、誰の眼にも明らかであった。
日本艦隊が何時、来襲してくるか分からない事態である。
許された多くの時間はなかった。
司令長官を腕づくでも引きずり出すことが最優先事項であることは、この場に居合わせた誰もが理解していた。
しかし、日頃峻厳な司令長官に対する畏怖心から生じる、躊躇と困惑が一同を支配していた。
クルセル候補生が堪り兼ねて大音声を発したのは、この時のことである。
「諸官は何を考えておられるのですか。長官は重傷です。一刻も早く救出しなければならないのではないですか」
一同は、はっと我に帰り、数人が我先にと半開きの扉から、砲塔内に潜り込んだ。

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ツシマ沖の海戦(その七十)
2006-09-10 Sun 08:03

スワロフの艦上で「敵水雷艇接近中」という信号兵の鋭い叫び声があがった。
使用可能である残った砲側へ砲員が駆け寄った。
その時、「味方だ。ブイヌイだ」炎と黒煙の中から歓声が聞こえた。
ブイヌイは、徐行しながらスワロフの回りを進んだ。
艦上には人影は見えなかった。
全ての乗組員は死に絶えたのではあるまいか、不吉な予感にコロメイツェフ艦長の胸は震えた。
やがて、右舷中部の砲塔附近にまで近付いたとき、その砲塔の中から人影が現われ、手旗信号を送ってきた。
「提督ヲ収容サレタシ」
スワロフは完全に停止していた。
ブイヌイは更に接近した。
すると、砲塔の近くの切断舷に立っているクロング参謀長ら数人の士官の姿が見えた。
コロメイツェフ艦長はメガフォンを手にして、クロング参謀長に向かって叫んだ。
「長官を移す短艇はありますか」
「なし」
クロング参謀長もメガフォンを通じて怒鳴り返した。
「本艦の短艇を使用しましょう」
「この激浪を乗り切れる自信ありや」
「なし」
コロメイツェフ艦長の提案も奇妙な終末をみた。
六インチ砲の側で、セミョーノフ中佐が、この光景を見守っていた。
そこに、司令長官の従卒クチュコフが近付いてきて、困り果てたという風情で
「長官が移乗を拒否されています。説得をお願いします」と、依頼した。
セミョーノフ中佐は、骨まで砕かれた右足を引き摺りながら、やっとの思いで中部砲塔の入り口を潜った。
ロ提督は相変わらず箱に腰をおろしたままであった。
セミョーノフ中佐は、その側に蹲ると、
「長官、駆逐艦が参りました」と、ことさらに弾むような口調で話し掛けた。
しかし、ロ提督はそれには直接応えようとはしなかった。
ただ、「幕僚を集めよ」とだけ、ぶっきらぼうに命じた。
後はそれ以後は、顔をしかめたまま口を噤んでしまった。

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ツシマ沖の海戦(その六十九)
2006-09-09 Sat 09:15
同じ頃、スワロフの艦上では、傷ついたロジェストウエンスキー提督が相変わらず、右舷中部六インチ砲塔内に蹲っていた。
附近にいる者が,容態を気遣って盛んに問いかけるが、その度にそんなことは心配するなと、叱り付けた。
しかし、本人の自覚にも係らず、衰弱は激しくなり、頭を垂れてぼんやりすることが多くなった。
周りの者が戦況を報告しても、その半ばで聴いているのかどうか分からない素振りを見せた。
司令長官の反応は一時的な覚醒状態の時に限られるようになった。
頭蓋骨の一部が陥没しているのか、頭部に巻かれた包帯が夥しい鮮血にまみれていた。
参謀長K・クロング大佐は、安全な艦に司令長官を移乗させることを提案したが、救助のために接近してくる艦の姿はどこにもなかった。
その時、「水雷艇が近づいてくる」と誰かの叫び声がした。
しかし、接近してきたのは、駆逐艦ブイヌイであった。
ブイヌイは排水量三百五十トン、短い二本マストと煙突四本を備えた駆逐艦である。
艦体は他のロシアの艦艇と同様に黒く塗られている。
艦長は、N・N・コロメイツェフという名の中佐であった。
彼はまだ三十八歳という若さであったが、戦争前は砕氷船の船長として活躍した経歴を持ち、バルチック艦隊きっての駆逐艦乗りとして部下の信頼を集めていた。
ブイヌイは、前に触れたように、この海戦最初の犠牲者となった「オスラビア」の溺者二百四名を救助し終わると、巡洋艦隊の殿について北進していたのである。
駆逐艦といえば本来、魚雷を抱いて敵に肉薄する決戦用の兵器である。
ところが、ロジェストウエンスキー提督は何故かこれを救助のために用いようとしていた。
そのため、コロメイツェフ中佐の小さな艦も、戦艦ニコライ一世の救助艦に指定されていた。
ちなみに、旗艦スワロフの担当艦は、ベドウイとブイストルの二艦である。
ブイヌイの甲板も艦内も救助された兵員と乗員とで膨れ上がっていた。
午後五時過ぎ、コロメイツェフ中佐は、右舷前方はるかに炎上中の戦艦を発見した。
双眼鏡に接した中佐の灰色の瞳の中に驚愕の色が浮かんだ。
「あれは、まさかスワロフではあるまいな」
練達した船乗りである艦長の声はやや震えを帯びて聞こえた。
眼鏡に写る戦艦は既に煙突もマストも失われていたが、まだ機関が鼓動している証しを見せるかのように、南に向けて僅かに動いていた。
「スワロフに似ていますね」
艦長の傍らでワシーリエフスキー少尉が応じた。
「それにしては、ベドウイが側にいないのがおかしいな」
「カムチャッカらしい船が一隻いるだけです」
スワロフらしい戦艦の近くには、確かに工作船のカムチャッカの姿が見られた。
カムチャッカもまた傷ついていた。
吹き飛ばされた煙突附近から盛んに黒煙が立ち昇っていた。
コロメイツェフ艦長の決断は素早かった。
「もし、あの艦がスワロフであるならば敵が接近してくる前に急いで乗り付けなければならない」
ブイヌイはその戦艦めがけて全速力で接近した。
そのととき、南東の方角から、濛気の壁を破って日本の巡洋艦隊が姿を現わした。
「見捨てられたあの艦の中に、まだ司令長官がいるのであれば、一刻の猶予も許されない」
ブイヌイは焦った。
午後五時三十五分、燃え盛っている巨艦に約三百メートルにまで舳を寄せたとき、コロメイツェフ艦長は思わず息を呑んだ。
彼の目前に横たわっているものは、殆んど軍艦の原型を留めてはいなかった。
彼は一瞬それが何かに似ていると感じた。
そして、自分がロシア南部の農村地帯で使われている栗焼用の火鉢を無意識のうちに連想したことに気付くと慄然とした。
 栄光の聖アンドリュース旗を檣頭に掲げた彼の旗艦の勇姿は、もはやこの海域のどこにも存在しなかったのだ。
ただ、あるのは煙と焔に包まれた、浮かぶ廃墟だけであった。

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ツシマ沖の海戦(その六十八)
2006-09-08 Fri 00:00
午後四時五十分、バルチック艦隊の後尾に接触している日本艦隊は、第三、第四及び第六戦隊がロシア巡洋艦部隊と併航戦を交わしていた。
北西から南下してきた第五戦隊が、同時に反航戦を実施していた。
バルチック艦隊の先頭部隊は、第二戦隊及び第一戦隊に頭を扼されて、また右回りに針路を変更した。
 三笠の艦橋では、首脳部の面上にやや焦りの色が浮かび始めた。
「そろそろ水雷を出しましょう」
秋山参謀が、身体を寄せで参謀長に囁いた。
無論、駆逐艦艇による夜襲は既定の戦術である。
「よかろう」と、加藤少将は即決した。
午後四時五十分頃、第三戦隊旗艦笠置の艦橋で驚きの声が上がった。
北方の煙霧の中から、突如、敵の戦艦部隊が姿を現したのだ。
ロシア戦艦部隊は、交戦中の第三、第四、第六戦隊と自軍の巡洋艦部隊との中間を航進してきた。
敵の主力は、巡洋艦部隊と協同して、日本艦隊に砲撃を加えてきた。
第三、第四戦隊は、もろに敵の戦艦部隊の砲火に曝されることとなった。
第三戦隊は、前述したように旗艦笠置は被弾浸水し、第四戦隊も高千穂を欠いている。
見る間に、日本艦隊は苦境に陥った。
午後五時、笠置の第三戦隊司令官出羽中将は命令を下した。
「逃ゲヨ」
第三戦隊は十六ノットに増速して「右四点一斉回頭」を行い、東方海面に回避した。
第四戦隊三隻は、北東に変針した。
第五戦隊も第六戦隊に後続して、東側に展開したため、ロシア側から見れば、西方海域はがら空きになったわけである。
すかさず、バルチック艦隊主力は右転回し、巡洋艦部隊も主力の東側に出で、右に旋回した。北方を目指す態勢をとったのである。
折から、第二戦隊、第一戦隊はバルチック艦隊主力を追って,南進しつつあったが、三笠の連合艦隊司令部では、奇妙な動きを見せるバルチック艦隊の意図について、議論が白熱していた。
「南方に脱出を図ろうとしているのではあるまいか」と、ある参謀が言えば、また別の者が「敵は既に二回も迂回を試みている。まるで盆踊りではないか。これは一体何を意図するものか」と、首を傾げる騒ぎとなった。
仮にロシア艦隊が南方への脱出を目論んでいるにしても、到底、優速な日本艦隊の追跡を振り切ることはできないであろう。
 ましてや、徒に旋回運動を繰り返しても、それは単に自滅に到るまでの哀れな時間稼ぎに過ぎない。
「結局、ウラジオ港を目指していると見る外はない」
加藤参謀長が結論めいたことを口にしたところで、議論は一応の終結を見たが、幕僚一同釈然としない面持ちであった。
 既に陽は西に傾きかけていた。
バルチック艦隊主力は、夕日で薄紅色に染まった濛気の壁の中に一艦また一艦と吸い込まれるように姿を消していった。
 三笠は後続艦を従えて暫らくそのあとを追ったが、やがて右手に隊列は乱れ、各艦が四散した状態で彷徨っているロシアの特務艦船隊を発見した。
 同艦船隊は日本巡洋艦隊の砲撃を受け、午後三時三十分頃から各艦船とも被弾が続出し、午後四時三十五分に至り、遂にルーシが沈没、イルツィンは大破という損害を蒙っていた。
この特務艦船隊が、敵艦隊の後尾に位置していることは、連合艦隊司令部も承知している。
午後五時三十分、濛気に隠れてバルチック艦隊は北転しつつあると判断した東郷司令長官は、第一戦隊に北方に変針することを下令した。
東郷は先回りして、敵の進路を塞ごうと考えたのである。
第三戦隊以下がそれに追随した。
ところが、第二戦隊はその動きに気付かなかった。
浅間が戦列に復帰して六隻に回復した第二戦隊は、バルチック艦隊の主力を求めて煙霧の中を突進していった。
日没は間近であった。

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ツシマ沖の海戦(その六十七)
2006-09-07 Thu 05:42
海戦が第二段階に移ると、アリョールは、特にきびしい時間を過ごすこととなった。
午後三時から五時までの二時間である。
先行艦であるスワロフとアレクサンドル三世が離脱すると、アリョールは日本艦隊の集中砲火を浴びた。
午後三時四十分、一発の砲弾が司令塔の庇に落下した。
その砲弾の破片は覗き窓から飛び込み、艦長のユング大佐の腹部と腕を傷つけた。
サッケビッチ大尉は、爆風により司令塔の壁に打ち付けられ、背中に打撲傷を受けるとともに昏倒した。
シドロフ副長が艦長に代わって命令した。
「至急,担架兵を呼べ」
艦長と大尉を手当所に運ぶ途中で再び悲劇が起こった。
後甲板で炸裂した砲弾の細片が艦長の背中から脇腹まで貫通し、僅かに皮膚の下で止まった。
手術室に運び込まれた艦長は致命傷を負っていた。
軍医が皮膚を裂いて胡桃大の破片を取り出した際に、まだ熱していたそれで、軍医は指に火傷を負った。
艦長は治療を受けている間もずっと、うわ言を言い続けた。
「面舵、回転九十、速力落とすな。機関室へ伝達」
アリョールは船体と装甲甲板上の砲塔が著しく破壊された。
砲弾の爆発により火災が引き起こされたが、スワロフのように艦全体に及ぶ大火災にはらかった。
これは、戦闘に入る前に木材等の可燃物を取り除いておいたことが大きな要因となっていた。
上甲板の艦長室、司令室で大火災が発生した。
ついで、後甲板、艦橋、汽艇置き場等が炎上した。
砲弾の爆発によっては燃え上がらなかった甲板の木製の床までが、下からの火災によりくすぶり始めた。
午後四時ごろになって、司令用食堂で大火災が起こった。その煙が後部甲板に流れ出した。黒煙は後部十二インチ砲台内に侵入した。
砲員たちは呼吸困難に陥り、射撃が中止された。
ボート置き場でも炎が上がり、ボートや内材が燃え上がった。
その煙は通気筒を通って機関室に充満した。
砲甲板には、大量の海水が溜まっていた。
それは舷側の破孔から侵入したものと、消火のために流したものが合わさって、艦が動揺するたびに、大きな音を立てて一方の側に流れた。
水は昇降口等から艦の下層部へ流れ落ちていった。


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ツシマ沖の海戦(その六十六)
2006-09-06 Wed 09:08
既に述べたように、午後四時にかけて、スワロフは孤立無援のまま、炎を背に海上をのたうちまわっていた。
乗員の懸命な消火作業により、下甲板砲台の火事はようやく下火となってきた。
手すきの砲員たちの努力により、下甲板の破壊された砲十門の部品をかき集めて、一門の砲が再生された。
上甲板の火事はますます激しくなり、放置された弾薬があちらこちらで誘爆した。
火災が全艦に拡がるのも時間の問題と思われた。
誰もが終焉の時が近づきつつあることを自覚していた。
しかし、不思議なほど皆落ち着いていた。
ただ、目の前の作業に黙々として従事していた。
セミョーノフ中佐が、少尉候補生ウェルナー・フォン・クルセルに出会ったのは、この時期のことである。
元気のよい、この少年は、「やあ、中佐殿。ご機嫌はいかがですか」と陽気に問いかけてきた。
「よくないな」
セミョーノフ中佐はむっとしたように応えた。
そして、煙草を切らしたので、キャビンにとりに行くところだ、と付け加えた。
「貴方のキャビンへですって?」
クルセルの瞳に悪戯っぽい光が宿った。
「そこへ行ってきたばかりです。ご一緒します」
クルセルが先にたって、破壊された通路を煙を上げている破片などを避けながら、ようやく士官室までたどり着いたとき、セミョーノフ中佐は唖然とした。
彼のキャビンと隣にあった二つのキャビンの仕切りが見事にぶち抜かれて、一つのだだっ広い穴になっていたのだ。
クルセルはジョークが上手くいったので、大口を開けて笑い転げていた。
セミョーノフ中佐はまんまと担がれたことを知って立腹した。
中佐は腕を振り回しながら急いでもといた処へ戻っていった。
クルセルは砲塔の傍で、中佐に追いつき煙草を渡した。
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ツシマ沖の海戦(その六十五)
2006-09-05 Tue 10:07
午後三時五十分の段階では、バルチック艦隊は、右回頭を終了し、再び北東への針路に戻った。
その主力部隊は、戦艦ボロジノ、同アリョール、同アレクサンドル三世、同ニコライ一世、装甲海防艦アプラクシン、同セニャーウィン、同ウシャコフ、戦艦ナワリン、巡洋艦ナヒーモフ、戦艦シソイ・ウェリーキーの順序で単縦陣を組んで航行していた。
一方、巡洋艦部隊は、オレーグ、アウローラ、ドミトリイ・ドンスコイ、モノマーフ、ジェンチュグ、イズムルード、スウェトラーナ、アルマーズの順番で、同じく単縦陣を形作っていた。
午後四時二分、バルチック艦隊の進路がやや北よりに転針した。
敵の動きに応じて、第二戦隊は東方へと正面を変じた。
敵の先頭を包囲圧迫するように針路を執り、砲撃を加えながら航進した。
午後四時二十八分、三笠は南東約二千七百メートルにいるスワロフ目掛けて、前部発射管から魚雷を発射したが、命中を得ることはできなかった。
この当時は、戦艦といえども魚雷発射管を備えていた。
三笠にも、発射管四十五センチ 四基が装備されていたのだ。
ところで、三笠から望見されるスワロフの惨状は言語に絶した。
煙突、艦橋、檣などの上甲板以上の構造物は殆ど破壊され原型を留めてはいなかった。
甲板には猛煙が漲って、砲門から火焔が噴出していた。
「まるで、岩島の噴煙のようだ」
三笠の艦橋で誰かが呟いた。
三笠は、午後四時三十四分、スワロフを横目にして通過したが、その際にも、こんどは後部発射管から雷撃を試みている。
しかし、またもや、失中であった。
魚雷を正しく目標に指向させる装置の発明は、第一次世界大戦まで待たねばならず、日露海戦当時の魚雷には、正確性の点では改良の余地が大きかった。
出雲の艦橋で、この様子を眺めていた上村中将は、傍らの佐藤参謀に命令した。
「水雷を出すことにしょう」
この時期、第二戦隊の北側後方には、駆逐艦朝霧、村雨、朝潮、白雲の四隻で編成されている第四駆逐隊が随航していた。
駆逐隊司令は、鈴木貫太郎中佐である。
通報艦千早を通じて上村の命令を受領した鈴木司令は、速力十八ノットでスワロフへ突進した。
前方の敵旗艦は、前檣と煙突を失い、上甲板、舷側から盛んに火焔を吹き上げている。
全艦、猛烈な煙に包まれながら未だ十ノットで航走していた。
艦尾付近の一、二の小口径砲が思い出したように閃光を放った。
四番艦白雲の艦長鎌田政猷少佐は、スワロフは「全く戦闘航海力を喪失」したものと判断し、襲撃を中止した。
朝霧、村雨が一本ずつ、続いて朝潮は二本を発射した。
四本の魚雷は、激浪に側面を打たれ、空中に跳ね上がったり、そのまま海中に突入したりして、いずれも目標に到達することはなかった。
朝霧と村雨は一旦反転すると、再び態勢を整えて、約三百メートルの距離まで肉薄すると、雷撃態勢に入った。
ところが、朝霧の魚雷は電路の故障のために、発射できず、鈴木艦長が罵声を発しただけに終わった。
村雨の一本はスワロフに向かって直進した。
瀕死の敵旗艦の左舷後部付近で海水が沸騰し、約二メートルの水煙が立ち上り、次いで薄煙が噴き昇った。
村雨の魚雷は、スワロフの手前で波浪に激突し、自爆したのである。

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ツシマ沖の海戦(その六十四)
2006-09-04 Mon 09:29
戦艦オスラビアが艦列から離脱したため、アリョールに日本艦隊の砲火が集中した。
午後二時三十分頃、左舷中央六号七十五ミリ砲蓋装甲に六インチ砲弾が命中炸裂した。
破片は指揮官トマノフ少尉の背中と額を裂き、砲手たちも負傷して戦列を離れた。
そのほか、前部七十五ミリ砲には十二インチ砲弾が命中し、防御砲台の内部で爆発した。
掩蓋が捻じ曲げられて、砲は軸から外れて吹っ飛んだ。
砲弾庫に火が入り爆発した。
前部左の十二インチ砲の砲身に命中した砲弾は、砲身を引き裂き、十フィートほどの砲身の破片が上部艦橋の囲いを破って突き刺さった。
前部主砲塔の右砲の装弾装置が故障したため、人力による砲弾移送が行われた。
後部の主砲塔も被弾した。
左砲の掩蓋に八インチ砲弾が命中した。
掩蓋がずり落ちたので、砲の仰角が妨げられ、二十ケーブル以上の長距離射撃が不能となった。
炸裂した破片は、シチェルバーチエフ少尉と二人の兵曹を傷つけ、砲手のビッテの頭部をえぐった。
彼の脳漿が砲床にばら撒かれた。
続いて、砲塔の垂直装甲鈑を直撃した十二インチ砲弾の衝撃で、内部に取り付けられていた器具類が全て外れて落下した。
しかし、砲の操作はまだ可能であった。
この時期なると、殆どの砲が多少の被害を受けたていた。
しかし、半数以上の砲はまだ使用できた。
海中に落下した八インチ砲弾が跳弾となって司令塔の左側庇の下で炸裂した。
覗き窓から飛び込んだ破片が水雷士ニコノフ少尉と航海士ラリオノフ大尉を襲った。
ともに頭部に傷を受けた両名は手当所に運ばれた。
塔内の測距儀、指示器、伝声管等が破壊され、備付の時計の針は午後二時四十分を指したままで止まった。
午後三時、アリョールの司令塔には、頭部に負傷した艦長ユング大佐、顔面が血まみれになったシドロ副長と、これも頭部に傷を受けた先任砲術士と先任航海士のサトケビッチ大尉が留まっていた。
舵輪には戦闘開始から兵曹長カピロフと操舵手クドリャショフが取り付いていた。
二人とも負傷して血まみれになっていた。
特にカピロフ兵曹長は指二本を失いながらも、その場で包帯をして持場を離れようとはしなかった。
司令塔には、砲弾の破片が絶え間なく飛び込んできた。
午後三時過ぎ、ユング艦長は飛散した破片により再度頭部に傷を負った。
しかし、なお艦橋から退去しようとはしかった。
アリョールの乗組員であったノビコフ・プリボイはその著書ツシマの中で、この日のユング艦長の様子をこう書き記している。
「司令長官からちょいちょい譴責をくっていた艦長ユング大佐は、出動当時、ひどく神経質で、カッと昂奮するところがよくあった。だから、日本艦隊と出会った際は、すっかり逆上してしまうだろう、というのは一般の評であった。ところがいざとなってみると、予想が外れた。裂傷を負うた頭部に包帯をしていたほどだが、悠然と落ち付き払って、持場を捨てなかった。・・・いつもの紅潮はその顔から消えうせ、青い雙の眼には、すでにこの世に訣れを告げているような悲愁が満ち溢れていたのは、その胸中を物語っていた。いつも身だしなみのいいこの初老の独身者は、日本軍に掃滅されようというこの朝も、綺麗に髭をそり、死が招いたらいつでも飛んでいくという格好で,従容として包帯した頭をもたげていた。」


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ツシマ沖の海戦(その六十三)
2006-09-03 Sun 05:57
ここで、日本側の被害について、少し触れておきたい。
旗艦三笠の被害は、決して小さくなかった。
ロシア側の命中弾のうち、実に四分の一近くを三笠一艦で引き受けている。
それも、損害の殆どを戦闘開始後三十分以内に蒙っている。
午後二時十分、初弾を受けてから、二時二十分までの間に、十二発の被弾が数えられる。
損害は、死者三名、負傷者は四十四人にのぼった。
特に、第十発目の命中弾による被害が顕著で、前述したように司令塔内に飛散した破片により水雷長菅野少佐、参謀飯田少佐を傷つけ、さらには前部艦橋の副長松村龍雄中佐、参謀清河純一大尉を含む十七人を負傷させた。
勿論、損害が発生したのは三笠だけではなかった。
第一戦隊四番艦・戦艦朝日については、同乗していたベケナム海軍大佐の手記が残されている。
「朝日の後部艦橋の下で一弾が爆発し、空中一杯に破片物が飛び散った。
破片物の一つは、私の足元に落ちた。それは人間の下顎の右半分で,歯はとれていた。
周囲二十メートル内のあらゆるもの、あらゆる人が、夥しい血しぶきと細かい肉塊を被った。肉塊は、とりついたところに強くこびりついた。
十五センチ砲弾が三十センチ砲塔にあたって爆発し、士官や水兵やまわりにいた人たち数人を倒した。かりの量ガ飛び散ったのに、甲板に残った血液は、まだ大樽一杯分もあるようにおもわれた。」
この沈着な英国観戦武官は、その時甲板に椅子を置き、盛んにメモを取っていたが、一旦、甲板下に姿を消した。
やがて、再び姿を現したときは、新しい軍服に着替えていた。
六番艦の日進の被害は、三笠に次いだ。
開戦三十分の段階で、前部主砲砲塔に十二インチ砲弾の直撃を受けたのである。
このため、右砲身が切断され海中に落下した。
四散した弾片は、艦橋にいた参謀福井健吉中佐の胴を薙ぎ、さらに上甲板に飛来した破片により十七人に及ぶ死傷者を生んだ。
その後、同じ場所に九インチ砲弾が落下し、司令官三須宗太郎中将や航海長を傷つけた。
さらには、高野候補生などに重傷を負わせた。
高野とは、後の山本五十六元帥である。

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ツシマ沖の海戦(その六十二)
2006-09-02 Sat 07:48
同じ時刻、バルチック艦隊の後尾に位置する巡洋艦部隊も五月蝿く付きまとう日本連合艦隊の第三(笠置、千歳、音羽、新高)・第四戦隊(浪速、高千穂、明石、対馬)との砲戦に追われていた。
日本側の被害も次第に増大し、第四戦隊二番艦高千穂は舵の故障で脱落した。
至近弾の破片を受けたのである。
第三戦隊においても、笠置が左舷の破孔からの浸水が激しくなった。
同艦は、明治三十一年、アメリカ・クランプ社で竣工した排水量四千九百トン、主砲二十センチ砲二門、魚雷発射管五門を装備した二等巡洋艦である。
第一艦隊・第三戦隊旗艦として、出羽重遠中将が座乗していた。
同艦の浸水は次第に激しくなり、後に、出羽司令官は将旗を千歳に移すことになる。
同じ頃、第三艦隊の第六、第五戦隊が相次いで戦闘に加わったため、ロシア艦隊の後尾を包み込む包囲網は完成した。
これでほぼ連合艦隊の全兵力を挙げて、敵を南北から挟撃する「乙字戦法」の形が整ったことになったわけである。
因みに、第六戦隊は、巡洋艦千代田、同須磨、同秋津洲及び同和泉によって編成され、第五戦隊は、巡洋艦厳島(旗艦)、同松島、同橋立、甲鉄艦鎮遠及び通報艦八重山からなっていた。
午後三時四十三分、第一戦隊は、再び二回の「左八点一斉回頭」を行った。
午後三時四十七分、第二戦隊の前面に、三笠を先頭にして順番号単縦陣に戻った第一戦隊が姿を現した。
第二戦隊は第一戦隊の右に転舵したて、第一戦隊の外側へ移動した。
第二戦隊は、孤立したスワロフを右横に眺めながら前進したが、特に砲撃を行うことはなかった。
出雲の前部艦橋では、佐藤参謀が構えた双眼鏡を下ろしながら、「長官、浅間の姿が見えます」と、叫んだ。
脱落した浅間が、第一戦隊に続行していることを認めて驚喜したのである。
「ほんに、よかごわした」
撃沈されたのではいかと憂いていた浅間の無事な姿を目の辺りにして、第二艦隊司令長官上村彦之丞中将も安堵の声を漏らした。
浅間は、前に触れたように、ニコライ一世の十二インチ砲弾を舵機に受けて、孤立したところを敵の集中射の浴びることとなった。右舷後部の水線付近に受けた破孔からは激浪が
奔入して、中甲板は膝を没するほどの浸水が見られた。
さらに命中弾は続いた。
艦長八代六郎大佐は、マストによじ登り、メガフォンを通じて乗員を叱咤激励した。
艦速は一時、十ノットにまでに低下し、沈没が危ぶまれたほどであった。
しかし、その時、第一戦隊が逆行してきたのを幸いとして、その陰に隠れるようにして、航進しながら応急措置を急いだのであった。

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