We must protect the senile elderly people from unscrupulous business operators by using the adult guardianship system.

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ツシマ沖の海戦(その六十)
2006-08-31 Thu 01:16
オスラビアに追いつき、追い越していった後続の七隻の乗組員たちの中のある者は、同艦の最期を目撃した。
「あれほど巨大な艦が転覆していく姿は、とてもこの世のものとは思われなかった。人々が、甲板から投げ出されたり、舷側につかまり、とりすがり、あるいは這い上がっては落とされ、またある者は、落下する砲塔、ボート、上部構造物、錨などの重量物に押しつぶされ、浪にさらわれていくのが、手に取るように見えた」
ニコライ一世に乗艦していたある水兵の言である。
この時期、旗艦スワロフは、バルチック艦隊の北西の位置で孤立していた。
この時、スワロフの艦内では、突然「ウラー」の歓声が沸き起こった。
誰かが「敵艦を一隻撃沈したぞ」と、叫ぶと、また別の声が「いや、二隻だ」と、応じた。
たちまち、艦上は怒号と歓声の渦に包まれた。
「命中したのは六インチ砲弾だぞ」
「敵は砲弾が尽きたらしい」
艦内から水兵たちがどっと湧き出してきた。
それまで甲板の隅に隠れていた者や将校の命令を聞こえぬ振りをしていた者たちが駆け集まってきたのだ。
無論、これは味方の戦艦オスラビアの沈没の誤認によるものであるが、一時的にではあるが、ロシア将兵の士気を高揚させる効果はあった。
艦長イグナチュウス大佐は、この「朗報」には、疑惑を抱いていた。
おりから、日本艦隊の主力は西へ転回している時期であり、霧に隠れた日本艦の姿が捉えられるはずのないことを、承知していたからである。
しかし、大佐はこの事態を活用すべきだ、と判断した。
「若者よ、続け。火事を消せ。火事が消えたら、ウラジオストックへ行けるぞ」
大佐は上甲板へのタラップを昇りながら、何度も叫んだ。
頭部に巻いた包帯に痛々しい血を滲ませながらも、この陽気な船乗りは、微塵も悲観した様子を見せかった。
付近にいた乗員たちが、ぞろぞろとその後に従った。

巡洋艦ナヒモフでも同時、同じような光景が見られた。
機関室に息せき切った伝令が飛び込んで来て、艦長の指示を伝えた。
「敵ノ旗艦ヲ撃沈セリ。歓呼セヨ」
途端に、室内は歓声に包まれた。
「此れで敵はおしまいだ」
「黄色い猿は、所詮我々の敵ではなかった」
「そうだ。旗艦をやっつけた以上、これで戦いは我々の勝利だ」
騒ぎはとどまることを知らなかった。
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ツシマ沖の海戦(その五十九)
2006-08-30 Wed 04:04
オスラビアの最期の時がやってきた。
艦の中部舷側の水線下に命中した砲弾が、装甲鈑を接合しているボルトをがたがたにしてしまった。
そこへ、同じ場所にもう一発、まるで狙ったような敵弾が殺到してきた。
遂に装甲鈑が外れ、艦載汽艇がそっくり通り抜けられそうな大穴が開いた。
その弾孔から奔入してきた海水が傾いた甲板を通って弾薬庫に流れ込んだ。
やがて予備石炭庫も水没し、艦は見る間に左側に傾斜していった。
艦の沈没は、もはや避けがたい現実と化した。
中部甲板には大火災が発生し、黒煙が西風に乗って海上を流れた。
絶望的な叫び声と悲鳴で艦内が満たされた。
司令塔からベル艦長が出てきた。
軍帽は失われ、剥き出しになった額は鮮血に塗れていた。
禿げ上がった頭部にも大きな傷口が開いていた。
この期に及んでも、彼の唇の間には依然として好物の紙煙草がくわえられていた。
そのとき、艦橋にはサアブリン大尉とゲンケ砲術長がいた。
天幕の柱に力なく凭れたベル大佐は、士官たちに向って言った。
「諸君、ダスヴィダーニャ(さようなら)。いよいよ沈没だ」
そして、思い切り最後の煙を吸い込んでから紙煙草を捨てると、大きな声で命令した。
「総員退艦。海に飛び込め」
艦は急激に左に傾き、横倒しになり始めた。
上甲板では凄まじい混乱が生じていた。
短艇は戦闘開始早々に、残らず破壊されていたため、救命胴衣を着けた兵員たちが先を争って海に飛び込んだ。
救命筏(ライフ・ブイ)に抱きついている者もいた。
それにもありつけなかった者は釣床を横抱きにして海面に身を躍らせた。
艦底に近いところにある弾薬庫や汽鑵室にもまだ多くの乗組員が取り残されていた。
彼等は鉄梯子や外部に通じる竪孔へ殺到した。
 せめて砲甲板にまで辿り着けたら、海上に脱出する途は開けるはずである。
誰もが一秒でも早く上へ逃れようと焦った。
艦の傾斜はますます激しくなり、甲板上の兵員は皆、左舷の方へ滑り落ちて行った。
人々に混じって鉄の屑や木屑や壊れた椅子や箱など、固定されていない全ての雑多の物が転げ落ちていった。
オスラビアの周辺の海面は、水中でもがく人の頭で一杯になった。
敵の砲撃はまだ止まなかった。
海面で炸裂する砲弾は黒い煙を巻き上がらせながら、、兵士たちの頭上に無慈悲な弾片を撒き散らしつづけた。
 艦はますます横倒しとなった。
海面すれすれにまで達した煙突の先からは濃い煙が吐き出され、それが溺れかかっている人々の呼吸を一層に苦しめた。
ベル艦長は最後まで艦橋を離れることがなかった。
誰の目にも彼が艦と運命をともにしようとしていることは明らかであった。
天幕の柱に両腕でぶら下がるようにしながら、
「艦から離れろ。悪魔がお前たちを道連れにするぞ。艦が沈むときの渦に巻き込まれてしまうぞ」
と、海面でもがく部下たち声を掛けつづけた。
ほどなく、オスラビアは転覆して艦底を上に見せた。
艦尾が持ち上がり、まだ動いている右側の推進器が空しく宙を引っかいた。
間もなく、オスラビアは艦尾を上にして棒立ちになると、まるで海中に引き摺り込まれるように、忽然とその姿を消した・
 この瞬間、戦艦は決して砲弾によって沈められることは無い、と堅く信じられてきた当時の軍事常識がものの見事に打ち砕かれたのである。
時刻は、午後三時十分を僅かに過ぎていた。
三隻の駆逐艦が救援に駆けつけた。
ベドウィ、ブィストリー及びブイヌイである。
それに特務艦のスウィーリが加わった。
約九百人の乗組員のうち三百八十余名が拾い上げられた。
皮肉なことに、フォン・フェリケルザム少将の棺は無傷で海面に浮き上がり、それにしがみ付いていた水兵一名が救助された。

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ツシマ沖の海戦(その五十八)
2006-08-29 Tue 03:46
オスラビアの前部は既に海没していた。
二基の前部発電機は使用不能となった。
さらに、艦内に侵入した海水が送電線をショートさせたため、艦尾の発電機の電動子を焼き切ってしまった。
艦内の排水に勤めていたポンプが止まり、揚弾機も動かなくなった。
上甲板には、敵弾が絶え間なく落下した。
また、至近弾が周囲の海面を沸きたてていた。
水線の装甲帯に命中して炸裂した敵弾が、煙突の高さほどの水柱を巻上げると、それは舷側で砕けて奔流となり、遮蔽甲板にまで雪崩込んできた。
砲弾が命中するたびに、物凄い音が起こり、艦全体が震動した。
大砲は殆ど使い物にならなくなった。
ある砲塔の指揮官であるニェデルミーレフ大尉は、自艦の前途を絶望して、砲分隊を解散すると拳銃で自らの命を絶った。
士官の私室も司令官室も燃えていた。
消火分隊の連中にも、もはや手の施しようはなかった。
オスラビアはよろめきながらも僅かに前進を続けていた。
大檣は折れ、後部の煙突は消え、艦首は錨鎖孔まで水中に没していた。
艦はその痛々しい姿で、最後の時が訪れるのをじっと待っているように見えた。
午後二時三十分頃のことである。
司令塔の附近で砲弾が炸裂した。
その破片が通視孔から内部に飛び込み、操舵手を倒し、先任参謀のコシンスキー大尉らに重傷を負わせた。
 艦長のベル大佐が司令塔から飛び出してきた。大佐の白いものの目立つ栗毛の口髭と左右に垂れた長い顎鬚はべっとり血に染まっていた。
四十五歳になるこの独身の海軍軍人は、美食家であり、また無類の煙草愛好家として知られていた。このような危機に臨んだ今も、火のついた紙巻煙草を手から離そうとはしなかった。
「副長を呼べ」
大佐が怒鳴った。
水兵の一人が慌ててポフウィスニェフ副長を探しに駆け出していった。
艦長の顔から血の気は失われていたが、沈没しかかった自艦を救おうとする努力を放棄したわけではなかった。
艦長は口に咥えた紙巻煙草を燻らせながらまた司令塔へと戻っていった。

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ツシマ沖の海戦(その五十七)
2006-08-28 Mon 08:18
「面舵」
出雲の艦長伊地知季珍大佐の号令が響いた。
六隻の巡洋艦部隊が、敵戦艦部隊に対して四千メートルという至近距離から砲戦を挑もうとするのである。それは冒険には違いなかった。
第二戦隊は、速力を十七ノットに上げ、直進した。
佐藤中佐にしても、その時の心境を「少し気味悪く感じた」と、率直に回想しているほどであった。
第二戦隊は、右に回るバルチック艦隊の先頭を圧迫するように猛撃しながら航進した。
射程距離はやがて、三千メートルにまで縮まり、砲火の効力は著しく増大した。
先頭にある敵艦が交々大火災を起こすのを望見して、第二戦隊の意気はますます軒昂した。
戦場は少しずつ、東に移動していった。
したがって、この時期のおいては、沖ノ島の北北東約五海里乃至七海里の地点で戦っていたことになる。
午後三時五分、三笠の大檣に再び「左八点一斉回頭」の信号旗が翻った。
日進を先頭艦とする逆単縦陣が組まれることになったのである。
針路は北北西に向けられた。
午後三時七分、第一戦隊は斜め左後方に敵を見る形で航進し始めた。
殿艦となった三笠に続いて,各艦が発砲を開始した。
暫く敵から遠ざかっていた第一戦隊が復帰したのである。
この時、小さな艦がするすると出雲の陰から出現すると、敵戦艦シソイ・ウェリーキーに向けて魚雷二本を発射した。
第二戦隊に随行する通報艦「千早」であった。
千早が距離二千五百メートルから放った、二十四インチ甲種魚雷は命中を得なかったが、これが本海戦における日本側の最初の魚雷攻撃でとなった。
余談ながら、ここで魚雷の歴史について簡単に触れておきたい。
自走する水雷は、壱千八百六十年に、オーストリアの海軍士官ジョヴァンニ・ルピスによって考案されている。
その後、ルピスはイギリス人技術者ロパート・ホワイトヘッドと協力して、壱千八百六十四年に改良型を試作している。
しかし、実用価値のあるものとなったのは、その二年後、壱千八百六十六年になってのことである。
その葉巻型をした鋼鉄製の魚雷は圧縮空気で駆動され、約六ノットの速力が出せた。
続く二年間に魚雷は長足の進歩を遂げ、水上発射管と深度自動調節装置を有することとなった。
ヨーロッパの各国は争ってこの新兵器を導入した。
日露戦争当時となると、魚雷の性能は直径四十五センチ、速力三十ノット、射程四千メートルと飛躍的な成長を遂げていた。
当時の軍事常識においては、装甲された戦艦は砲弾により沈没させられることはあり得ないことになっていた。
したがって、戦艦にとっての恐るるべき唯一の武器は魚雷であった。
第一戦隊がジェンチュグの突進を恐れて回避したのも、この所為である。
午後三時八分、第二戦隊はバルチック艦隊の前面を通過したが、敵艦隊が右転回して遠ざかったため、急遽、「左十六点正面変換」を行った。
左に百八十度に変針し、第一戦隊に合流を図ったのである。
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災害被害者の医療費減免、政管・組合健保も10月から
2006-08-28 Mon 04:56

厚生労働省は、健康保険の加入者が地震や風水害、火災などの災害で住宅や家財などの財産に大きな被害を受けた場合、医療費の支払いを減免・猶予できる制度を、10月から導入する。
 9月中に省令で、減免に際しての条件などを定めて公表する。
 今回対象となるのは、中小企業のサラリーマンとその家族らが加入する政府管掌健康保険(加入者約3600万人)と、大企業のサラリーマンらが加入する組合管掌健康保険(同約3000万人)、船員保険(同約6万8000人)。
 すでに国民健康保険(同約4700万人)や老人保健制度では同様の減免制度が導入されているため、各保険間の公平を図る狙いがある。
(ヤフー・読売新聞) - 8月28日3時9分更新から引用

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ツシマ沖の海戦(その五十六)
2006-08-27 Sun 03:24
東郷の第一戦隊は、左八点の一斉回頭により、北東に転針した。
敵前で九十度左に向き、横隊となって北東へと向かったのである。
当然のことながら、発砲は中止された。
バルチック艦隊は、不可解にも突然背を向けた日本第一戦隊に対して、猛烈な砲撃を加えた。
三笠も連続して被弾し、そのうちの一弾は、メインマストを切断して飛び去った。
偶然にも前年の黄海海戦の際に切断されたとの、ほぼ同じ下から三分の二に当たる箇所であった。
それに伴って、檣頭に掲げられていた軍艦旗と大将旗が落下した。
「しまった。」それに気づいた伊地知艦長が嘆声を発した。
戦闘中に掲げられた軍艦旗は、戦闘旗を意味する。
大将旗は、連合艦隊司令長官が陣頭にあることを表象するものである。
それらの喪失は、全軍の士気にも係る大事であった、
しかし、前檣見張員である信号兵曹柏森源次郎が、とっさに自ら準備していた予備の大将旗を前檣頭に掲げた。
四十七ミリ砲員一等水兵上森弥吉が落下した軍艦旗を拾い上げ大檣の右中桁に結びつけた。
一旦消えた軍艦旗が再び旗艦のマストに翻ったのを眼にして、後続艦の将兵たちは大いに勇気付けられた。

第二戦隊旗艦出雲のマストにも、「左八点一斉回頭」の信号旗が翻っていた。
「信号旗を降ろしてよろしゅう御座いますか」
出雲の前部艦橋では、参謀の山本英輔大尉が、先任参謀佐藤鉄太郎中佐に肩越しに声をかけた。
第二戦隊に対する回頭命令の発令を進言したのである。
「それは何のことだ。」
佐藤先任参謀が、驚いたように問い返した。
彼は、それまで、スワロフが異常な回頭を続けながら、しかも信号旗を掲げていない様子に注目していたのだ。
「舵の故障に違いない。」
佐藤はそう見切り、敵の陣形の乱れに快哉を覚えていたのだ。
山本参謀の助言に驚いた佐藤がマストを見上げて、初めて信号旗が揚がっているのに気づいたのだ。
「いかん」
佐藤は怒鳴った。
「この戦争の真最中に、敵と反対の方向に旋回するとは、何事か。」
参謀下村延太郎少佐も、佐藤に同意し、「取消しの信号旗をあげてはいかがですか。」と提案した。
「そんなことは、どうでもよい。」
腹立ちまぎれに、一喝したが、ややあって、思い直した佐藤中佐が応じた。
「いや、運動旗を一旈上げておこう」
後続艦、吾に続け、の意である。
第一艦隊は既に左に急転しつつある。
依然として直進を続けている第二艦隊は、自然と敵と第一艦隊の間に割り込む形となった。
「長官、第一艦隊と重なってしまいました。面舵をとつて敵の頭を抑えましょう」
佐藤は、傍らで双眼鏡を構えている上村彦之丞中将の横顔を覗き込んだ。
上村は、典型的な薩摩っぽの猛将であった。この時も決断は早かった。
「よか」と、手短に即決した。


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ツシマ沖の海戦(その五十五)
2006-08-26 Sat 04:03

スワロフの火災は、まだ上甲板に留まっていたが、火焔はハッチや破孔を通って下に伸びようとしていた。
やがて、下甲板にも火が迫ってきた。
無線電信室の周囲に積み上げられていた石炭袋が燃え始めた。
これらは防護用に置かれていたものだが、それが仇となり、付近に放置されていた四十ミリ砲弾に引火する危険が生じてきた。
必死の消火作業の甲斐もなく、下甲板の火勢は衰えることがなかった。
この時期、バルチック艦隊の陣形は大いに乱れた。
スワロフが右に回転して、脱落すると、二番艦のアレクサンドル三世は、一時は旗艦に追随しかけたが、すぐその異常に気づき、先頭にたった。
そのため、日本側の集中射撃を受けることとなった。
たちまち、大火災を発して列外によろめき出た。
代わって、三番艦のボロジノが先頭艦の位置を占めた。
ところが、右に旋回中のスワロフが後続艦であるシソイ・ウェリーキーに突っ込んできた。
シソイは衝突を回避するため、増速して前進を続けた。
後続の戦艦ナワリンも慌てて、左十六点に転回した。
同じく衝突を避けるための措置である。
旗艦スワロフは危うく衝突を免れ、この両艦の間を通過した。
その直後、巡洋艦ジェンチュグが同じコースを突進してきた。
ジェンチュグは先頭艦護衛任務のため、旗艦スワロフの右前を航進していたが、旗艦の動きに追随して反転し、左側に付くこととしたのだ。
しかし、旗艦が隊列に突入するのを目撃し、異常事態をようやく察知したジェンチュグは
隊列を横断し先頭位置に復帰しようと試みたのである。
三笠は、ジェンチュグが自艦に突進してくるものと判断した。
三笠のマストに信号旗が掲げられた。
「左八点一斉回頭」
三笠はジェンチュグの水雷発射をおそれたのである。
時刻は、午後二時五十七分であった。

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ツシマ沖の海戦(その五十四)
2006-08-25 Fri 01:42
彼我五、六千メートルという至近距離での叩き合いでは、日本側にもかなりの被害が出た。
先ず、午後二時二十分の段階では、先頭艦である三笠が集中的に二十二発の砲弾を受けたが、他の艦の被弾は僅少であった。特に富士、朝日は無傷であった。
ただし、前述したように第二戦隊五番艦の浅間の被害は甚大であった。
右舷艦尾にある艦長寝室を直撃した十二インチ砲弾は、爆発の震動により前艦橋の舵輪の操作を不能とした。
浅間は左に回って列外に出たが、見る間に他の十一隻は海霧の壁の中に姿を消し、孤立したまま、敵の集中射を受ける破目に陥った。
ロシア側においては、オスラビアの被害が目立った。
ところで、重大な苦境を背負って、この海戦に参加していた。
オスラビアにおいても、おそらくは艦長、軍医、二人の伝令だけ、そしてロジェストウエンスキー提督にだけしか知られていないある秘密が存在していたからである。
それは、この艦を旗艦とするフェリケルザム少将のことである。
彼は、すでに二十五日の夜、他界していたのだ。
ロジェストウエンスキー提督は、それを将兵が凶兆ととることをおそれて、公表を
控えさせていたのだ。
少将の遺骸は正装に包まれて、艦内礼拝所の棺の中に安置されていた。
しかし、依然として彼の長官旗はオスラビアのマストに翻っていた。
戦闘開始の頃、針路前方に割り込んできたアリョールを避けるために、オスラビアがエンジンを落として、左舷へ旋回したことは、前にも触れた。
同艦は折しも新しい針路に入ってきた、上村中将の率いる第二戦隊の絶好の目標となったのである。
スワロフが既に集中砲火を浴びて炎上中であることを見てとって、上村提督はロシア第二戦隊の旗艦を最初の砲撃目標に選んだのである。
オスラビは不幸にも目立ちすぎたのである。
他のロシア戦艦とは異なり、三本の高い煙突を持ち、海上に殆ど停止しているこの戦艦ほど装甲巡洋艦六隻からる上村艦隊の嗜好をそそったものはなかったからである。
上村麾下の装甲巡洋艦は二十センチ砲四門と十五センチ砲を十二ないし十四門装備していた。
たちまち、オスラビアの上部構造はずたずたに切り刻まれてしまった。
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ツシマ沖の海戦(その五十三)
2006-08-24 Thu 00:52
午後二時四十五分、右折を試みているバルチック艦隊の背後に、別の日本艦隊が忍び寄ってきた。
笠置、千歳、音羽及び新高よりなる第三戦隊と浪速、高千穂、明石、対馬によって編成されている第四戦隊の巡洋艦群である。
バルチック艦隊の艦列は、先頭の戦艦列の右後方に巡洋艦部隊とそれが保護する特務艦船隊が続航していた。
日本側の両戦隊は、第三戦隊を東側、第四戦隊が西側に位置する二列縦陣を採っていた。
両戦隊は、そのまま敵を左舷に迎える反航戦に入った。
距離は七千八百メートル。
風波が激しく、艦の動揺もまた激しかった。
怒涛がしばしば艦内に雪崩込み、特に風上に向けて逆行する際には、艦首砲は激浪のために、殆ど発砲することができなかった。
反抗戦は短時間で終了し、第三、第四戦隊は、反転するとバルチック艦隊の後尾の右側に回りこんだ。
併航戦に持ち込んだのである。
午後二時四十五分、スワロフの艦上では、参謀クルイジャノフスキー大尉が、機関室へと小走りに急いでいた。
スワロフの舵が故障したのだ。
機関は正常に運転されている。しかし、舵を作動させる三本のシャフトが破損していた。
スワロフにおいては、二基の推進器の回転数を操作することによって、艦の進行方向を定めることは可能ではある。しかし、戦闘指令所から、その旨の指示を与えるべき電話は既に損壊していた。
クルイジャノフスキー大尉のもたらした命令に従って、傷ついた旗艦は、ようやく右十六点転回を終えた。
同じ頃、ロジェストウエンスキー提督は、目指す右舷中央六インチ砲の手前で昏倒していた。
左足の踵を弾片で粉砕されたのである。
付近にいた将兵が駆けつけ、数人がかりで中将の巨躯を砲塔内に引きずり込んだ。
間もなく覚醒した提督は、砲塔内の片隅の小さな箱に腰を下ろした。
中将は暫く周囲を見回していたが、やがて、「余の負傷は些細なものだ」、それにしても何故この砲塔は射撃をしていないのか、直ちに砲員を集めよ、と鋭い声で叱咤した。

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ツシマ沖の海戦(その五十二)
2006-08-23 Wed 00:00
スワロフは、中檣二本が折れ、十六隻の短艇は悉く燃え上がったことにより、中部甲板及び砲廓は火焔に包まれ、砲の大部分は使用不能となった。
戦闘開始からまだ十八分を経過したばかりだというのに、バルチック艦隊はオスラビアに続いて、スワロフまでもが、その戦闘中枢から離脱してしまうという大打撃を受けた。
バルチック艦隊は、依然として北東に針路を保っている。
その前方には日本連合艦隊の主力十二隻が、単縦陣で東に向かっている。
ロシア艦隊の速度は約九ノット、日本側のそれは十五ノットと優速である。
日本艦隊は少しずつ東寄りに進路を変え、相手方の頭を抑えるようにした。
そのため、バルチック艦隊の進路は自然と右に逸れ始めた。
砲戦は、午後二時四十分に至り、たけなわとなった。
両艦隊は五、六千メートルの距離を挟んで猛烈な砲火を交わした。
絶え間ない落下弾により海面は沸き立ち、爆煙は空を覆った。
海面は乳色の濛気が漂っていた。
それに多数の軍艦の吐き出す煤煙と爆煙が混じりあい、見通しは最悪となり、互いに敵影の識別が困難となった。
僅かにマストに翻る戦闘旗が認められるばかりである。
戦艦朝日には、英国の観戦武官w・ベケナム大佐が乗艦していた。
彼は、この場の状況を「奇妙な形のロシアの艦艇が煙の中からすっと現われたかと思うと、その名を確かめないうちにまたすっと煙の中に消えて行った」と、後に報告している。
やむを得ず三笠は発砲を中止した。
東郷は、彼の艦隊の針路を東南東に変更し、敵の右側に出ることにした。
日本艦隊の主力は、再び丁字型に敵の前面を押さえ込む形となった。
それに応じて、バルチック艦隊は針路を右側に曲げた。
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ツシマ沖の海戦(その五十一)
2006-08-22 Tue 01:44
 午後二時二十四分、スワロフの司令塔の庇の部分で大口径砲弾が炸裂した。
飛散した破片が覗き穴から塔内に乱入し、内壁沿いに何度も旋回した。
その凶暴な弾片の一群は、羅針儀を含めて備品を次々に破壊して回り、僅かに電話器と伝声管だけを無傷で残した。
司令塔内にはロジェストウエンスキー中将を始めとし、参謀長のクロング大佐、艦隊航海長ヒリポフスキー大佐、その他には士官二名と水兵が一人いたが、残らず傷を負った。
中将は額を割られ、背中と右足にも弾片を受けた。
参謀長は頭部に、航海長は右肩に破片が食い込んだ。
スワロフの艦内では、前部艦橋で発生した火災が、司令塔の背後にある海図室まで伸びてきて、室内の温度を耐え難いまでに上昇させた。
ロジェストウエンスキー中将は下甲板にある戦闘指揮所に移ることを決断した。
戦闘指揮所は数段下層にあることを除けば、その設備は司令塔と全く同じである。
そこからは電話と伝声管を使って艦内各所と連絡できるようになっている。
先ず、クロング大佐が司令塔を離れて、戦闘指揮所に向うこととなった。
前部艦橋の右側から下甲板に降りようとしたが、既にタラップは破壊されていた。
続いてロジェストウエンスキー提督が、「別命あるまで、現針路を維持せよ」と、言い残し司令塔を後にした。
航海長のヒリポフスキー大佐が残り、暫くの間指揮を代行することになった。
塔外に立った提督は思わず息を呑んだ。
 上甲板は一面の火の海であった。
この時の驚きを「本職は燎原の火中に投ぜられた思いがした」と、彼自身も回想している。
スワロフはその積載する十六隻の短艇にことごとく火が回ったため、中部甲板と砲廓がすっかり大きな火の塊に包まれてしまっていたのだ。
押し寄せてくる熱気に追われて、ロ中将は砲塔の背後にまわったが、突然驚いて飛び退いた。砲塔の壁に触った上着の袖口が焦げ、煙を発したからである。
中将はよろめく足を踏みしめながら、左舷中央の六インチ砲塔の方角を目指した。
しかし、吹き上げて来る炎と熱気に遮られ、その試みは僅か数歩で断念せざるを得なかった。おまけに熱気と煙を大量に吸い込んだため、やがて呼吸すらも困難になってきた。
意を決した中将は、今度は右舷の六インチ砲台を目掛けて歩み始めた。
熱気を払うために左右の腕を交互に顔の前で振りながら、中将はおぼつかない足取りを続けた。
その時、スワロフが大きく左右に揺れた。
中将はがくりと甲板に膝を落とした。
至近弾により彼の艦は舵機が故障したのである。
舵機の損傷は、直ちに司令塔内に留まって指揮をとっているヒリポフスキー大佐に報告された。
大佐は即刻、戦列を離れる決心をした。
電話機をとり「右十六点」の変針を機関室に命じた。
二基の推進器の調節により、艦の操作を行おうとしたのだ。
スワロフはゆっくりと右へ曲がり始めた。
時刻は、午後二時二十六分であった。

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<厚労省>保険事務一元化…
2006-08-21 Mon 00:05
届け出期限を08年度から変更

 厚生労働省は、労働保険料を決める民間事業所の総賃金の届け出期限(5月20日)を08年度から7月10日に変更し、社会保険関係の賃金届け出期限に統一する。社会保険と労働保険の徴収事務一元化の一環で、事業所の負担軽減が狙い。10月から各都道府県の労働局が事業所の収益をチェックし、労働保険の督促も始める。
(ヤフー・毎日新聞) - 8月20日21時47分更新から引用

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ツシマ沖の海戦(その五十)
2006-08-21 Mon 00:02
 すると、今度は艦尾の方角からより一層強烈な爆発音が轟いてきた。
振り向くと茸形をした爆煙が立ち昇っている。
その真っ黒な煙の柱を突き抜けて、砲塔の天蓋が舞い上がるのが見えた。
それは後部艦橋より高く上がると、後甲板に落下した。
 兵員が全員死傷したため放棄された後部六インチ砲塔に火が回り、弾火薬が誘爆したのである。
「本艦の末期も到来したのか」
気落ちしたセミョーノフ中佐は、呆然として、暫く立ち尽くしていた。
ところが、その直後、頭上に物凄い轟音が響き渡り、と、同時に鉄板の引き裂ける鋭い音がした。
次の瞬間には、鉄片が雨のように落下してきた。
周囲は濃密な黒煙に覆われた。
前部煙突が砲弾により破砕され、その爆煙と内部に溜まっていた煤とが混じりあったものが、辺りに立ち込めたのである。
 午後二時二十四分、スワロフの司令塔の庇の部分で大口径砲弾が炸裂した。
飛散した破片が覗き穴から塔内に乱入し、内壁沿いに何度も旋回した。
その凶暴な弾片の一群は、羅針儀を含めて備品を次々に破壊して回り、僅かに電話器と伝声管だけを無傷で残した。
司令塔内にはロジェストウエンスキー中将を始めとし、参謀長のクロング大佐、艦隊航海長ヒリポフスキー大佐、その他には士官二名と水兵が一人いたが、残らず傷を負った。
中将は額を割られ、背中と右足にも弾片を受けた。
参謀長は頭部に、航海長は右肩に破片が食い込んだ。
スワロフの艦内では、前部艦橋で発生した火災が、司令塔の背後にある海図室まで伸びてきて、室内の温度を耐え難いまでに上昇させた。
ロジェストウエンスキー中将は下甲板にある戦闘指揮所に移ることを決断した。
戦闘指揮所は数段下層にあることを除けば、その設備は司令塔と全く同じである。
そこからは電話と伝声管を使って艦内各所と連絡できるようになっている。
先ず、クロング大佐が司令塔を離れて、戦闘指揮所に向うこととなった。
前部艦橋の右側から下甲板に降りようとしたが、既にタラップは破壊されていた。
続いてロジェストウエンスキー提督が、「別命あるまで、現針路を維持せよ」と、言い残し司令塔を後にした。
航海長のヒリポフスキー大佐が残り、暫くの間指揮を代行することになった。
塔外に立った提督は思わず息を呑んだ。
 上甲板は一面の火の海であった。
この時の驚きを「本職は燎原の火中に投ぜられた思いがした」と、彼自身も回想している。
スワロフはその積載する十六隻の短艇にことごとく火が回ったため、中部甲板と砲廓がすっかり大きな火の塊に包まれてしまっていたのだ。
三笠の露天艦橋では、秋山参謀が手にしたノートに「目標ノ一番艦大火災ヲ起シ、夥シク黒煙ト紅焔ノ揚ルヲ見ル」と、書き込んだ。

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ツシマ沖の海戦(その四十九)
2006-08-20 Sun 00:00
レドキン大尉と別れてから、セミョーノフ中佐は、再び、司令塔を訪れることにした。
スワロフの司令塔内では、死がまたその勢いを増していた。
六人の戦死者の周りには備品が散乱し、床のあちこちでは小さな炎がチロチロと揺れていた。
 それは通視孔から飛び込んできた弾片の嵐の仕業に相違なかった。
 人々は恐怖に駆られて、出きる限り危険を避けようとして次第に身体を低くしていった。
 床に座り込んでしまった士官もいたし、膝を着いている者もいた。
ロジェストウエンスキー提督も片膝を床に落とし、頭を垂れていた。
 敵艦との距離を測ろうとしたベルセーエフ砲術参謀が測距儀を覗いた途端、額を打ち抜かれて床に転がった。
舵輪には戦死した二人の操舵兵に代わって幕僚のスウェルベーエフ大尉とクリジシャノフスキー大尉が取り付いた。
 舵桿(ギア)は死者の残した血潮でぬるぬるして手が滑りがちであったが、二人の大尉にはそれを気にしているだけの余裕はなかった。
 セミョーノフ中佐が再度、司令塔を訪れたのは丁度その時期であった。
中佐は腰を屈めて片膝を着いたままの司令長官の傍らににじり寄ると、レドキン大尉の意見を伝えた。
ロジェストウエンスキー長官は黙したまま、暫く中佐の顔を眺めていたが、やがて口を開いて、「火災を消すように。艦船にとって火は水より大敵である。ただし、ここより何の援助もできない」と、素っ気無い口調で、そう言っただけだった。
中佐の予想どおり一時撤退については一言も触れることはなかった。
失望した中佐は、そのまま司令塔を出てタラップを下りかけた時、頭上で轟音が響き渡った。
驚いた中佐が見上げると、そこには手摺に掴まって喘いでいる艦長イグナチュウス大佐の姿があった。
 顔面は鮮血で彩られている。
中佐が駆けつけて手を差し伸べると
「爆風で吹き飛ばされたが、たいしたことはない。ただ、少し眩暈がする」
 と、息を切らせながら呟いた。
中佐が見るところ、かなりの重傷である。 
中佐は直ちに附近にいた兵二名を呼びつけ、大佐を担架に載せて下甲板にある負傷者収容所へ運ばせた。

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ツシマ沖の海戦(その四十八)
2006-08-19 Sat 04:40
スワロフの甲板は炎を上げる破片と死体で満たされていた。
中佐がそれを避けるために、おぼつかない足取りで歩いていると、ちょうど向こうからやって来るレドキン大尉と出合った。
彼の硝煙で煤けた軍服には、点々とした血糊の跡が見受けられた。
どこにも負傷した様子はなかったので、それは味方の血を浴びたものと思われた。
「良いところで会いました。」と、大尉はかすれ声で話し掛けてきた。
「左舷の後部砲塔からは、もはや射撃は不可能です。砲塔の下は一面の火の海だ。これでは熱気と煙で皆窒息してしまいます。」
大尉は大きく肩で息をした。吸い込んだ煙を吐き出すかのように、二、三度咳き込んだ。
「この状況を長官に報告しては貰えませんか。長官はなんとか命令をくださるでしょう」
「しかし、この状況では、長官といえども命令のしようがないのではあるまいか」
中佐は頭を傾げた。
大尉は激しく咳き込んだ。そして、煙で真っ黒になった顔を多少しかめながら、何事か結心した様子で口を開いた。
しかし、結局のところは、「多分、コースの変更とか・・・・」と、言い淀んだだけに終わってしまった。
これ以上の交戦は断念して、速やかに圏外に離脱するよう司令長官に意見具申してくれというのが、その真意であろう。中佐は、そう推察し、もっともな言い分であると思った。
確かにこのまま前進すれば、我が艦隊は一方的に撃ちまくられるだけである。
しかし、部下の意見などには耳を貸したがらない、提督の性格を熟知しているだけに、
「さぁ、それは難しいだろう」と、二の足を踏まざるを得なかった。
大尉の煤で汚れた顔にさっと朱がさした。
「とにかく、長官に伝えてください。」と、語気が急に強まった。
今度は、流石に溢れ出る激情を隠そうとはしなかった。
「部下が死ぬのをただ見ているだけの戦いなど真っ平だ。司令長官なら、それぐらいは判る筈だ」
大尉は、まるで吐き捨てるように、そう言い放った。
大尉が歩き出しながら、別離の挨拶をした。
「ダスヴィダーニア(Досвидания)」
「ダスヴィダーニア」
中佐も左様ならを告げた。

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ツシマ沖の海戦(その四十七)
2006-08-18 Fri 04:36
同時刻、アレクサンドル三世、ボロジノ、アリョールの三隻は、火と煙に包まれながら、列外によろめき出ていた。それでも、新たに単縦陣を組みなおそうとする努力を示していた。
スワロフとオスラビアは明らかに脱落したのである。
午後二時二十三分、スワロフの前部十二インチ砲と六インチ砲との間に、双眼鏡を構えたセミョーノフ中佐の姿が見られた。
司令塔を出た中佐は、敵弾を避けながら、敵の様子を観察できる位置として、その場所を選んだのである。
中佐は双眼鏡を構えて、日本艦隊を眺めたが、一瞥後、暫し呆然とした。
東郷の艦隊は、整然とした単縦陣をとり、ロシア艦隊から見ると北西に当たる位置を航進していた。
「日本艦隊は、一隻も火災を起こすもののなければ、一隻の傾斜するものも無い。又一隻の艦橋を破壊されたるものも無い。」
中佐の第一印象である。
中佐の双眼鏡の鏡面には、四千七百メートルの彼方を第一戦隊三番艦フジの艦影が写っている。
艦上の兵員の動きまでがはっきりと視認できた。
なによりも、中佐の注意を引いたのは、マントレットの白さであった。
マントレットとは、弾片防護用に取り付けられた「釣床」のことである。
本来ならば、至近弾による爆煙混じりの海水によって汚染されているはずである。
それが「染み一つ見えない」のは、わが砲弾による影響を受けていない証左である。
敵の有様は、あたかも戦闘中であるとは見えない。教練射撃でも行いつつあるようにすら思える。
それに比べれば、スワロフの甲板には、熱した破片が散乱し、至る所で火災が発生している。死体は四散し、信号所、測距所、弾着観測所その他の上部構造はことごとくと言ってよいほど破壊されている。
中佐は残虐なる敵砲弾を呪い、かつ、味方の不甲斐なさを嘆き憤った。
「日本製の砲弾の威力の凄いことはよく分かる。それにしても、この砲戦の格差はどうしたことなのか?」
中佐は、思わず声に出して、そう言った。
わが砲は、砲弾を発射せずに、得体の知れぬ異物を発射しているとしか思われぬ・・・。
中佐は、絶望にも近い気持ちに捕らわれ、今度は艦尾の方へ足を向けた。
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ツシマ沖の海戦(その四十六)
2006-08-17 Thu 04:02
午後二時十六分、三笠は六発目の命中弾を受けた。
六インチ砲弾である。
この頃になると、三笠の弾着も頗る良好となり、その様子を三笠の戦闘詳報は「敵の一番艦スウォーロフニ命中シテ爆煙ノ揚ルモノ、一再ニ止マラズ」と書き留めている。
砲術長安保少佐は、艦内の弾薬庫、機関室などにいる、外部の状況が分からぬ将兵たちの士気を鼓舞するために、盛んに伝令を走らせ戦況を伝えた。
「今、押すとピシャが傾いたぞ」
日本艦隊においては、ロシア語に不慣れな兵員のために、ロシアの艦名を日本語の語呂合わせで覚えさせていた。
この場合の、「押すとピシャ」とは「オスラビア」のことである。
ここに小さなエピソードが残っている。
安保少佐が、何度目かの敵情報告のために、
「只今、三笠の十二インチ砲弾が,襤褸出ろに当たったぞ」
と、叫んだときことである。
傍にいた東郷大将が、含み笑いをしながら、
「砲術長、今んなぁ、当たっちゃおらんど」と、言った。
「はあ、只今のは、実は激励のために申しましたので・・・」
少佐自身にしても、三笠の一弾は「ボロジノ」への至近弾であったことは視認していたのである。
「そいなら、よか」
東郷大将は、小さく笑って頷いた。

午後二時二十分、ロシア艦隊は、既に凄まじい惨状を呈していた。
旗艦スワロフのマストは折れ、艦上は火炎に包まれていた。
安保少佐が叫んだとおり、オスラビアは左舷に十二度傾斜して、戦列外によろめき出ていた。船体には蜂の巣のような破孔が目立ち、煙突には無数の裂け目が走っていた。
前部砲塔は崩れ落ち、大檣は丁度半ば辺りで折断されていた。
水線部の弾孔から海水が奔入し、艦内至る所に火災が発生していた。
上部前艦橋も破壊された。
ここに備え付けられていた測距儀の側には、数名の兵員とそれを指揮する一人の大尉が配置されていた。
砲弾が破裂すると、一同は跳ね飛ばされ、それぞれ酷い傷を負わされた。
胸を引き裂かれた、ポレッキイという名のこの大尉は、「イズモ、巡洋艦イズモ」と、自艦を痛めつけた敵艦の名前を呼び続けた。
そして、その直後に絶命した。
上甲板前部の六インチ砲が破壊された。
三発の砲弾がほぼ同時に命中したのだ。
装甲板がずり落ち、大砲は砲架から吹き飛ばされた。
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ツシマ沖の海戦(その四十五)
2006-08-16 Wed 04:04
セミーノフ中佐が瞠目した日本製砲弾の性能は、内蔵された「下瀬火薬」によるものであった。
このことは前にも触れたが、下瀬火薬の本体は「純ピクリン酸」であった。
ヒクリン酸は、鉄などの重金属に触れると鋭敏な化合物を生成する性質があるため、弾体は鋳鉄にし、その内側には漆が塗布されていた。
さらには、ピクリン酸をフランネルの布袋に包んで収容していた。
しかし、飛行中に圧縮による発熱作用が働き、接触するやいなや、信管の作動を待つことなく自爆する欠点を有していた。
その性質は、英国型の上部構造と兵員を殺傷する鍛鋼榴弾とも異なっており、むしろ焼夷弾に似て、炸裂すると非常な高熱を発した。
その爆発は、短艇、支柱、スクリーン、敷板、釣床、塗料、その他可燃性の物は全て焼き尽くすという猛威を振るった。
火災は頻発し、ロシア側には煙とガスにより窒息する兵員も出たほどであった。
スワロフの甲板上は、酸鼻を極めていたる
遠近を問わず敵弾は破片となって、間断なく天窓を超えて砲廓を脅かし、木屑、煙、水流を注ぎ込み、敵弾の命中・爆発による喧騒は乗員の耳を弄した。
立ち込める硝煙と火災の煙により視界は極度に妨げられた。
中佐は、血溜まりに足を滑らせた。その血は、ほんの一、二秒前まで活発に走り回っていた一等信号兵の四散した身体から溢れ出たものであった。
セミョーノフ中佐は、甲板上に転がっている死体を避けながら、ようやく前部艦橋にたどり着いた。
司令塔の中にも、飛散した破片を受けた血まみれの死体が二体横たわっていた。
士官作業衣を纏った操舵手と旗艦砲術長であった。
しかし、測距儀を操作している士官は大声で命令し、それを受けた電気係の兵曹たちはハンドルを回して、各砲塔へデータを伝えていた。
その様子は、中佐を安堵させた。
「まだ、少なくとも正しく動いている事実がここにある。」
司令長官ロジェストウエンスキー提督は、通視孔から敵情を凝視していた。
その時、側に立つ艦長イグナチュウス大佐が、提督に上申する声が中佐の耳に入った。
「閣下、敵弾が多すぎます。距離を変えたらいかがですか・・・」
「待ちなさい。味方も撃っている。」
セミョーノフ中佐は、呑気なものだと内心呆れた。
狭い覗き窓から前方を見つめているだけの塔内での指揮が、酷く現実離れして見えたからである。
中佐は、提督に話しかけることを断念して、再び司令塔を後にした。
午後二時二十分過ぎのことである。

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ツシマ沖の海戦(その四十四)
2006-08-15 Tue 00:20
甲板に打ち付けられ失神したセミョーノフ中佐は、間もなく意識を回復した。
握り締めていた懐中時計の針はまだ時を刻んでいたが、ガラス蓋は失われていた。
中佐は、四つん這いになって甲板を這いまわり、ガラス蓋を探した。
やがて、それが壊れずに落ちているのを見つけて、元通りに付け直した。
中佐は、そこではっと覚醒した。
「何のために、私はかかる瑣末なことに携わっているのか」
中佐が気を取り直して立ち上がると、付近の六インチ砲台から顔を覗かせたレドキン大尉が声を掛けてきた。
「中佐、あなたは、こんな場面には慣れているのでしょう。八月十日と同じですか?」
「全く、同じだ」
中佐は応えたが、心の中では全く違うと叫んでいた。
セミョーノフは後に記している。
「八月十日の戦いでは、数時間も続いた戦闘で、「ツェザレウィッチ」には、大型砲弾が十九発しか命中しなかった。だから、私は、今度の戦闘では、本当に大真面目に、被弾の場所と時間、被害程度を記そうとしたのである。しかし、われわれに命中した砲弾の数すらも数えられないような状態で、どうして正確で詳しい記録がつけられようか?
わたしはこれまで、こんな凄い砲撃を見たこともなければ、想像したことすらなかった。砲弾は絶え間なくわれわれに降り注ぐようにみえた。」
日本側の砲撃の与える凄まじい破壊効果について考察したとき、セミョーノフ中佐は戦慄した。
これは日本の火薬の中に何らかの新成分が含まれているのではないかと、思い及んだのである。
その新成分のためか、爆発と共に付近一帯にすぐ火災が発生するのである。
彼は、爆発によって鋼板が燃えるのを、事実のその目で見たのである。
無論、鋼が燃えるはずはない。
鋼板に塗られた塗料が燃えるのである。
不燃性の物質であるはずのものが、水浸しにされたハンモックや木箱と同様にたちまち燃え上がるのだ。
セミョーノフ中佐は、熱せされて揺れ動く空気の中では物が歪んで見えることに気づいていた。それも眼鏡越しなら、なおさらのことだ。
「まるで、違う。八月十日とはまるで違う」
中佐は、司令塔へ行ってみようと考えた。
「みんな気のせいだろうか?
それとも悪夢でも見ているのだろうか。」
自分は怖気づいたのではなかろうかと、妙な気分に苛まれながら、中佐はヨロヨロと覚束ない足取りで、甲板を歩んで行った。

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ツシマ沖の海戦(その四十三)
2006-08-14 Mon 00:03
ここで、少し時間を遡ることをお許し願いたい。
スワロフの後部艦橋でセミョーノフ中佐とレドキン大尉が、味方艦隊の無駄弾の多さに、双眼鏡を手にしたまま慨嘆を繰り返していたのは、午後二時十分のことである。
この時点において、日本側の砲撃が始まり、試射と思しき遠弾が飛来した。
直径三十センチ、長さ一・二二メートルの日本製の砲弾は、ロシアの兵員から「チェモダニ」と呼ばれていた。それは、旅行カバンに似た形状に由来する命名であるが、その巨大な砲弾が、くるくる回りながら飛来する様子は、肉眼でもはっきりと認めることができた。
問題の砲弾がすすり泣きのような奇妙な音を立てながら頭上を通過すると、レドキン大尉がにっこりとしながら中佐に尋ねた。
「あれが、例のチェモダニですか?」
「そう、あれがそうだ」
メミョーノフは応えた。
暫く近弾が続いたが、チェモダニは恐るべき性質を秘めていた。
それは水面に着弾しても必ず破裂して、破片をスワロフに降り注いだ。
破片は空中で音を発しながら、舷側といわず上部構造といわず容赦なく打撃して、大音響を立て、スワロフ乗員の耳を聾した。
最前部煙突のすぐ近くに煙と水と火炎の柱が立ち上った。
救急班の兵員が担架を持って駆けつけた。
至近弾により負傷者が出たのだ。
直撃弾が間もなくやってきた。
次弾は、中央十五センチ砲塔間近の舷側に命中した。
砲弾は聖堂横の仮包帯所に飛び込み炸裂した。
衛生員十数人が即死し、隣接する聖堂にいた従軍牧師が傷を負った。
士官用の舷門から煙と火炎が恐ろしい勢いで噴出した。
続いての一弾は、艦長室に落下し、甲板を貫通して、士官室で炸裂した。
火災が発生した。
消火配置についていた水兵たちは、皆呆然自失の態で、ただ突っ立ったまま煙と火炎を眺めているばかりであった。
セミョーノフ中佐は、持ち場へ帰るレドキン大尉の後について、タラップを駆け下りると、消火隊員に駆け寄った。
「ぼやぼやするな。水を出せ」
セミョーノフ中佐が叱咤した。
しかし、その直後、中佐は失神した。
司令塔横を直撃した一弾の発した爆風により、中佐は甲板になぎ倒されたのである。

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ツシマ沖の海戦(その四十二)
2006-08-13 Sun 00:00
 ロシア側も撃ちに撃った。
その矢面に立たされた三笠は、続けざまに被弾した。
その数は午後二時二十分頃までに十二弾の多きを数え、特に前部艦橋の下に命中した十二インチ砲弾による被害は甚大であった。
 そのロシア製の砲弾は、右舷の兵員厠外の鉄板を貫通して、内壁で爆発を起こした。
爆風はその辺りの兵員を薙ぎ倒しただけで収まらず、爆発に依り生じた無数の破片は、司令塔内にまで飛び散り、参謀飯田久恒中佐と水雷長菅野勇七少佐を傷つけ、同時に下士官兵二名を吹き飛ばした。
更には、前部艦橋に飛び込んだ別の破片が、そこに居合わせた副長の松村龍雄中佐、参謀の清河純一大尉らに傷を負わせた。この一弾による三笠の被害は実に十七名に及んだ。
 更に驚くべきは、この弾の破片の一個は、露天甲板の床を突き破り、中央羅針盤を防護していたマントレットの一つを切り裂いた。弾片は危うく、そのマントレットの中に止まったが、もし飛び出していたら、すぐ横に立っていた東郷も少なくとも負傷は免れなかったことであろう。強運の持主と評すべきである。
三笠の被弾状況をやや詳細に記すれば、午後二時十分の初弾に続いて、十二分には六インチ砲弾による第二弾から、二十分に至っては続けざまに四発の命中弾を数えることとなった。被害は死者四名、負傷者四十四名にのぼった。
付け加えれば、この十分間には他の日本軍艦は一発も被弾していなかった。
しかし、この状況は、その時点ではロシア側には認識されていなかった。
というのも、ロシア艦隊の使用した砲弾は、二重信管付の徹甲榴弾であり、敵艦の外部鋼板を貫通して内部で爆発する仕組みになっている。
したがって、命中しても爆煙も火炎も敵艦内部に籠ってしまい、ただ破片の四散によって判定する以外に方法はない。
貫通力に重きを置かれているこの種の砲弾は、海中に落下すれば不発のことが多く、それが仮令、至近弾であったとしても日本軍艦に損害を与えることはない。
また、煙突などの非装甲部分に命中した場合には、ただ突き抜けるだけで大きな被害をもたらすことはない。
それに比べれば、鋭敏な伊集院信管を装備した日本製の榴弾の場合には、ただ海面に激突しただけで破裂し、黒煙交じりの水柱とともに、破片を敵艦に浴びせかけた。

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ツシマ沖の海戦(その四十一)
2006-08-12 Sat 00:00
ロシア側に続いて日本艦隊の砲撃が開始されると、
ツシマの海は劫火で覆われた。
彼我の砲弾は水面に落下し、あるいは敵の舷側に砕けた。
黒褐色の硝煙が海面を覆い、閃光がその間を迸った。
殷々たる砲声が怒涛に木魂し、数百の砲弾が両艦隊の間を飛び交い天も海も晦冥した。
日本製の砲弾は、炸裂すると細かな破片となって飛び散り、火焔と淡黄色の煙を辺りに撒き散らした。
日本艦隊が放つ鋳鉄榴弾は、海面に落下しても爆発し、黒い水柱を吹き上げた。
その高熱により鉄板に塗ったベンキすらもたちまち燃え上がった。
六隻の敵戦艦の標的と化したスワロフには、砲弾が驟雨のように落下した。
司令塔の覗き穴からも弾片や木片が飛び込んできた。
砲弾が破裂するたびに、司令塔の壁が音を立てて震えた。
司令塔の内部にいた者は皆竦みかえり、装甲板の陰に隠れたり、甚だしいのは司令塔から甲板へ逃げ出した者すらいた。
ロジェストウエンスキー提督も身体を低くして、跪いていた。
じっとして動かなかったのは舵輪や測距儀を前にした兵員たちだけであった。
六インチ砲弾が司令塔の装甲板を直撃したが、被害を与えることはできなかった。
しかし、それが起こした物凄い振動は、司令塔内の時計の針を止めた。
ロシア艦隊の砲撃音と、敵弾の炸裂音とに、鉄板の破壊される轟音とが混じりあい、まるで天上で巨人が大太鼓を打っているような轟きとなって、スワロフの艦体を絶えず震わせ続けた。
戦闘は併航陣形で進行していた。
海上には硝煙と霧とが縞模様を作り、視界を遮っていた。
それが時折、風に吹きとばされると、灰色の空を背景にした日本軍艦がぼんやりと浮き上がって見えた。
単縦陣を組んだ日本艦隊は、稲妻のような砲火を吐き続けながら整然とした航進をしていた。

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ツシマ沖の海戦(その四十)
2006-08-11 Fri 06:25
日本艦隊の熾烈な砲火は、オスラビアに集中した。
艦首の錨鎖孔附近に命中した砲弾は、錨索を引き千切り、錨を海中に叩き落した。
停止したままのオスラビアに、次々と回頭を終えた第一戦隊の各艦は砲弾の洗礼を浴びせ掛けた。
耐えかねたオスラビアは、前進を開始した。艦尾の三枚の推進器がようやく海面を泡立たせ始めたが、既に、その頃には、既に艦首の前部の左舷の水線際には大きな破孔が生じており、そこから奔入した海水は居住甲板にある兵員室を水浸しにした。さらに甲板に開けられた大きな弾痕から流れ込んだ水は、左舷前部の弾薬庫を通り、そのまま前部発電室や水雷発射室まで及んだ。
 オスラビアは左舷にゆっくりと傾き始めた。
艦内の送電幹線が砲弾により切断された。
その結果、前部十インチ砲塔が動かなくなった。
たった三発しか発射していないこの砲塔は、既にその機能を失っていたのだ。
整備兵たちが電線を繋ぐための応急措置を施したが、それも間もなく無用の努力と化した。
着弾した日本製の二発の巨弾の爆発によって、砲塔の装甲板は突き破られ、滑車輪からずれ落ちた砲塔は二本の砲身を奇妙な角度に捻じ曲げたまま息絶えたのであった。

午後二時二十三分、スワロフの前部十二インチ砲台と六インチ砲台との中程の場所に、双眼鏡を構えたセミョーノフ中佐の姿が見られた。
彼は日本艦隊を観察するために上甲板に出たが、そこは破壊された構造物の破片で、足の踏み場もないほどの惨状を呈していた。
 信号所、測距所、弾着観測所などほとんどの上部構造物は破壊尽くされ原型を失っていた。
彼は艦首の方へ行こうとしたが、火災に行く手を阻まれ、足元に四散する死体に神経を使わなければならなかった。
奇怪に捻じ曲がった鉄板の間をすり抜け、熱して炎をあげる破片を慎重に避けながら、ようやく右舷側に出ると、前部十二インチ砲と六インチ砲の間から日本艦隊が見えた。
 セミョーノフ中佐は唖然とした。そこには、最初眼にした時と全く同じ姿の日本艦隊がいたのだ。
 その驚きを、セミョーノフ中佐は後に、
「一隻ノ火災起スモナケレバ、一隻ノ傾斜スルモノモ無ク、又一隻ノ艦橋ヲ破壊セラレタルモノモナシ」と、記している。
 彼等にとっては、これは戦闘ではなく、単に、射撃訓練なのではあるまいか・・・。
 中佐の慨嘆は悲痛なものであった。
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ツシマ沖の海戦(その三十九)
2006-08-10 Thu 02:53
二時七分、「針路東北東、ヨーソロー」と、伊地知艦長が号令を発した。
二時七分二十秒、砲術長の安保少佐が、右舷側にその姿を顕し始めたスワロフまでの距離と苗頭を測定し、各砲台に伝えた。苗頭とは左右の修正、つまり方位のことである。
 二時十分になって、東郷が「射撃開始」を命じた。
「撃ち方始め」のラッパが鳴り響いた。
三笠の前部砲塔の三十センチ主砲がスワロフ目掛けて試射された。
その反動で艦体がズシンと横揺れした。
この時、彼我の距離は僅か六千四百メートルにまで詰まっていた。
同じ頃、敵の六インチ砲弾が三笠の無線電信の垂直線を切断して飛び去った。
それとほぼ同時に、二番艦敷島が射撃を開始した。目標はオスラビア、距離は六千八百メートルである。
一分後、回頭を終えたばかりの三番艦富士が、同じくオスラビア目掛けて六千二百メートルを隔てて初弾を発射した。
 更に一分後、四番艦朝日が砲撃に参加した。目標はスワロフ、距離は七千メートル。
 同時に五番艦の春日がオスラビアを砲撃、距離は五千八百メートル。
これと時を殆んど同じくして、第二戦隊の殿艦磐手が、待ちきれぬかのように初弾を八千五百メートル先のオスラビアに送り出した。無論、磐手は回頭点には未だ程遠い位置にあった。
 午後二時十五分、第一戦隊の最後尾艦日進が目標のオスラビアに距離五千八百メートルで発砲、続いて回り込んで来た第二戦隊の先頭艦出雲も八千メートルの距離から同じくオスラビアに第一弾を送り込んだ。
 このようにして、午後二時二十分頃までには、連合艦隊の主力十二隻全てが敵前回頭を終了し、逐次戦闘に参加していった。
 連合艦隊の主力各艦は、右舷側の主砲、副砲併せて百二十七門の砲口をスワロフとオスラビアに集中させていたことになる。
見る間に、オスラビアの司令塔を囲む艦橋に大火災が発生した。
艦の前部には数箇所にわたって破口が生じた。
日本側の砲撃がオスラビアに集中する原因となったのは、前に述べたように、この艦が未だ船腹を日本艦隊に向けたままで停止していたからであった。
三笠の前部露天艦橋では、秋山参謀が手にしたノートに「オスラビア傾く」と、書き込んだ。
午後二時十八分頃のことである。
オスラビアは排水量一万二千六百八十三トン、速力十八・五ノット、出力一万五千馬力、主砲として二百四十五mm連装砲二基を持つ新鋭戦艦であった。
この長船首楼を有するフランス式の戦艦は、傾斜時の復元性に問題を抱えていた。
さらに、舷側装甲帯の喫水線上の部分の幅が小さいことから、防御力にも疑問が呈されていた。
三笠の後方には、依然として十一隻の整然とした単縦陣があった。
午後二時二十分、三笠は全艦が回頭を終えたことを確認したので、針路を北六十七度東に定めた。
これでロシア艦隊の左前方を同航する態勢に入ったわけである。
ロシア側の砲撃は主に三笠に集中した。
海面に落下した敵の砲弾が巻き上げる水柱は、三笠の前部艦橋を遥かに越える高さにまで立ち上がり、やがて崩れ落ちた。
その立ち並ぶ水柱の林を掻き分けるようにして、三笠は航進した。
飛沫が絶えず、東郷の立つ露天艦橋にも降りかかり、時には、彼の倍率十二の自慢の双眼鏡を濡らした。
東郷はその度にポケットから小さな布切れを取り出しては、丁寧にレンズを拭った

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ツシマ沖の海戦(その三十八)
2006-08-09 Wed 00:22
戦艦スワロフの司令塔内は、身動きもままならぬほどの人数で溢れていた。
提督ロジェストウエンスキー中将の側には,艦隊幕僚長のクラピエ・ド・クロング大佐が控えており、艦長イグナチュウス大佐、砲術長、航海長、当直将校等が詰め掛けていた。
その他に二名の参謀、水雷、砲術、航海等の特科参謀、舵輪の傍には操舵手が二名立っており、左隅では測距手が測距儀に取り付いていた。
電話口と伝声管の前には、それぞれ待機する伝令兵の姿があった。
おまけに、入り口には信号手と伝令が待ち構えていた。
司令塔は、一サージェン半の広さを持つ厚さ十インチの装甲板を鎧った円筒状の構造物である。前面の壁には、丁度立っている人の顔辺りの位置に、横に細長い隙間が作られており、そこを通して敵状が観察できるようになっている。
この時、戦艦スワロフの司令塔内は静寂に包まれていた。
話し声も絶え、皆が息を殺して、これから起きる試練の時について頭を廻らせていた。
大柄な提督は、腰を屈めた窮屈そうな姿勢で、双眼鏡をその隙間に押し当てていた。
午後二時七分、敵艦隊は、スワロフの横前方で転回し始めた。
敵旗艦ミカサは、十六ポイント向きを変え、後続艦もそれに倣った。
「トーゴー狂したり」スワロフの幕僚の一人が叫んだ。
ロジェストウエンスキー提督も一瞬、その目を疑ったが、同時に欣喜した。
「これこそ神のご加護である。幸運なり。余の心臓は高鳴った」提督は第一印象をそう語っている。
「これはトーゴーの自信ある断行であろうか、それとも誤断によるものであろうか。」
提督は、暫くは敵将の内心を忖度したが、脳裏の一端では素早くトーゴーの艦隊の弱点を計算していた。
敵は約二・八カイリに及ぶ単縦陣で航行している。仮に敵艦隊が最大速度十六ノットで回頭したとしても、完了までには少なくとも十分間は要するであろう。敵は転回点において、連続して動かざる一点を形成する。
その間に我が艦隊は、敵との距離を一・五カイリ詰めることができる。
「黄金の十分間である。」
中将は胸に十字を切って、感謝の祈りを捧げてから、クロング参謀長に「砲撃開始」を命じた。

この大胆な東郷の敵前大回頭は、戦艦朝日に乗艦していた英国観戦武官ベケナム大佐をも驚かせた
彼は、その感想を「日本艦隊の回頭はこれ以上悪いものはない、と思わせるものだった。五、六分は続くとして、このとき日本の運命は先頭の数艦にかかっていたのだ」と、後に記している。

午後二時八分、スワロフが轟然と火蓋をきった。
同艦のマストには「1」を示す信号旗が翻った。
目標は敵の先頭艦の意味である。
第一部隊の他の戦艦も砲撃に入った。
「ツシマ沖の海戦」の開幕であった。

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ツシマ沖の海戦(その三十七)
2006-08-08 Tue 00:36
午後二時七分、スワロフの後部艦橋では、レドキン大尉が右隣に立っているセミョーノフ中佐に、
「一体これは何だ。日本人たちは何をしようとしているのだ」
と、叫んだ。
彼が訝ったのも、無理はなかった。
その時、ミカサの艦首は左に大きく孤を描き、二人の眼前で日本の先頭艦はロシア艦隊にその横腹を曝そうとしていたのだ。
その瞬間、セミョーノフ中佐は、日本艦隊は味方の前面に横陣を敷くつもりだと、直感した。
もし、そうだとすると、
「トーゴーは、トラファルガーの戦史を学んではいないのだろうか」
彼は、思わず肥った身体を揺すりながら嘆声を漏らした。
一八○五年、スペイン南端のトラファルガー岬沖合いで、歴史に残る一大海戦が行われた。
ネルソンの率いるイギリス艦隊二十七隻は、ウィレニューブ提督の配下のフランス・スベイン連合艦隊三十九隻と激突したのだ。
横陣に布陣して待ち構える両国艦隊に、ネルソンは一列縦陣を組んで突進していった。
五時間に及ぶ戦闘の末に、ネルソンは壮烈な戦死を遂げた。
「イギリスは各員がその義務を果たすことを期待する」の信号で始まったこの決戦は、苛烈な戦闘となり、先頭艦であるネルソンのヴィクトリー号も接舷戦に突入した。その最中、ネルソンは、敵の狙撃兵の銃弾を肩に浴びた。
その弾は、彼の肺を貫いて大動脈を破り、さらには脊髄をも打ち砕いた。
ハーディ艦長に抱き起こされたネルソンは、「神に感謝す、余は義務を果たした」と呟いた。
しかし、彼の戦いはまだ終わってはいなかった。
治療室に運ばれたネルソンは苦しい息の下から。三時間も命令を出し付けたのだ。
そして、ついに息絶える。
しかし、英国艦隊は指揮官の死を無駄にしなかった。
フランス・スペイン連合艦隊は壊滅した
一方、レドキン大尉の方は小躍りしていた。
「いや、その前に撃破できるではないか」
日本艦隊十二隻は、いま回頭しつつあるミカサを先頭にして、単縦陣を組んで航行している。ということは、後続艦は前の艦が回転した場所に来ては同様な運動を繰り返していくことになる。したがって、この回転位置における日本軍艦は、一個の動かざる点と化することになる。固定した標的を撃つようなもので、それ以上の好都合はない。
「トーゴーのやり方は無茶だ。こんな乱暴なことをしていれば、今に先頭のミカサから順に一隻ずつ撃沈されてしまうぞ。そうでしょう、中佐」と、レドキン大尉は、上機嫌で、セミョーノフ中佐の肩を叩いた。
しかし、八月十日の激戦の経験を持つセミョーノフ中佐は、若いレドキン大尉ほど楽観的にはなれなかった。
「神よ、われわれにそれをなささせ給え」
中佐は心の中で祈った。


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政管健保の保険証に臓器提供欄新設
2006-08-07 Mon 15:19

 厚生労働省は、臓器移植のドナー(提供者)を増やすため、来年1月以降に交付する政府管掌健康保険(政管健保)の保険証に、臓器提供の意思表示欄を設けることを決めた。
 保険証の裏側に、心臓や肺、肝臓などの臓器名を印刷し、脳死や心臓停止となった場合に提供してもよい臓器に印をつけてもらう。提供はあくまでも任意である旨を明記し、印をつけた後に考えが変わった場合は新たな保険証を再交付する。
(ヤフー・読売新聞) - 8月7日14時42分更新から引用

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ツシマ沖の海戦(その三十六)
2006-08-07 Mon 00:15
 そのとき、東郷が動いた。
東郷の右手が高く天を指し、そのまま左へ半円を描いて振り下ろされた。
左やや後に控えた加藤が、東郷に何事か囁いた。
東郷が頷いた。
「艦長、取舵一杯」
加藤が叫んだ。
その甲高い声は、伝声管を通じて、羅針艦橋にいる伊地知を驚かせた。
「取舵になさるのですか」
伊地知が思わず問い返すと、
「左様、取舵である」
と、加藤が、伝声管に応えた。
たちまち、三笠の巨体がギシギシと音を立てて軋みながら左舷に傾き、艦壁を駆け上がって来た波頭が、前部甲板を洗い始めた。東郷は彼の艦隊の針路を反転して、ロシア艦隊との同航戦に移るよう命令したのである。
三笠は円を描いて左に十四点四分の一(約百六十度)回頭し、東北東の針路に乗った。
午後二時五分のことである。
後続艦はこれに倣い、同一地点に達すると、次々に左へ旋回した。
敵の先頭を扼し、強引に同航戦に誘いこむ、いわゆる「丁字戦法」が実行されたのである。
この敵前における大回頭は、後に「トーゴーターン」の名で各国海軍関係者の間で評判となった。
ただし、海軍戦術の原則としては採用しがたい、というのが大方の感想であった。当時、戦艦の主砲の射程は約一万五千メートルであった。
その射程内で、自らの長大な横腹を曝しながら、悠々と回頭するというこの戦術は、東郷の手でたまたま大成功をおさめたものの、戦術原則として採用するには、余りにも投機的過ぎる、というのがその主な理由である。東郷の艦隊が、この運動を終了するには、艦隊速度を一五ノットとしても、約十五分を必要とする。その間に、各艦は同一の回頭点に至っては次々と左転を繰り返すわけであるから、直進してくるロシア艦隊から見れば日本の主力艦はまるで、その一点で止まっているかのように見えるはずである。
ロシアの射撃可能な全艦砲はその点にのみ照準を指向すれば、あたかも静止目標を撃つかのごとく、一艦ずつ撃破できるはずである。
「敵が初めて火蓋を切ったのは、午後二時八分であった。その後、敵の各艦が猛烈に射ってきた。この最初の三、四分の間に飛来した敵弾の数は少なくとも三百発以上であろう」
秋山参謀の後日談である。
ロシアの第一弾は、三笠の艦尾三十メートルの海面に落下した。
それは、十八メートルに及ぶ水柱をあげた。
続く至近弾の一群により、三笠の艦体は水柱に包まれ、後続艦の視界から姿を消した。
Scan10012.gif

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ツシマ沖の海戦(その三十五)
2006-08-06 Sun 03:01
午後二時二分に至り、測距儀を覗き込んでいた長谷川清少尉が、「距離は八千五百メートル」と、大声で告げた。
砲術長の安保清種少佐は焦った
何しろ、敵を目前にして居るにもかかわらず、どういう陣形で戦うのか、東郷の指示が一向に下されないのである。
「私は気が気ではなかったのです」後になって彼自身がその時の心境を率直に吐露している。
戦闘は七千メートル以内でやるものだ。そこまで踏み込まなくては砲火の効果は上がらない。これが予てからの東郷大将の持論である。無論、安保もそのことは十分承知しており、本日の海戦が思い切った接近戦になることについて、覚悟の臍は固めていた。しかも、東郷大将は、基本戦術として、敵艦隊の針路を扼する「丁字戦法」を採ることを示達している。
しかし、海上に漂う濛気の悪戯のせいか、彼我の接近は思いのほか速く感じられ、敵影がはっきりした頃には、もう近くに来ているという具合であった。
「八千五百メートルであります」
安保は思わず、言わでもがなの大声をあげてしまった。
東郷は無言であった。
ただ、加藤参謀長が振り返り、蒼白な顔色で
「砲術長。ひとつ君がスワロフまでの距離を測ってくれまいか」と、言った。
早朝から続く激烈な胃痛と戦いながらであったが、その口調は静かであった。
それにしても、奇妙な頼みではあった。
スワロフまでの距離といえば、たった今、長谷川少尉が報告したばかりである。
安保の苛立ちを和らげようとしたのか、それとも一層の慎重さを期する加藤本来の性癖のせいか、その真意を推し量る余裕もなく、安保は弾かれたように,後方に下がった。
そして、位置に着いていた長谷川少尉を押しのけるようにして入れ替わると、測距儀にそそくさと両眼を押し当てた。
その途端、安保の口から「もはや八○(ヤァマル)」と、驚愕にも似た叫びが発せられた。
続いて、「どちら側で戦をなさるのですか」と、怒鳴った。
東郷の艦隊は、艦橋にいる砲術長がその艦全体の砲火を指揮するという当時としては最新の「統一照尺による射撃法」を採用していた。
三笠に積載されている全砲台が必要とする発射の諸元すべては、かまえて安保一人の計算に係っている。
左舷で戦うのか、それとも右舷で迎え撃つのか、当時の海戦の基本要素とでもいうべき、その指示を一瞬でも早く東郷の口から引き出したかったのである。
その耐え難いまでの焦燥感が、安保ともあろう者をして、日頃の挙措を失わせてしまったのである。

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ツシマ沖の海戦(その三十四)
2006-08-05 Sat 06:12
ここで、唐突ながら、「丁字戦法」なるものに触れておきたい。
東郷がバルチック艦隊を迎え撃つにあたって用いた戦法は、いわゆる「丁字戦法」といわれたものであった。
ここに、連合艦隊戦策なる小冊子がある。これは、明治三十八年一月、東郷大将が連合艦隊に所属する全兵科将校に配布したものであるが、その中には、「丁字戦法」に関して次のように記されている。
「第一戦隊は、もっとも攻撃しやすき敵の一隊を選び、その列線に対して(丁)字を描き、なるべく敵の先頭を圧迫するごとく運動し、かつ、臨機適宜の一斉回頭を行い、敵に対し丁字形を保持するにつとめんとす」
過ぐる黄海海戦も、この戦策に基づいて行われた。
この丁字戦法の考案者については、諸説が入り乱れている。
作戦を担当している秋山真之参謀であるという説が多いが、秋山一人が創出したものではあるとは必ずしもいえない。
現に、東郷も明治三十三年、日本海軍の基本戦法として軍令部に対して、その採用方を上申している。
東郷は、若い頃から戦史の研究に熱心であった。
呉鎮守府に勤務していたとき、しばしば大三島神社を訪れ、中古水軍の戦術についての調査を行っている。大三島神社と言えば、水軍の兵法書が納められていることでも知られている社である。
東郷は語っている。
「例の丁字戦法、乙字戦法も、つまりこれ(我が国中古の水軍の兵法書)からヒントを得たので、私の創見でも何でもない」
ここで、東郷が研究を重ねた中古水軍の兵法の要諦を少々揚げてみよう。
「まず、敵の先頭に味方大勢かかり、これを撃沈すべし。しからば敵全軍の兵気を挫く」
というのがある。
これこそが、「丁字戦法」が編み出された典拠である。
また、「常に敵を掩うがごとく戦うべし」と、説くものがあるのが、これは、敵に対し前後左右の二隊に分かれ、押し包むようにして戦うことを意味する。
その戦型からの連想により、明治海軍は、それを「乙字戦法」と呼んだのである。
その他には、「長蛇の陣は、戦法の根源なり」と、語るものが見られるが、これこそ東郷が海戦において頻用した「単縦陣」に他ならない。

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